NIDSコメンタリー 第424号 2026年3月17日 防衛施設整備に伴う地方協力確保施策①——青野原駐屯地の開設を事例として

戦史研究センター戦史研究室主任研究官
中村 宗一郎

はじめに

政府が防衛力を抜本的に強化する方針を打ち出すなか、全国で新たな防衛施設の建設や拡張の計画が進められている。南西地域の防衛体制の強化のため平成28(2016)年の与那国沿岸監視隊の新編に伴う与那国駐屯地の開設をはじめ、平成31(2019)年に奄美駐屯地/瀬戸分屯地及び宮古島駐屯地、令和5(2023)年に石垣駐屯地、令和7(2025)年に佐賀駐屯地といった新たな駐屯地が開設される際、防衛施設誘致の運動が行われる一方、反対運動も生起しており、令和6(2024)年4月には、沖縄県うるま市のゴルフ場跡地への陸上自衛隊訓練場の整備計画が地元住民の理解を得るのが難しいとして撤回されるなど、防衛施設の整備において地元の理解獲得が課題となっている。

令和4(2022)年12月に閣議決定された防衛力整備計画において敵基地攻撃能力を担う「長射程誘導弾部隊等の新編」や「火薬庫の増設」が明記されるなど、今後も既存施設の拡張にとどまらず新たな土地に防衛施設の整備が必要となることが予測される中で、防衛施設周辺の地方公共団体や地元住民といった地域コミュニティの理解や協力を得るための地方協力確保施策の重要性がますます高まっている。

昭和51(1976)年8月20日、陸上自衛隊の地対空誘導弾ホークの導入に伴い開設された青野原駐屯地(兵庫県)は、今年で開設50周年を迎えるが、本稿では、激しい反対運動にもかかわらず防衛施設の開設にこぎつけた事例として、青野原駐屯地の開設過程における防衛庁・自衛隊による地方協力確保施策について、ごみ処理場や原子力発電所など「迷惑施設」と呼ばれる「NIMBY施設」(英語のNot In My Back Yardの頭文字をとったものであり、施設そのものの社会的必要性は認めるものの、立地点の当事者にとって迷惑と感じられる施設)の立地・整備に関する分析の手法である功利主義及び公正主義の2つの観点から分析し、4回に分けて紹介する。

功利主義とは、ある施設が社会にもたらす総便益と総費用を算出し、総便益が総費用を上回まわり、純便益が正の値をとれば、当該施設は社会にとって有益とみなされ、費用(整備運営費に加えて被害及びリスクを含む)は社会的に受け入れられるとの考えに基づき、立地の結果を効率性の観点から評価するものである。1

公正主義とは、施設立地の結果を問う「分配的公正」と施設立地の過程を問う「手続的公正」の双方を公正性・公平性の観点から評価するものである。2 第1回目の本稿では、青野原駐屯地開設時の地方協力確保施策の背景として、「占領期~1970年代までの基地問題の経緯」、「防衛施設庁設置の背景と経緯」、「交付金制度の整備」について紹介する。

占領期~1970年代までの基地問題の経緯

敗戦後に連合国軍が接収した膨大な土地、建物は、日本の独立後もサンフランシスコ平和条約と共に締結された旧日米安保条約及び行政協定に基づいて駐留米軍に大部分の使用が認められることとなり、こうした状況に不満を持ち、駐留米軍から被害を受けていた地域周辺の住民が抗議の声をあげるようになり、いわゆる「基地問題」が顕在化した。

基地闘争は、当初は、駐留米軍による被害に対する地元住民の補償要求を中心とした経済的性格の運動であったが「内灘事件」や3次にわたる「砂川事件」などのように、革新団体等の外部勢力が介入するイデオロギー的な色彩の強い政治的闘争へと変質し、地元住民よりもこれら外部勢力が運動を主導するようになっていった。4

1950年代の基地闘争は、基地の新設・拡張、機能強化に反対する運動が主体であったが、革新勢力は1960年安保闘争やベトナム戦争を契機として、「在日米軍基地は日本の平和と安全のためにあるのではなく、アメリカ帝国主義の侵略の足掛かりに使うためにある」として「安保破棄」と「在日米軍基地撤去」の運動を活発化させ、昭和26(1957)年6月以降、駐留米軍の大規模縮小による在日米軍基地の減少により「自衛隊基地の増強」、あるいは在日米軍、自衛隊による基地の共同使用が始まり、「憲法違反」の存在である自衛隊の「解散」を目的に、「自衛隊の基地撤去」や「演習反対」の運動を活発化させていった。6

