NIDSコメンタリー 第413号 2026年1月16日 イエメン情勢クォータリー(2025年10月~12月)——ガザ停戦を経て再駆動するイエメン内戦独自のダイナミクス
- 理論研究部社会・経済研究室 研究員
- 𠮷田 智聡
エグゼクティブ・サマリー
- フーシー派は、ガザ停戦を受けて対外攻撃を停止するとともに、サウディアラビアとの和平交渉や内政課題への対処を進めようとした。信頼醸成措置の一環として捕虜交換の合意がなされたものの、和平合意まで至る機運が醸成されているとは言い難い。
- アリーミー政権派は、南部移行会議による東部での電撃戦を受け、12月5日にアデンからリヤドへ退避した。近年サウディアラビアは大統領直轄部隊「祖国の盾」の創設や、ハドラマウト自治勢力「ハドラマウト部族連盟」への関与を通して、ハドラマウト県においてUAEや南部移行会議との競争を展開してきたが、南部移行会議の東部掌握によって大幅な後退を喫した。
- 南部移行会議は、12月3日に「約束した未来」作戦を発動し、電撃的にハドラマウト県やマフラ県等を掌握した。この作戦により、同組織は独立時の領土と定義する大部分を軍事的には掌握したが、国際社会からの同意を得られておらず、南部独立の政治的素地は整っていないといえる。
- 10月に国連安保理の専門家パネルは、イエメン情勢にかかる年次報告書を公表した。2025年版では、ザイナビーヤートに所属している人物として、アリー・フサイン・フーシーの姉妹にあたるファーティマ・フーシーの名が初めて言及された。加えて、本報告書はフーシー派と過激派の関係深化についても指摘しており、同派の軍事技術者がソマリアに渡航し、IED製造やドローン慣熟にかかる軍事教練を施したとする証言を取り扱った。
(注1)本稿のデータカットオフ日は2025年12月31日であり、以後に情勢が急変する可能性がある。
(注2)フーシー派は自身がイエメン国家を代表するとの立場をとるため、国家と同等の組織名や役職名を用いている。本稿では便宜的にこれらを直訳するが、これは同派を政府とみなすものではない。
フーシー派:ガザ停戦を受けた対内回帰
本四半期のフーシー派は、10月のガザ停戦を受けて対外攻撃を停止した。同派は2023年10月以来、「イスラエルによるガザ侵略停止まで作戦を継続する」ことを度々公言してきており、形式的には目標を達成したため、攻撃停止に至ったと解釈できる。最高指導者アブドゥルマリク・フーシー(‘Abd al-Malik al-Ḥūthī)は警戒や完全な即応性、合意の実施にかかる監視体制を維持すると述べており、停戦合意の状況を注視する姿勢を崩していない1。他方でガザでは停戦合意後もパレスチナ人が殺害されているが、フーシー派の対応は外務省声明の発出や被害状況の報道などに留まり、合意がないままにイスラエルとの事実上の停戦状態となった。
フーシー派がガザでの停戦合意後も続くパレスチナ人殺害に対して、具体的な措置を講じない理由として2つの要因が考えられる。1つ目は前述の通り、脆弱ではあれども停戦合意が維持されているためである。2つ目は、同派の政治・軍事指導部に被害が生じているとみられるためである。前四半期の「イエメン情勢クォータリー」で述べた通り、8月下旬のサナアへの空爆により、(同派側の公表によれば)首相含む全22名の大臣級閣僚の内10名が死亡した。さらに同派は2025年10月16日に、イスラエル軍の攻撃により参謀総長ムハンマド・アブドゥルカリーム・ガンマーリー(Muḥammad ‘Abd al-Karīm al-Ghammārī)が死亡したことを公表した2。同派はどの時期のイスラエル軍の攻撃によるものかは言及していないが、8月28日の首相等に対する斬首作戦の際に負傷し、その後死亡したものとみられている。ガンマーリーは古参幹部で2016年から同派軍参謀総長に任命され、20世紀からの古参参加者や2015年以降吸収した正規軍など、性質の異なる諸集団をまとめ上げる中心的な役割を担ってきた3。そのためガンマーリーの死亡は、南部出身の傀儡である首相アフマド・ラフウィー(Aḥmad al-Rahwī)の死亡よりも重大な意味を持つ。また、12月に同派はドローン部隊司令官(少将)やミサイル部隊参謀長(少将)などの死亡を公表した4。
