NIDSコメンタリー 第443号 2026年7月10日 セルゲイ・イワノーフの経歴から読み解くプーチン時代
- 地域研究部米欧ロシア研究室主任研究官
- 長谷川 雄之
レニングラード時代
2026年2月4日付大統領令第56号によって、セルゲイ・イワノーフが自然保護活動・環境・輸送問題担当大統領特別代表を解任され1、同月16日には安全保障会議常任委員からも外れた2。そのわずか4カ月後の2026年6月26日に、イワノーフは73歳で亡くなった3。
1953年1月31日、レニングラードに生まれたイワノーフは、1960年から70年にかけて第24学校に通った4。「ビートルズ」に熱中し、英語学習への関心が高かったと言われる。1975年にレニングラード国立大学文学部翻訳通訳学科を卒業するが、在学中には学生交流の枠組みで渡英し、ロンドンのイーリング工科学校で研修を受けた。また1975年にはレニングラード高等海洋工科学校で教鞭をとり、その年に国家保安委員会(KGB)における勤務を開始する5。1976年にはミンスクのKGB高等課程を修了し、1981年にKGB赤旗大学(現在の対外諜報アカデミー)を修了している。1981年から1998年まで対外諜報部門に勤務し、西側諸国を担当していたと言われる。イワノーフによると、最初の配属であるKGBレニングラード支局では、隣の執務室にウラジーミル・プーチンが勤務していたという。その後、在英ソ連大使館二等書記官としてロンドンに赴任し、1983年に帰任した後もフィンランドやケニアに派遣されたほか、スウェーデンにはしばしば出張していたようだ。ビートルズのほかにも、アガサ・クリスティやジョン・ル・カレの推理小説、スパイ小説を好んだとされる6。
「表」の世界へ
プーチンがクレムリンにおいて頭角を現す1990年代末になると、イワノーフも表に出るようになる。1998年8月、連邦保安庁(FSB)次長 兼 分析・予測・戦略企画局長に就任し、翌1999年11月15日には、プーチンの後任者として安保会議の事務方トップである書記に就任した。この時のイワノーフの仕事は、戦略文書の取りまとめで、プーチンは大統領臨時代行であった2000年1月10日に「国家安全保障概念」を承認し、公表にこぎ着けた。2000年4月21日には「軍事ドクトリン」、同年9月9日には「情報安全保障ドクトリン」を相次いで策定した。
イワノーフは、2001年3月28日に国防大臣に任命され、徴兵制から契約制への移行を始めとする各種軍改革に取り組んだ。対独戦勝記念日の軍事パレードにスーツ姿で登場して注目を集めたが、ソ連・ロシア軍出身ではなく、プーチンの同僚でKGB出身の国防大臣として軍の規律を含め、ロシア軍全体の再建に取り組んだ。2005年11月14日からはミハイル・フラトコーフ首相のもとで、副首相と国防相を兼任することとなり、2006年3月からは連邦政府附属軍需産業委員会議長として「2007年から2015年までの国家装備計画」の策定プロセスに携わった。
2007年2月15日には国防相を解任され、第1副首相に任命された。イワノーフは、同じく第1副首相を務めていたドミートリ・メドヴェージェフらとともに、プーチン大統領の後継者争いをしていると言われ、最終的には2008年5月にメドヴェージェフ政権(タンデム政権)が発足することとなったが、副首相として内閣に残り、軍需産業や運輸、通信を所掌することとなった。なお副首相の在任期間を中心として、メドヴェージェフ政権期においてイワノーフは安保会議常任委員の地位を一時的に失っている。プーチン再選に向けてクレムリンによる選挙活動が活発化していた2011年12月22日、イワノーフは大統領府長官に就任し、2016年8月まで5年弱にわたり官邸官僚のトップとして第2次プーチン政権を支えた。ただし、2014年11月には長男のアレクサンドルが37歳で溺死し7、これを契機に仕事への姿勢にも変化が見られたと言われる8。
2016年8月、外務省出身で官邸官僚のアントーン・ワイノに大統領府長官職を譲ると、自然保護活動・環境・輸送問題担当大統領特別代表に就任し、安保会議常任委員としての地位を維持した。要職を退任後も安保会議常任委員の地位を維持するケースは他にもあり、内相や国家会議議長を務めたボリス・グルィズローフ、FSB長官や安保会議書記を務めたニコライ・パートルシェフがこれに該当する。いわゆるプーチン時代の中心的人物、インナーサークルに入る者を処遇する手段として安保会議のメンバーシップが使われていると言えよう。
プーチン時代の象徴
イワノーフは、レニングラード出身、旧KGBで西側担当の対外諜報部門に勤務したシロヴィキ本流のバックグラウンドを持つプーチン時代を象徴する人物である。ロシアでは、2000年代の高度経済成長期を経て、「垂直権力」の構築を軸とした中央集権化政策によって政治秩序が安定化し、エリートの養成を含む国家官僚機構の再構築も進んだ。プーチン時代は、すでに4半世紀を超えて続いており、テクノクラートの台頭やプーチン時代に育成された国家官僚の登用など、徐々にエリートの入れ替えも進んでいるが、依然として政策決定の中心にいる勢力は、1990年代末から2000年代初頭に頭角をあらわしたプーチン大統領に近いレニングラード人脈のシロヴィキである。こうした勢力の中心人物たちが、徐々に引退している現実は、プーチン時代の一つの転換点と言えよう。2026年9月には、国家会議(下院)選挙も控えており、ロシアは政治の季節を迎えている。ポスト・プーチン時代の様々なシナリオを検討する上で、ウクライナ戦争下の政治エリートの行動から目が離せない。
Profile
- 長谷川 雄之
- 地域研究部米欧ロシア研究室主任研究官
- 専門分野:
ロシア地域研究、現代ロシア政治・安全保障