NIDSコメンタリー 第437号 2026年6月2日 ナラティブとは何か——歴史の見方から考察するナラティブという言葉の捉え方——

戦史研究センター戦史研究室所員
篠原 秀俊

はじめに

「ナラティブ(narrative)」という言葉は、今日、安全保障や防衛分野において頻繁に聞かれるようになった。令和7年度に出された防衛白書においても、情報関連の記載を中心にナラティブという言葉が使用されている。防衛研究所から公表されている刊行物においても、2019年以降、ナラティブという言葉が散見されるようになり、最近ではマルチドメインや認知領域、そして戦略的コミュニケーションなどに関連した記載の中でナラティブという言葉が頻繁に使用されている。2020年代には、NIDSコメンタリーの中でも戦略的コミュニケーションやナラティブについて説明している1

日本の安全保障や防衛分野においてこのようなナラティブという言葉が見受けられるようになったのは、平成30年12月に発表された防衛計画の大綱の中で「戦略的なコミュニケーション」という言葉が使用された頃からである2。この頃から防衛研究所においてもナラティブという言葉が散見されるようになった3。ちょうど2014年にロシアがクリミア半島を併合してハイブリッド戦が注目されるようになった頃とも近い。

しかし、この日本語ではあまり聞きなれないナラティブとは、いったいどのようなものなのだろうか。英和辞典などでは物語や語りなどと訳されているのが一般的ではあるが、多くの場合ナラティブというカタカナ表記がそのまま使用されることが多く、物語と訳して表現されることは少ない。これはナラティブというものが、一般的に言われる物語(story)とは異なる言葉であることを意味しているように思われる。

そこで本稿では、歴史の見方におけるナラティブについて解説している野家啓一の「歴史の物語り論」を紹介した上で、過去に放映された歴史ドラマや歴史映画を例にナラティブとそれがもたらす効果について考察する。そして、このナラティブが戦略とどのような関係にあるのかについて考察する。

ナラティブという言葉

日本の英和辞典や国語辞典などを見ると、ナラティブという言葉は「物語(story)、語り、言説、話術、朗読による物語文学、叙述、物語り風、語り口」などと訳されたり説明されたりしている。日本では、「物語(story)」という言葉がナラティブと同義語として訳や説明の先頭に記載されていることが多い。一方、オックスフォード英語辞典など英米の辞典では、ナラティブを「1.関連する出来事を起こった順に口頭または文書で説明するもの。2.ナレーションの実践または術4。」などと説明している。

ナラティブの語源を紐解くと、元はラテン語で「物語る」や「言う」といった意味のnārrātusから派生している5。それがナレーションの意味合いに近いnārrātivusへと派生し、「物語(体)の」といった意味合いのナラティブ(narrative)へと発展していく6。「語る」や「物語る」を意味する動詞のナレート(narrate)も同じ語源から派生している。オックスフォード英語辞典ではナレートを「1.連続した物語や説明を伝える。2.(映画などでの)解説や伴奏をする7。」と説明している。これらのことからナラティブという言葉は、物語(story)自体よりも、それを「語る」もしくは物語の中での「語りの」といった意味合いが強い。

では、ナラティブという言葉はどのような場面で使用されているのだろうか。学術的にみると、幅広い分野でナラティブが扱われており、安全保障分野に限って使用されている言葉ではない。文学や医療、ビジネスなど多方面で見聞きする言葉であり、語源からもわかるとおり英語では古くから使われてきた言葉である。米国や英国など英語圏におけるメディアでは、安全保障分野に限らず政治やスポーツ、ドラマなどでもナラティブという言葉が頻繁に登場している。例えば、最近の米国におけるニュースでは、トランプ政権が米国内で進める移民政策においてミネソタ州ミネアポリス在住の住民二人が立て続けに射殺される事件があったが、これに関連するニュース報道の中でナラティブという言葉が使われていた。移民関税執行局(ICE)による発砲の瞬間を撮影した動画がネットで拡散される中、発砲は殺人だと主張する住民側と、防御的発砲だったとする政府側との対立が顕著になった。そのような中、報道の見出しでは、「トランプ政権側によるナラティブ」という言葉がしばしば見受けられた8