ガザ停戦と幹部死亡を受けて、フーシー派は①治安面での締め付け強化、②政策アジェンダの対内回帰という2つの動きを強めた。①について、11月8日に同派内務省は大規模なスパイ摘発を公表した5。この発表によれば、米国中央情報局(CIA)、イスラエルのモサド、サウディアラビアの諜報機関が合同作戦室を結成し、現地エージェントによるスパイ活動を行わせていた6。これまで同派はスパイ摘発を度々行ってきたため、それ自体は珍しいことではない。また、ガンマーリーの死亡公表に伴う支配地域内の騒擾につながりかねない動きを牽制するという点において、時期としても適切であろう。しかし、本発表は内務省公式報道官や内務省の諜報機関「治安諜報局」局長アブドゥルハキーム・ハイワーニー(‘Abd al-Ḥakīm al-Khaywānī)ではなく、初代最高指導者フサイン・フーシー(Ḥusayn Badr al-Dīn al-Ḥūthī)の息子アリー(‘Alī Ḥusayn al-Ḥūthī)によってなされたことで、大きな注目を集めた。アリーはフーシー派の公式報道上、「内務省次官(治安・諜報担当)」の官職で紹介されるが、これとは別に非公表諜報組織「警察諜報局」の局長であるとみられている。アリーが登壇した理由については不明であるが、①ガンマーリー参謀総長死亡後の権力闘争、②警察諜報局のスパイ摘発に対する功労、③内務大臣が消息を絶つ中での段階的な権力移譲のための初動など、様々な見方ができよう。
②政策アジェンダの対内回帰は、ガザ停戦を受けて、フーシー派が2年間棚上げにしてきた内政上の課題に再び向き合わなければならなくなったことを意味する。同派の大臣たちは所管する機関等の現地視察や業務指導を行い、行政改革をアピールした。外交面でも大きな変化が見られ、同派の関心はパレスチナ問題から、サウディアラビアとの和平交渉妥結に再び向けられるようになった。大統領マフディー・マシャート(Mahdī al-Mashāṭ)は、1963年に始まった旧南イエメンの対英反植民市闘争を祝う「10月14日革命」に際して、サウディアラビアに緊張緩和の局面から侵略・封鎖・占領の終結および平和のための行動を求めた7。さらに同派は12月にマスカットで捕虜交換交渉に臨み、総勢2,900名規模の交換合意に至った。フーシー派側が1,200名、国際承認政府側が1,700名を解放する本合意では、フーシー派がイスラーハ幹部ムハンマド・カフターン(Muḥammad Qaḥṭān)を解放することとなっている8。こうした信頼醸成措置が行われたものの、和平交渉の進展に寄与するかは不透明な部分が大きいと考えられる。サウディアラビアと調整を行ってきたとみられる米国が合意妥結を了承するか不明であるうえ、足元サウディアラビアは後述する南部情勢への対処に迫られているためである。
指導部への打撃および政策アジェンダの対内回帰を受けて、本四半期の軍事活動は行軍訓練等に留まった。ガンマーリー参謀総長の死亡を受け、後任には第5軍管区司令官ユースフ・マダーニー(Yūsuf al-Madānī, 少将)が指名された9。マダーニーも古参幹部であり、彼はフサイン・フーシーの娘と結婚していることで知られる。他方で、少なくとも公には第5軍管区司令官の後任は指名されておらず、勝利旅団司令官アキール・シャーミー(‘Aqīl al-Shāmī, 少将)等の名が取り沙汰されている。
10月に国連安保理の専門家パネルは、イエメン情勢の年次報告書を公表した。同報告書は専門家による報道の詳細分析、独自調査などを豊富に含んでおり、イエメン情勢の深部まで知ることができる貴重なものと位置づけられる。2024年版からの最大の変更点は、イエメン和平に関する文言がなくなったことであり、一層フーシー派に対してタカ派の内容となったといえる10。またフーシー派関連では、アリー・フサインの姉もしくは妹にあたるファーティマ・フーシー(Fāṭima Ḥusayn al-Ḥūthī)が女性諜報機関「ザイナビーヤート」に参加していると指摘しており、ファーティマの名が出たのは管見の限り初めてである11。加えて、2025年報告書はガザ紛争以降進んだフーシー派・過激派間の連携について、同派とソマリアの過激派「シャバーブ」間の人員の往来があり、ハドラマウト県で後者が武器調達を行っていると指摘した。なお国連安保理は11月14日、13カ国の賛成および中露2カ国の棄権を以って決議第2801号を採択し、イエメン関連の制裁を延長した12。