『基地闘争史』5によると1950~60年代の基地闘争の重要課題として、①土地取り上げ反対のたたかい、②核・ミサイル基地化反対のたたかい、③演習場返還のたたかい、④爆音をなくすたたかい、⑤事故被害をなくすたたかい、⑥基地闘争における法廷闘争が列挙されており、「ミサイル基地化反対」は、基地闘争の重要課題として位置づけられ、全国各地でナイキミサイル部隊やホークミサイル部隊の配置にあたり革新勢力による反対運動が行われていた。したがって、青野原駐屯地を開設することに対する反対運動は、革新勢力により「核・ミサイル基地化反対」及び「演習場返還」の基地闘争として位置づけられていたと思われる。7

また国土が狭小かつ人口密度の高い日本において1960年代の高度経済成長に伴う国民生活水準の向上などによる都市化の進展や環境の保全に対する住民の要望の高まりを背景として、1970年代頃から防衛施設の存在が地域の発展を阻害するという「都市問題」としても捉えられるようになっていった。

防衛施設庁設置の背景と経緯

敗戦直後、占領軍は、飛行場、港湾施設、通信施設、兵舎等の不動産については現地調達する必要があり、日本政府を通じることなくこれらの所有者等に対して直接接収を命じる例も少なくなかった。8その後、昭和22(1947)年9月に特別調達庁が設置されて以降、占領軍にかかる不動産関係の業務は、同庁の契約局不動産部不動産調査課等が所掌することになり、不動産の接収に伴う損失補償の業務なども行っていた。9

昭和27(1952)年4月の対日和平条約発効に伴う我が国の占領の終結、旧安保条約及び日米行政協定などに基づく米軍の駐留により、同年4月、特別調達庁は調達庁(総理府外局)として改編され、米軍への施設・区域の提供等の事務を所掌することとなった。

昭和32(1957)年6月からの駐留米軍の大規模縮小による在日米軍基地の減少に伴い調達庁の業務が減少し、調達庁の定員が大幅に減員された。10一方、米軍から返還された施設等の多くは自衛隊が使用し、在日米軍、自衛隊による基地の共同使用も始まり、防衛施設をめぐる防衛庁と調達庁の業務の連携が強まったことを背景として、昭和33(1958)年8月、調達庁は総理府の外局から防衛庁に置かれる「外局」として移管された。11

昭和25(1950)年8月、警察予備隊の発足以来、警察予備隊では、本部経理局営繕課(昭和27(1952)年5月に工務局及び警察予備隊建設部を設置)、保安庁では中央建設部、防衛庁では建設本部がそれぞれ自衛隊等の必要とする施設の取得、行政財産の管理及び建設工事の実施等の事務を担当してきた。12

米軍の減勢が進捗し、施設・区域の我が国への返還も進行する中、米軍関係施設については調達庁が担当し、自衛隊関係施設については防衛庁建設本部が担当するという二元体制が非効率であると認識されるようになり、防衛庁本庁の建設本部と調達庁を統合し、昭和37(1962)年11月に防衛施設庁が発足した。13

防衛施設と周辺地域との調和を図るための施策(防衛施設周辺対策)は、国が原因者たる立場で措置するものである。原因者たる防衛庁(防衛施設庁)自らが行うことにより、地元との関係が一層緊密なものとなり、ひいては防衛施設の安定的運用の確保に資するとともに、各省がそれぞれの所掌事務に応じて行うことは、時機を得た防衛施設周辺対策が期待できなくなるばかりか、その非効率を招くことになるとの理由から、防衛施設周辺対策は、昭和27(1952)年以来一貫して防衛施設庁(調達庁)が担当することとなった。14

交付金制度の整備

防衛という国民全体の利益のために特定の地域の住民が受けている不利益を公平の観点から是正するための財政的な措置として、自治省(現総務省)が所管する「基地交付金(国有提供施設等所在市町村助成交付金)」及び「米軍基地調整交付金(施設等所在市町村調整交付金)」と防衛庁(現防衛省)が所管する「周辺整備法及び環境整備法による交付金」が整備されてきた。

米軍の施設や自衛隊が使用する施設が所在する市町村への財政上の影響を考慮して、使途が制限されない一般財源として、毎年交付される財政補給金たる「基地交付金」及び「米軍調整交付金」が創設された。15「米軍調整交付金」は、米軍基地所在市町村のみを対象としているため、自衛隊の施設・地域である青野ヶ原演習場及び青野原駐屯地は交付の対象外である。