一方、日本においては文学の分野で古くからナラティブという言葉が使われていたが、その後心理療法などの医療やビジネスの分野でもナラティブという言葉がみられるようになっていった。安全保障の分野においてナラティブという言葉が見受けられるようになったのは、既述のとおり2019年頃からである。特に情報戦や認知戦といった内容の話題の中で、ナラティブという言葉が使用されるようになった。令和7年度の防衛白書では、情報戦に関する記載の中で「わが国を対象とする悪意あるナラティブ、偽情報、プロパガンダなどを拡散する情報戦」とか認知領域における戦いに関する記載の中で「中国のナラティブを世界に伝え、政府の見方や中国文化を伝達し、外国のプロパガンダへ反駁する活動」といった具合に使用されている9。ただし、これらのナラティブがどのような意味で使用されているのかの説明はない。

また、ナラティブという言葉は、国際政治や国際関係に関する議論の中でも安全保障分野と同じような時期から使用されるようになっていった。山本吉宣は米中関係をイデオロギーや価値、規範などといったイディエーショナル(ideational)な要因から分析する中で、ナラティブという言葉を言説や話語、物語(story)と同義で使用している10。そして、戦略的ナラティブという言葉を戦略的コミュニケーションと概念が重なるところが大きいものと説明している11

その戦略的コミュニケーションにおいて、ナラティブは重要な役割をなすと説明されている。ここで言う戦略的コミュニケーションとは青井千由紀の定義を引用するならば「外交・安全保障政策の達成に向けて、言葉や行動、シンボルやイメージなどを意図的かつ総合的に用い、対象とする相手の行動を変更せしめるべく作用を促す手段12」のことである。青井は戦略的コミュニケーションに関する著書の中で「今日の外交・安全保障における戦略的コミュニケーションにおいて、特に重要な役割を果たしていると考えられるのが、「ナラティブ(narrative)」である13。」と述べている。

青井は、ローレンス・フリードマン(Lawrence Freedman)を引用してナラティブを説明14した上で「ナラティブには現状を説明し、そこから将来への道筋を立て、その筋立てに沿った態度や行動を取るように相手を説得する作用がある15。」としている。また、青井はナラティブについての説明の中で、川端祐一郎と藤井聡が採用したナラティブ定義についても紹介している。川端と藤井は、ナラティブついてHinchman & Hinchmanを引用して「出来事を,意味に満ちたやり方で結びつける明確な時系列を持ち,一定の聴き手に対して,世界の存在や人々の経験についての洞察を提示するような言説16」と説明している。

歴史のナラティブ

語源や定義、そして安全保障分野などでの使われ方をみていると、ナラティブというのが時間の流れと対象となる相手(聴き手)への語り掛けという点で共通点があるように見受けられる。そこで、ここでは歴史認識を「歴史の物語り論(ナラトロジー)」という視点で哲学的に説明している野家啓一の著書『歴史を哲学する 七日間の集中講義』を参照しながらナラティブについて考察してみたい。

野家は、ストーリー(story)としての「物語」とナラティブ(narrative)としての「物語り」を明確に区分して使用している。ここで言う「物語」とは、名詞的概念であり始まりと終わりをもった完結した構造体である。一方で、「物語り」とは動詞的な概念で、物語るという言語行為の遂行的機能を際立たせるための用語としている17。つまり、物語りはナレート(narrate)やナレーション(narration)に近い意味で使用されている。

物語は、始まりから終わりに至る中で起承転結の構造を持つことによって、説明の役割を果たすことができる。一方で、物語り行為は始めから終わりに至る中で相関されるコンテクスト18を中間項として挿入することによって、出来事の「変化」を時間的に組織化する手続きである19。野家は歴史認識の物語り的な説明として、次のような例を紹介している。