アリーミー政権派:アデン追放後のエスカレーションへの対応
外務大臣シャーイウ・ズィンダーニー(Shāyi‘ al-Zindānī)は、12月6日のドーハ・フォーラム公開セッションに出席した13。ズィンダーニーは同セッションにて、「基本的原因に取り組むことなく結果に対処することは、苦しみの期間を長引かせ、解決の道程を複雑にする」と述べた14。同フォーラムにはズィンダーニーのほか、サナア戦略学研究所のマージド・マズハジー(Mājid al-Madhḥajī)やマイサー・シュジャーアッディーン(Maysā’ Shujā‘ al-Dīn)、初代イエメン担当米国特使を務めたティム・レンダーキング(Timothy Lenderking)などがイエメン関係者として名を連ねた。
後述する南部移行会議の軍事作戦を受けて、大統領ラシャード・アリーミー(Rashād al-‘Alīmī)と首相サーリム・ビン・ブライク(Sālim bin Burayk)は12月5日にアデンを離れ、リヤドに避難した。同作戦の詳細は南部移行会議の項目に譲るが、端的に言えば、UAEの支援を受ける南部移行会議がサウディアラビアの支援を受けるアリーミー政権派を東部および南部から放逐した。アリーミーはリヤド退避後、12月7日に英仏大使および米国臨時代理大使らに東部情勢などを説明した15。翌8日には我が国を含むより多くの駐イエメン大使に対して、「南部移行会議の一方的措置を拒絶する」形で東部情勢などの説明会合を開いた16。
南部移行会議が東部からの撤退要求に応じない中、アリーミー政権派は大統領権限を行使することで圧力をかけようとした。アリーミーは12月30日に①ハドラマウト県・マフラ県からの全部隊の撤退および祖国の盾への拠点引き渡し、②両県知事に対する情勢管理の権限付与、③有志連合軍の許可を得た場合を除く72時間の陸海空全ての港における封鎖措置を盛り込んだ、90日間の緊急事態宣言を発出した17。さらに同日にUAEとの共同防衛協定を破棄したうえで、24時間以内にイエメン領からのUAE全部隊の撤退を命じる大統領令も発出18され、UAE側は展開する対テロ要員を撤退させる旨を表明した19。なお、この過程でサウディアラビア軍はUAEが南部移行会議支援のために送ったとみられる装甲車両の集積地(ムカッラー港)を空爆しており、サウディアラビア・UAEの外交上の論争に発展した20。
サウディアラビアが支援する弱い大統領と、UAEが支援する南部移行会議などの強い軍閥の争いは、内戦の比較的初期から見られた現象である。ガザ紛争期間中、こうした不和は一定程度鳴りを潜めていたが、イエメン内戦独自のダイナミクスが再駆動する中で、アリーミー政権派と南部移行会議の対立も再燃した形である。そして本事案は、国際社会が大統領指導評議会を支援する難しさを改めて露呈させたといえる。すなわち、(フーシー派側政府を承認するイランを除いて)国際社会はイエメン共和国の代表たる大統領指導評議会を支持し、反フーシー派勢力として機能することを期待して支援を行おうとしても、実態は大統領指導評議会内の勢力抗争で足並みが揃っていない。各勢力が自身の政治・軍事的目標にのみ終始しており、国際承認政府としての統合・合同的な軍事作戦や将来の政治構想を示せない状況では、国際社会は限定的な支援に留まらざるを得ないうえ、イエメン国民の支持を集めることはできない。
南部移行会議:「約束した未来」作戦による東部掌握
10月14日革命に際し、南部移行会議の最高指導者アイダルース・ズバイディー(‘Aydarūs al-Zubaydī)は、出身県であるダーリウ県にて記念演説を行った。ズバイディーは南部がフーシー派の脅威に対抗するパートナーであり続けると同時に、独立した国家再建の完全な権利を保持する旨の声明を発出した21。しかし、その後外務大臣ズィンダーニーがバハレーン紙『アフバール・ハリージュ』のインタビューにて二国家解決にかかる見解を問われると、彼は「実地ではこのような提議は存在しないと確信している」と発言した22。これを受けて南部移行会議は、ズィンダーニーの発言が「全体の立場を表明しない個人的な見解」であるとして拒否・非難する声明を発出した23。いわゆる「南部問題」の取り扱いを巡る国際承認政府内の不一致は継続しており、解決の糸口は見つかっていない。