「基地交付金」は、米軍の施設や自衛隊が使用する施設のうち、飛行場や演習場の用に供する土地が広大な面積を有しており、市町村の区域の多くを占めていることが市町村の財政に著しい影響を与えていることを考慮し、固定資産税の代替的なものとして交付される財政補助金として昭和32(1957)年5月に創設された。16基地交付金の配分方法は、予算総額の7/10が国有財産の価格で按分、予算総額の3/10が国有財産の種類、用途及び市町村の財政状況等を考慮して配分することとされている。17

青野ヶ原演習場が所在する小野市、加西市、加東郡滝野町(現加東市)には、各市町が演習場に占める面積に応じ基地交付金が交付されてきた。青野原駐屯地の開設後は、駐屯地内にある高射訓練場(13%)及び青野ヶ原演習場(87%)に対して基地交付金が交付されており、令和7年度の交付額は1億153万6,000円、高射訓練場及び青野ヶ原演習場に行政区画を持つ3市は、面積等に応じて小野市に5,091万円、加西市に3,456万円、加東市に1,606万6,000円がそれぞれ交付された。18

昭和28(1953)年8月、米軍の特定の行為を原因とする特定の事業(農業、漁業、林業)の経営上に生ずる損失を救済することを目的として「日本国に駐留するアメリカ合衆国軍隊等の行為による特別損失の補償に関する法律(特別損失補償法)」が制定されたが、同法は、米軍の行為に起因する損失のみを補償する規定であり、自衛隊の行為による損失には適用されないとともに、施設・区域の設置・運用に起因する各種の障害を「防止・軽減するための措置」について規定しておらず19、防災工事、道路の整備等の助成、学校等の防音工事の助成、飛行場周辺の安全対策としての住宅の移転の補償等については、その都度、行政措置により行われてきた。

その後、防衛施設に関係する周辺住民、関係地方公共団体等から、単に個別的な障害の防止軽減措置にとどまらず、防衛施設の所在する地域社会全体の向上発展を目指すような幅の広い解決策の実現が要望されたことを受けて、防衛施設周辺の整備のための諸施策の目標を設定するとともに、この施策を制度的に担保するため、昭和41(1966)年7月、「防衛施設周辺の整備等に関する法律(周辺整備法)」が公布・施行された。

周辺整備法は、障害を防止・軽減するため従来行政措置として実施してきた防災工事及び道路整備等の助成、防音工事の助成、住宅の移転の補償等を法制化するとともに、自衛隊の特定の行為による農林漁業等の経営上の損失に対する補償、防衛施設の設置・運用により生ずる障害の緩和に資するため民生安定施設の整備に対する助成を新たに法制化したものであった。20

しかしながら、昭和40年代における我が国の経済の高度成長に伴い、防衛施設周辺の都市化の進展、防衛施設と地域開発計画との競合、公害問題及び生活環境保全に対する国民の意識の向上等の防衛施設を取り巻く情勢の変化に伴い、周辺整備法に基づく措置のみでは、防衛施設周辺の地域社会との調和を保つことが困難となり、防衛施設周辺の関係自治体等から防衛施設周辺対策へのより積極的な取り組みへの要望が強まった結果、昭和49(1974)年6月、航空機騒音からの環境保全に対する問題認識の高まりに対処するため、自衛隊・米軍飛行場周辺の生活環境の整備施策として新たに住宅防音工事の助成、緑地帯の整備等を加え、都市化の進展及び直面する諸問題に対処する施策として特定防衛施設周辺整備調整交付金の交付制度を新設することを主な内容とする「防衛施設周辺の生活環境の整備等に関する法律(環境整備法)」が公布・施行された。21

高射訓練場及び青野ヶ原演習場に行政区域を持つ小野市、加西市、加東郡滝野町(現加東市)における環境整備法に基づく生活環境の整備等については、主に騒音以外の障害の防止を目的とした障害防止工事の助成及び障害の緩和を目的とした民生安定施設の助成として交付金が支給されている。

次回は、「ホークミサイル導入の経緯」、「ホーク部隊編成の推移」と「青野ヶ原演習の概要及び沿革」について紹介する。

Profile

  • 中村 宗一郎
  • 戦史研究センター戦史研究室主任研究官
  • 専門分野:
    陸上自衛隊史、東アジアの安全保障、バルカン半島の安全保障