「一九一七年にロシア革命が起こった」という記述は、それ以前は「ロシアは帝政の支配下にあった」という過去の事態を暗に指示しています。これら二つの事態の間にある「変化」を、われわれはたとえば「民衆の不満が鬱積していた」という中間項を挿入することによって説明するわけです20

ある出来事というのは単独で歴史的な意味を持つことはできず、その後に起こった別の出来事と関連づけられてはじめて「歴史的意味」を獲得するようになる21。過去のある時点で起きた出来事は、常に過ぎていく時の流れの中の一つの点として存在するに過ぎず、その後の出来事とを物語り行為によって結びつけて初めて歴史的な意味が付与され、歴史認識として受け入れられていく。

この意味付け作業、すなわち物語り的説明(ナラティブ行為)に終わりはない。今日、もしくは将来をも含め、常に起こっていく新たな出来事からも次なる意味付け作業は継続して行われていく。したがって、歴史は絶えず語り直されるものであり、出来事は新たな意味を重層的に身に纏うものというのが野家の主張である22。その時代、その時代のナラティブが物語られていく中で、歴史認識は変化していく可能性を秘めているということである。

例えば、1980年前後の日米貿易摩擦時代におけるアメリカ人の真珠湾攻撃に対する歴史認識と、イランに対する奇襲攻撃を仕掛けその効果をメディアに問われたトランプ大統領が真珠湾攻撃を例に挙げ説明した後では、真珠湾攻撃に対する歴史認識に多少の変化が起きているかもしれないといった具合である23

また、歴史は目にすることができる古文書や発掘された出土品などから過去を読み解き、合理的な推論の中で物語りを作り出していくものである。その結果、歴史記述は否応なく「誰が誰に向かって語るのか」という民族、人種、階級、性別、世代などの差異を含み込んだ政治性を帯びざるを得なくなる24。野毛は次のように述べている。

歴史家はどのような読者に向かっていかなる言語を用いて、どのような文体で書くのかを決定せねばなりません。そこではいかに公正中立を心がけようとも、歴史家の立ち位置、すなわち彼/彼女の人種、国籍、ジェンダー、宗教的信条、社会的地位などを含む発話のポジショナリティが記述の方向と内容に影を落とすことになる25

このような書き手(話し手)のポジショナリティ(立ち位置)によって発生する記述の方向と内容の差異は、読み手(聴き手)側のポジショナリティによっても同じように発生する。なぜならば、聴き手それぞれもまた民族、人種、性別、世代、そして宗教的信条などによって異なる解釈のフィルターを備えているからである。歴史家は死者の声を幾重もの解釈のフィルターを通じて物語りを読み手に伝えるわけであるが26、読み手自身もまたその読んだことを理解する上でそれぞれが持つフィルターを介して理解する。十人が同じ物語りを聞いたとしても、全員が同じ解釈をするわけではなく、それぞれの生まれや歩んできた生い立ちによって大小はあるにせよ解釈に差異が生じる。野家は最後に次のように述べている。

歴史的事実は暦法的時間と地理学的空間というフィクショナルな概念枠組み、すなわち「物語り」の枠組みを通してはじめて、実在的な物理的時空と結びつくことができ、「実在」の意味を獲得することができるのです27

以上のように、歴史の物語り論(ナラトロジー)からわかるのは、ナラティブというものが完結する物語ではなく、時間の流れの中で紡がれていく物語り作業であるということ。このナラティブ行為に終わりはない。ナラティブは、点と点を結ぶ時間軸の中で相関させる目的を持った文脈として挿入することによって、出来事の変化を時間的に組織化していく行為ということができる。

そして、話し手がナラティブの中に意図した意味合いと、聴き手による受け止め方は必ずしも一致しない。なぜならば、話し手と聴き手のそれぞれにポジショナリティが存在し、そのポジショナリティが異なった解釈フィルターを備わせるからである。つまり、自分が発したナラティブは、必ずしも自分が意図した物語りとして相手に伝わっているとは限らない。聴き手がどのような認識を持つに至ったかについては、聴き手の認識を確認するための何らかの行為が必要となる。