そうした中、南部移行会議は11月下旬から東部2県(ハドラマウト県、マフラ県)の掌握を進めた。同月27日には南部移行会議系部隊が、同組織と連携するハドラマウト精鋭隊などが展開する県都ムカッラーに増援として到着した。同日にハドラマウト自治勢力「ハドラマウト部族連盟」およびその軍事部門「ハドラマウト保護隊」の最高指導者アムル・ビン・ハブリーシュ(‘Amr bin Ḥabrīsh)が軍事衝突への準備に言及し、県内の緊張が高まった。同隊は翌28日に県内の石油施設を掌握する動きを見せたものの、南部移行会議はハドラマウト部族連盟内の派閥争いを利用し、親UAE・南部移行会議派閥がハーリド・カスィーリー(Khālid al-Kathīrī)を連盟の代表に任命したため、連盟は分裂状態になった。
南部移行会議は増援を進め、12月2日には第1軍管区司令部がある県北部サイウーンへ向けた進攻を開始した。翌3日には「約束した未来」作戦と称する軍事作戦発動を宣言し、大きな抵抗を受けることなくサイウーン制圧を進め、大勢としてハドラマウト県主要部を掌握した。この作戦は県北部がフーシー派の密輸や過激派の温床となっており、過去数年にわたる自組織の要求が放置される中で看過できない状態に至ったことを大義に掲げている。第1軍管区隷下の国軍部隊はサイウーンからの撤退を開始し、4日にはハドラマウト保護隊についても、サウディアラビアの仲介による停戦合意があったものの事実上の敗北を喫した(ビン・ハブリーシュは後にリヤドへ撤退)。この事態を受け、5日にアリーミーや首相サーリム・ビン・ブライク(Sālim bin Burayk)がアデンのマアーシーク宮殿を離れ、リヤドに避難した。国営『サバ通信』は当初、アリーミーの避難を「情勢にかかる懇談のため」としていたが、後のリーク記事によれば、南部移行会議がアリーミーの誘拐を試みていたとされ、緊迫した情勢であったことが窺われる。翌6日にはマアーシーク宮殿近辺に展開していたサウディアラビア軍第802任務部隊も同宮殿を離れた。7日に南部移行会議はマフラ県都ガイダに到達し、主要部の掌握を進めた。またこの過程において、サウディアラビアが創設し後に大統領直轄部隊となったサラフ主義系武装組織「祖国の盾」も両県からの撤退を行った。
過去数年にわたり育成を進めてきた勢力が後退させられる中、12月12日にサウディアラビアはUAEとの合同代表団をアデンに派遣し、ズバイディーとの交渉に臨んだ[図1参照]。サウディアラビアは南部移行会議系部隊の撤退や祖国の盾部隊の再配置を求めたとみられるが、南部移行会議はハドラマウト県内への部隊展開を加速させ、交渉は失敗したとみられる。翌週18日には、サウディアラビアが南部移行会議に直接攻撃を行う可能性がある旨の警告を発したとされ、26日には空爆に踏み切った。サウディアラビアにとっては2022年3月から実に3年半以上ぶりのイエメン空爆となったが、山岳地帯かつ防空ミサイルを多数配備していたフーシー派に対する空爆と異なり、平地のハドラマウト県でかつ十分な防空装備を有していない南部移行会議に対する空爆は、効果を上げているとみられる。とはいえ本稿執筆時点(12月末)では、サウディアラビアと南部移行会議の具体的な落としどころは見つかっておらず、流動的な東部情勢は継続的な情勢監視を要する。また、前述のサウディアラビア軍によるムカッラー港空爆なども発生しており、サウディアラビア・UAE間の緊張も高まっている。
【図1:アデンでサウディアラビア・UAE代表団との会合に臨むズバイディー】
(出所)Dir‘ al-Janūbより引用
なぜこの時期に南部移行会議は「約束した未来」作戦の発動に踏み切ったのであろうか。本稿執筆時点では明らかになっていないことも多いが、2つの要因が考えられる。1つ目はサウディアラビア系勢力がハドラマウト県北部において部隊の増強を続けていたことである。前提として「約束した未来」作戦は、2022年以降サウディアラビアとUAEが東部2県、とりわけハドラマウト県で展開してきた競争の延長上に位置付けることができる。サウディアラビアは2022年に祖国の盾を創設・育成した後、2023年に同組織を大統領直轄部隊とした。その後も潤沢な資金・装備を持つ同組織は増員を続け、第2・第3師団隷下の一部部隊がハドラマウト県北部やマフラ県に展開していた。また2024年12月以降武装化を進めたハドラマウト部族連盟に対しても、サウディアラビアは国防大臣ハーリド・ビン・サルマーン(Khālid bin Salmān)が早期にビン・ハブリーシュと接触することで取り込む動きを見せた。これらは南部統一に向けて東進する南部移行会議やそれを支援するUAEに対抗することを目的としていた。すなわち、南部移行会議にとってはいわゆる「機会の窓」が閉じられつつあったとみなすことができよう。
2つ目は、サウディアラビアとUAEの競争の視点である。サウディアラビア皇太子ムハンマド・ビン・サルマーン(Muḥammad bin Salmān, MbS)は、11月に米国に渡航し、大統領ドナルド・トランプ(Donald Trump)と会談した。この会談でMbSは、トランプにスーダン紛争の終結にかかる関与を要請したとされる。スーダン紛争はいわゆる「国際化した内戦(internationalized civil war)」であり、サウディアラビアがスーダン国軍(SAF)、UAEが即応支援部隊(RSF)を支援する構造となっている。そのため、UAEとしてはスーダン方面でサウディアラビアに圧力をかけられたため、対抗的にイエメン方面で圧力をかけたという見方が存在する。実際に南部移行会議がUAEへの事前の協議・承認受けをすることなくここまで大規模な軍事作戦を実行するとは考えにくく、この見方にも一定の説得力があろう。
「約束した未来」作戦により、軍事的には南部移行会議は南部独立に向けて大きく前進したといえる。しかし政治的な観点では、南部独立を支持している国はなく、国際的な承認を得る形で独立を宣言できる段階には至っていないと考えられる。またサウディアラビアやアリーミー政権派の反応も強硬である。加えて、ビン・ハブリーシュ率いるハドラマウト自治勢力や、サウディアラビア・UAE軍の撤退を求めてきたマフラ県の部族長アリー・フライズィー(‘Alī Sālim al-Ḥurayzī)らの存在が示すように、東部には南部移行会議やその後ろ盾となってきたUAEに反感を持つ層が一定数存在し、「南部の総意」として独立が受容されているわけでもない。実際に作戦発動から1カ月近く経過しても南部独立は宣言されていないだけでなく、ズバイディーを筆頭に3名の南部移行会議系副大統領は大統領指導評議会を辞任していない。外務副大臣ムスタファー・ヌウマーン(Muṣṭafā Nu‘mān)によれば、米国政府と直接コミュニケーションを取ろうとするズバイディーの試みは失敗した24。もちろん南部移行会議が国際承認という合理性を無視して独立を宣言する可能性は否定しきれるものではないが、サウディアラビアやアリーミー政権派との軍事衝突を含めた対立加速は避けられない。
国民抵抗軍:ドバイ・エアショーにおけるUAE製装備品の視察
国民抵抗軍最高指導者ターリク・サーレハ(Ṭāriq Muḥammad Ṣāliḥ)は、11月に国連気候変動枠組条約第30回締約国会議(COP30)およびドバイ・エアショーに出席した。サーレハは同ショーにて、UAE防衛企業大手EDGE社製の精密誘導弾「Rash-3H」や、火災消火などの民間防衛用途で用いられるMMJ Security &Safety社製UAV「シャーヒーン」などを視察した25。
サーレハの東部・南部情勢を巡る立場は、サウディアラビア・UAE間の緊張の高まりに沿って変動しているように見受けられる。12月初旬に開かれた国民抵抗軍の年次会合にて、彼は東部で起きたことが「作戦領域の再編成」であると述べた26が、これは南部移行会議への非難を避けた発言であるとしてイスラーハの反発を招いた27。その後サーレハはリヤドを訪問し、アリーミーやサウディアラビア指導部と会合したと報じられている28。12月11日にサーレハとズバイディーは電話会談を行い、公式報道ではフーシー派やアル=カーイダに対抗する諸勢力間の調整レベルを引き上げることなどについて議論したとされるが、実際にはサウディ・UAE訪問団のアデン入りに先立ってサウディアラビアの意向を伝達した可能性がある29。しかし、12月30日にアリーミーが緊急事態宣言を発出すると、この宣言やUAE軍の撤退等が大統領指導評議会および大統領等の権限を定めた「権力移譲宣言」に違反しているとの共同声明に名を連ねた30。