歴史ドラマや映画におけるナラティブ

では、ナラティブ行為が歴史認識に与える影響というのは、実際にどのようなものなのであろうか。ここでは実際の歴史的な出来事をドラマ化もしくは映画化した二つの事例を基に検討してみたい。一つは織田信長、豊臣秀吉、そして徳川家康、いわゆる戦国三英傑の時代をドラマ化したNHKの大河ドラマである。もう一つは、太平洋戦争における硫黄島での戦いを映画化したクリント・イーストウッド(Clint Eastwood)監督の二つの映画である。

これらは、いずれも話が完結する物語(story)ではある。また、フィクションであり歴史的に実在しないキャラクターが登場することもある点は留意が必要である。しかし、物語の始まりと終わりの間では、話し手が意図した物語り、すなわちナラティブがもたらされる。この物語りが、同じ事象の歴史に対して、視聴者(聴き手)の歴史認識にどのような影響を与えるのか。このことを比較するのに適した事例であると考え、今回はこの二つの事例を取り上げる。

NHKの大河ドラマは1963年から放映が始まり、2026年までに全65作が放映されてきた。そのうち三英傑が登場するドラマは四割近くの25作に上る28。信長、秀吉、家康、それぞれが主役のドラマもあれば、その妃や家臣、もしくは敵側の武将などが主役のドラマもある。

三英傑については、関連する書籍やテレビ放映などが多数あり、日本人の視聴者であれば三人のおおよその歴史的な出来事については認識しているものと思われる。また、各々の性格についてはホトトギスの川柳による有名な喩えがあるように、多くの人が信長、秀吉、家康、それぞれに対するイメージを持っているであろう。しかし、大河ドラマの中で三英傑それぞれに抱く印象は、誰がそのドラマの主人公かによって異なってくる。前回の戦国時代を舞台にした大河ドラマでは好印象を持った秀吉が、今回の大河ドラマでは恐ろしく憎たらしい武将といった印象をもって視聴しているといった具合である。

秀吉やその家臣が主人公のときには家康が若干悪いイメージで物語られるし、逆もまたしかりである。明智光秀や石田三成は、誰が主人公であるかによって大きく異なるイメージで物語られることが多い。明智光秀が主人公となって物語りが進められた時には、幼少期からの光秀が、王が仁のある政治を行う時に必ず現れるという聖なる獣、「麒麟」のイメージと共に物語られた。

大河ドラマでは、主人公の幼少期から晩年までが、優しいナレーションと共におよそ1年間をかけて物語られていく。すると、視聴者の視点や気持ちは自然と主人公に同期し、同じ時代の歴史事象であるにもかかわらず、その見え方が大河ドラマ毎で異なってくる。これが、ナラティブ行為がもたらす効果の一例と言える。

また、ナラティブ行為は、ナレーションだけではなく、起用された役者からもたらされることもある。例えば、家康をルックスのいい人気アイドルが主人公として演じた場合と、貫禄のある大物俳優や個性派俳優が主人公の敵役として演じた場合に、その印象は真逆のものとなる。大好きな人気アイドルが家康を演じれば、その視聴者はドラマに出てくる家康に好意を抱き一生懸命応援する。一方で秀吉やその家臣が主人公の時に、その主人公に意地悪をして邪魔をする家康を強面の大物俳優が演じれば、視聴者は「家康って、本当嫌な奴だな。」と愚痴をこぼす。つまり、物語りは言葉だけではなく、目で見える映像とその映像に視聴者が持っているイメージや認識もまた影響を及ぼすのである。

続いて、もう一つの事例、太平洋戦争における硫黄島での戦いを映画化したイーストウッド監督の二つの映画を考察してみる。イーストウッドは1945年2月19日に始まった硫黄島での日米両軍による激戦を、日米それぞれの視点から映画化した。米軍側からの視点で描かれた『父親たちの星条旗(Flags of Our Fathers)29』と、日本軍側からの視点で描かれた『硫黄島からの手紙(Letters from Iwo Jima)30』である31

『父親たちの星条旗』は、硫黄島の摺鉢山山頂に星条旗を掲げた米兵6名の内、硫黄島での戦いで生き残った3名が、英雄として政府の戦債キャンペーンに駆り出される中で、厳しかった戦場体験を回想する物語である。この星条旗を掲げる瞬間は、AP通信社のジョー・ローゼンタール(Joe Rosenthal)によって写真に収められ、この写真はピューリッツアー賞を受賞した。そして、この星条旗を掲げる瞬間の様子は、戦後銅像として作成され、首都ワシントンD.C.郊外に合衆国海兵隊記念碑(US Marine Corps War Memorial)として設置された32。第二次世界大戦における米国の勝利を象徴する記念碑として、米国民の多くが知る瞬間である。

米国側の視点で描かれたこの『父親たちの星条旗』は、この象徴的な瞬間を物語りの中心に据えながら、多大な死傷者を出した硫黄島での戦いの様相を描きだしている。硫黄島における戦闘は、米軍側の死傷者数が対抗した日本軍側よりも多かった戦闘である33。この時期米国内では、長く続く戦争への疲弊と戦費不足が問題となっており、勝利を印象付けるこの山頂への国旗掲揚が米国政府のプロパガンダに利用された。政府は英雄として話題になっていたこの国旗掲揚を行った米兵の内、生き残っていた3名を本国に呼び戻し、米国を横断する戦債キャンペーンに同行させた。しかし、生き残った3名は、公表された写真に写っていた6名の氏名と実際に旗を掲げた兵が異なっていたことや、自分だけ生き残ったことなどに悩み、夢でうなされたり、アルコール依存症になったりするなど戦後も苦しんでいた。

一方、『硫黄島からの手紙』は、硫黄島の地中から日本兵の手紙が現代において発見されるというシーンから物語がはじまる。その手紙が当時どのような経緯でそこに埋められるに至ったのかが、硫黄島の司令官であり知将として知られた第109師団長栗林忠道陸軍中将34とその栗林中将にたびたび助けられる一兵卒を中心に物語られていく。栗林中将が硫黄島に着任してから、最後に自決35するまでが日本軍の戦闘推移とともに時系列で描かれている。準備段階における水際作戦から後退配備への作戦変更の様子や、米軍上陸後の激しい戦闘、そして摺鉢山の陥落や北部への後退など、日本軍が徐々に追い込まれていく様子が物語られていく。

2つの映画にナレーションはほとんど入らない。それよりも登場人物の演技と語り、そしてバックに流れる音楽によってナラティブ行為が作り上げられている。特に、度々出てくる回想シーンが、映画全体の物語りを方向付けていく感じである。『父親たちの星条旗』は、硫黄島における戦い後が物語りの中心的時間であるが、登場人物が硫黄島での戦いを合間合間で回想することでそこでの戦いの厳しさや兵士同士の友情、そして米兵側からみた日本兵が物語られる。一方『硫黄島からの手紙』では、硫黄島における戦いが物語りの中心的時間である。硫黄島に所在する登場人物が、硫黄島に赴任するよりも前の過去を振り返ることで、日本兵もまた米兵と同じく優しさを持ち、家族を思いながら戦う一人の人間であることが物語られていく。

2つの映画が公開されたのは2006年である。この2006年頃というのは、日米関係が「歴史上最も成熟した二国間関係の一つ」と言われていた時期にあたる36。太平洋戦争後まもなくや、日米貿易摩擦が強まっていた頃に、これら2つの映画が公開されることは難しかったかもしれない37。しかし、時代とともに日米の関係が安全保障面でも経済面でもより親密になる中で、歴史の捉え方も変化していった。硫黄島においては、1996年から日米合同の慰霊追悼顕彰式が行われるようにもなっていた。そのような二国間関係の時代になっていたからこそ、日米双方の国民が反感を抱くことなく、それぞれの視点から観ることができたのではないだろうか。