この声明はUAEの支援を受ける副大統領4名(ズバイディー、サーレハ、アブー・ザラア、バフサニー)によるものであり、大統領指導評議会メンバーの合意に基づかない決定や、大統領にUAE軍を追放する権限の有無を巡る非難を展開した。しかし、前大統領アブドゥラッブ・ハーディー(‘Abd Rabbuh Manṣūr Hādī)が2022年4月7日に自身のFacebook上で公表した「権力移譲宣言」全文を読む限り、第1条ザーイ項7号において非常事態宣言の発出は大統領の権限として認められている31。例外として、大統領指導評議会の3分の2以上の多数が反対した場合はこの限りではないが、前述の4名の反対ではこの条件も満たさない。
10月20日に『AP通信』は、紅海沖に浮かぶズカル島に滑走路が建設されたと報じた32。いずれの勢力も関与を公言していないが、4月からドック建設が始まり8月下旬までにはアスファルト舗装が行われた。またこの報道によれば、ドバイ拠点企業の登録船舶(トーゴ船籍)が、DPワールド社の拠点であるソマリアのベルベラ港から出港してズカル等の新ドック付近で約1週間停泊していた。UAEは過去にマイユーン島(ペリム島)、アブドゥルクーリー島などで滑走路を建設してきたとみられるため、UAEが関与している可能性は高い。イエメン領島嶼部に建設された滑走路・港湾施設は、紅海・アデン湾等におけるUAE軍の情報収集能力や、イエメン等での組織支援にかかる兵站能力の向上に寄与すると考えられる。
衛星画像判読:イスラエル軍によるサナア国際空港攻撃と復旧作業
2025年4月~6月期の「イエメン情勢クォータリー」でも紹介した通り、イスラエル軍はサナア国際空港を対象として5月に2度の大規模な空爆を実施した。この空爆により、サナア国際空港の設備は被害を受けるとともに、「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」の調査では同空港に駐機していた「イエメニア航空」等の航空機計8機が破壊された33。本稿では、2025年6月15日に撮像された同空港の衛星画像を用いて、これらの被害や復旧作業について簡易な判読を試みた。
サナア国際空港は大型機が離着陸可能な南北に伸びる3,200m級の滑走路を持ち、滑走路東部に誘導路やターミナルを置く構造である[図2参照]。同空港は2015年のサウディアラビア主導有志連合軍による軍事介入から攻撃の対象となってきたほか、フーシー派がレーダーおよびミサイル発射拠点として用いてきたとみられている。本稿では空港を①上部(黄色枠線内)と②下部(赤色枠線内)に分け、それぞれより詳細に判読を進める。
【図2:サナア国際空港の全景(2025年6月15日撮像)】
(注)枠線および番号は筆者の加筆によるもの。
(出所)Google Earth Proより引用
①上部では滑走路・誘導路ともに空爆を受けた痕跡があり、特に誘導路には空爆で生じたとみられるインパクトクレーターが2箇所視認できる[図3参照]。滑走路については、空爆により舞い上がったとみられる砂塵スポットが複数箇所あり、その中心部のみ周辺の路面と比べて黒いことが分かる[図3参照]。これは空爆直後からサナア国際空港当局が復旧作業を進めていたため、インパクトクレーターの補修部分、すなわち被害滑走路即応補修(Rapid Airfield Damage Repair: RADR)による修復跡であると考えられる。航空機の被害では、空港北東部の燃料タンク群付近に駐機していた2機に加え、メインの駐機場でイエメニア航空機等の破壊が確認できる[図4および図5参照]。
【図3:サナア国際空港上部の被害・補修状況(2025年6月15日撮像)】
(注)テキストおよび矢印は筆者の加筆によるもの。
(出所)Google Earth Proより引用
【図4:空港北東部の破壊された航空機(2024年8月10日撮像/2025年6月15日撮像)】
(注)枠線は筆者の加筆によるもの。
(出所)Google Earth Proより引用
【図5:破壊されたイエメニア航空機(2024年8月10日撮像/2025年6月15日撮像)】
(注)テキストおよび矢印は筆者の加筆によるもの。
(出所)Google Earth Proより引用