『父親たちの星条旗』は、『硫黄島からの手紙』の数か月前に公開された。米国人の視点に立つと、まず『父親たちの星条旗』を観ることで、有名な星条旗を掲げるシーンを思い浮かべながら、物語りを通じて硫黄島での戦いとそこで戦った米国兵の苦しみや日本兵の恐ろしさを認知する。続けて『硫黄島からの手紙』を観ることで、恐ろしいと思っていた日本兵にも平和な過去があり、米国兵同様に家族を想いながら苦しみの中で戦っていたことを認知する。

一方、日本人の視点に立つと、米国では有名な星条旗を掲げるシーンについて見たことはあっても、このシーンの背景やワシントンD.C.にこの銅像があることを知る人はそんなに多くはないと思われる。そのような中で『父親たちの星条旗』を観て初めて、日米が硫黄島で激しく戦ったこと、このシーンの背景、そして米兵もまた戦後を含め苦しんでいたことを認知する。続けて『硫黄島からの手紙』を観ることで、硫黄島で犠牲になった多くの日本兵のこと、彼らが如何に戦ったか、そして何故戦ったのかといことを認知する。

日米双方の異なるポジショナリティにある人たちが、個々の知識のなかでこの2つの映画を続けてみる。そのことによって、一つの歴史的な事象に対して異なる認識を持っていた人達が、ナラティブ行為を通じて共通した認識をもったり、新たな意見をもったりするようになる。そこにイーストウッドによるナラティブ行為の目的があったのではなかろうか。

また、硫黄島を訪れたことがある人がこれらの映画を観ると、訪れたことがない人とは異なった感覚を抱くようになる。2026年3月28日に硫黄島で実施された日米硫黄島戦没者合同慰霊追悼顕彰式38に参列した小泉進次郎防衛大臣は、後日この2つの映画を改めて観た感想を配信された自身のポッドキャストにおいて述べている。「歴史が自分の身体の一部になる瞬間をすごい感じた日でした。」と述べたうえで、次のように語っている。

「(硫黄島を訪れ式典後に島内の戦跡を巡った後に改めて2つの映画を両方観て)かつて観た時とは全く受け止め方が違った。…特別な気持ちになって、また理解も深まるし、あの映画が双方、日本側の想いと米国側の苦悩も両方表しているけど、いずれにしても特別な時間だった39。」

訓練で硫黄島を訪れた経験を持つ筆者も同じである。米軍が上陸した二ツ根浜海岸、摺鉢山、海軍医務科壕そして日本軍側の司令部壕などを歩いて巡拝した後に2つの映画を観ると、硫黄島の地形、土や岩を踏みしめた時の感触、地中から立ち上がる蒸気、硫黄の独特な臭い、そして壕の中の蒸し暑さ、この時の体感を思いだすのである。そうすると、映画の中からイーストウッドが仕掛けたナラティブ行為がより現実的に伝わってくる。まさに、時代と個々の視聴者が持つポジショナリティがナラティブの受け止め方に影響を及ぼす一例だと言える。

ナラティブと戦略

歴史の物語り論(ナラトロジー)からナラティブを考察すると、ナラティブというのは話し手が目的を持って時間軸の点と点を相関的に結びつけるために、文脈を持って語り掛ける物語り行為ということになる。そして、出来事の変化を話し手の目的に沿って時間的に組織化していく行為ということができる。

しかし、話し手によるナラティブがもたらす認識は、万人に同じように伝わるものではない。止まることのない時の流れの中で、必ずしも同じ空間に存在しているとは限らない話し手と聴き手の間では、ナラティブによって紡がれていく認識も変化していく。真珠湾攻撃や硫黄島での戦いに対する日米双方の認識が、時代や立場によって異なったり変化を見せたりするのはその一例といえる。