②下部においても、誘導路にはインパクトクレーターが見られる一方、滑走路では修復作業が行われた形跡がある。下部は上部と比べて構造物が多く、それらに対する被害が見られた。まずターミナル部および隣接する管制塔は、全壊に近い被害を受けたとみられる[図6参照]。これらの南西に位置する構造物については、破壊されたものと目立った被害を受けていないものがあり、イスラエル軍が対象を絞って精密爆撃を行ったと考えられる[図6参照]。
【図6:サナア国際空港の構造物に生じた被害(2024年8月10日撮像/2025年6月15日撮像)】
(注)テキスト、矢印および枠線は筆者の加筆によるもの。
(出所)Google Earth Proより引用
「イエメン情勢クォータリー」の趣旨とバックナンバー
アラビア半島南端に位置するイエメンでは、2015年3月からサウディアラビア主導の有志連合軍や有志連合軍が支援する国際承認政府と、武装組織「フーシー派」の武力紛争が続いてきた。イエメンは紅海・アデン湾の要衝バーブ・マンデブ海峡と接しており、海洋安全保障上の重要性を有している。しかしながら、イエメン内戦は「忘れられた内戦」と形容され、とりわけ日本語での情勢分析は不足している。そのため本「イエメン情勢クォータリー」シリーズを通して、イエメン情勢に関する定期的な情報発信を試みる。
◆ バックナンバー
- 𠮷田智聡「8年目を迎えるイエメン内戦-リヤド合意と連合抵抗軍台頭の内戦への影響-」『NIDSコメンタリー』第209号、防衛研究所(2022年3月15日).
- ———「イエメン情勢クォータリー(2023 年 1 月~3 月)-イラン・サウディアラビア国交正常化合意の焦点としてのイエメン内戦?-」『NIDSコメンタリー』第258号、防衛研究所(2023年4月20日).
- ———「イエメン情勢クォータリー(2023 年 4 月~6 月)-南部分離主義勢力の憤懣と「南部国民憲章」の採択-」『NIDSコメンタリー』第266号、防衛研究所(2023年7月18日).
- ———「イエメン情勢クォータリー(2023年7月~9月)-和平交渉の再開とマアリブ県で高まる軍事的緊張を読み解く-」『NIDSコメンタリー』第281号、防衛研究所(2023年10月19日).
- ———、清岡克吉「イエメン情勢クォータリー(2023年10月~12月)-国際社会に拡大するフーシー派の脅威と海洋軍事活動の活発化-」『NIDSコメンタリー』第295号、防衛研究所(2024年1月26日).
- ———「イエメン情勢クォータリー(2024年1月~3月-10年目を迎えたイエメン内戦とフーシー派の支持拡大-」『NIDSコメンタリー』第308号、防衛研究所(2024年4月12日).
- ———「イエメン情勢クォータリー(2024年4月~6月)-フーシー派による軍事的エスカレーションの継続と国内統制の強化-」『NIDSコメンタリー』第341号、防衛研究所(2024年7月23日).
- ———「イエメン情勢クォータリー(2024年7月~9月)-「9月21日革命」10周年を迎えたフーシー派の新地平-」『NIDSコメンタリー』第356号、防衛研究所(2024年10月18日).
- ———「イエメン情勢クォータリー(2024 年10 月~12 月)-フーシー派の対外攻撃再拡大と中東情勢の変化による同派への影響-」『NIDSコメンタリー』第361号、防衛研究所(2025年1月24日).
- ———「イエメン情勢クォータリー(2025年1月~3月)-第2次トランプ政権の発足で変貌するイエメン情勢の景観-」『NIDSコメンタリー』第373号、防衛研究所(2025年4月28日).
- ———「イエメン情勢クォータリー(2025年4月~6月)-米国・フーシー派間の停戦とイラン・イスラエル間の停戦は何を変えるか-」『NIDSコメンタリー』第390号、防衛研究所(2025年7月25日).
- ———「イエメン情勢クォータリー(2025年7月~9月)-イスラエルの斬首作戦で猜疑心を強めるフーシー派-」『NIDSコメンタリー』第404号、防衛研究所(2025年10月21日).
Profile
- 𠮷田 智聡
- 理論研究部社会・経済研究室 研究員
- 専門分野:
中東地域研究(湾岸諸国およびイエメンの国際関係・安全保障)、現代イエメン政治