話し手が発したナラティブがその意図通りに、聴き手に認知されるとは限らない。そこには、彼我双方のポジショナリティによって備わった解釈フィルターがもたらす認知の差が存在する。話し手側が意図した認知を聴き手側にもたらそうとするならば、一方的なナラティブの発信だけではなく、聴き手側が持つ解釈フィルターがもたらす結果について分析・理解し、より相手の認知に浸透する物語りに発信方法や内容を修正していく必要がある。ナラティブを浸透させるためには、時間変化とポジショナリティがもたらす解釈フィルターに適応した柔軟な対応が求められる。

だからこそナラティブを語るときに、戦略性の必要性が出てくるのではなからろうか。ナラティブは話し手の目的に沿って発せられる一方的な物語りである。そこからもたらされる聴き手の認識は一定ではないので、話し手が目的に沿った結果を聴き手側にもたらしたいのであれば、聴き手の反応に対応した柔軟な修正を加えていく必要がある。つまりこれは、彼我の間で競争が存在する中で、目的を達成するために手段と方法を柔軟に結びつけていく戦略の実行と同じ行為が必要ということである。

先に紹介した戦略的ナラティブという言葉は、このナラティブに必要な戦略性のことを意味しているのではなかろうか。国家間における競争の中で、彼我双方が目的を達成するためにナラティブを発する。我の目的に沿ったナラティブを聴き手の中に浸透させるためには、もたらされる相互作用のアウトプットを継続的に把握して、聴き手の認識が我の目的の方向に近づいてくる修正ナラティブを発していく必要があるということだ。そのためには、明確な目的の下で、一貫した方向性を維持しながら戦略的にナラティブを発していくことに留意する必要がある。

戸部良一らは著書『国家戦略の本質 世界を変えたリーダーの知略』の中で、歴史的「物語り」と戦略の関係を述べている。国家経営におけるダイナミックなリーダーシップ・プロセスとして4命題を提示する中で、3つ目の命題として「物語る(Narrating)」が出てくる40。戸部らは、野家を紹介した上で、国家指導者が現状を把握し、過去からの国家資産にどのような付加価値を加味して未来に向けて発展させていくのかを、政策の物語りとして生成し、レトリックを駆使して国内外に浸透させていく必要性を述べている41。まさに、戦略的にナラティブを発していくということである。

おわりに

「ナラティブ(narrative)」、最近頻繁に聞かれるようになったこの言葉が意味するところを今回は考察してみた。ナラティブの語源、そして歴史の見方としてその意味を考察していくと、動詞的概念である「物語り」という一つの捉え方が存在した。話し手が目的をもって物語ることで、時間軸の点と点が結ばれて組織化され、時代ごとの歴史に意味をもたらす。話し手がもたらす目的を持った物語りが、聴き手の歴史認識に影響を与えるのである。ただし、ナラティブは話し手が意図したとおりに聴き手に浸透するとは限らないものでもあった。

話し手が目的に沿ったナラティブを聴き手に浸透させるためには、戦略的である必要がある。何故なら、話し手と聴き手の双方に時間変化とポジショナリティがもたらす認識の誤差(解釈フィルター)が存在するからだ。

今回ナラティブを考察するために事例に挙げた大河ドラマや映画は、あくまでも物語(story)である。始まりと終わりを持ち、話し手による一方的な物語りによって主人公を中心とした物語が作り上げられている。そのため、聴き手の認識がいかなるものであろうとも、物語りはそこで終了する。

一方、国際関係や安全保障においてもたらされるナラティブは物語(story)ではない。各国は、目的を持って途切れることなく継続的にナラティブを発している。競争相手が発してくるナラティブに流されることなく、自国の目的に沿ったナラティブを聴き手の中に浸透させていくためには、戦略的であることが求められることが今回の考察から見えてきた。戦略的ナラティブや戦略的コミュニケーションという言葉は、ナラティブが飛び交う今日の国際情勢の中で、自国の国益を守るために必須のものとして注目されるようになった言葉なのかもしれない。

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  • 篠原 秀俊
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    戦略論、戦略的コミュニケーション