NIDSコメンタリー 第410号 2025年12月19日 J-15レーダー照射事案にみる中国軍の組織文化――アンプロフェッショナルな振る舞いはなぜ続くのか?
- 地域研究部 米欧ロシア研究室
- 相田 守輝
はじめに
2025年12月6日、沖縄南東の公海上空において、対領空侵犯措置任務に就いていた航空自衛隊F-15戦闘機が、人民解放軍(PLA)海軍空母「遼寧」から発艦したJ-15戦闘機によってレーダー照射を受けた。防衛省は翌7日早朝に事実を公表し、「航空機の安全な飛行に必要な範囲を超える危険な行為」であるとして中国側に抗議した1。
本事案については、一部のメディアによると専門家によって「火器管制レーダー(Fire Control Radar:FCR)による照射と判断される」と分析されている2。FCR照射とは、空対空ミサイル射撃の直前のパイロット操作であり、緊張が高まっている国家間では、敵対行為へ直結し得る重大な行為である。
興味深いのは、このレーダー照射事案をめぐる中国側の反応が、発生直後から一貫した説明を欠き、内部の説明が錯綜していた点である。まず12月7日昼、PLA海軍の報道官は、本事案について「日本側が中国側の通常訓練を妨害した3」と主張し、問題の所在を日本側の行動に転嫁する姿勢を示した。続いて同日夜、中国国防部も公式の会見では、遼寧艦隊の訓練は通常行動であり、日本側が妨害したと反論するにとどまり4、肝心のレーダー照射行為そのものには頑として踏み込まなかった。ところが翌12月8日になると、国務院外交部報道官が、中国側が使用したのは「捜索レーダー」であると説明したのである5。
ここで注目すべきは、捜索レーダーとは軍用・民間を問わず、航空機運用において常時使用されている一般的な装備であり、その作動自体をあえて説明する必要性は本来ないことにある。にもかかわらず、外交部が「捜索レーダー」と特定して言及したことは、日本が抗議している指摘を回避しようとする意図がうかがえる。
一方、軍事的な実行主体であるPLAは、事件発生直後からレーダー照射の有無・種類について一切触れようとしなかった6。結果として、「捜索レーダー」に言及した外交部が、「日本の戦闘機による接近こそが問題だ7」と論点を転じる皮肉な構図が浮かび上がり、こうした外交部の不自然な説明が疑念を払拭するどころか、日本側の指摘を暗黙の前提とした釈明であるかのような印象を、かえって国際社会に与えることになった。
しかし、本事案の核心は、こうした政治的応酬そのものにはない。問題の本質は、敵対行為へ直結し得るレーダー照射が、約30分間という長時間にわたりPLA海軍航空兵によって継続されたという事実にこそある。これほど執拗な照射は国際的にみても非常識であり、軍事組織の矜持から著しく逸脱したアンプロフェッショナルな振る舞いと評価せざるを得ない。
筆者は、このアンプロフェッショナルな振る舞いを「単発の事象」として扱うべきではないと考える。むしろ、次のような過去の事例と連続した事象として理解されるべきと考える。
- 2001年のJ-8戦闘機による米海軍EP-3哨戒機への衝突事故
- 2014年のJ-11戦闘機による米海軍P-8哨戒機へのバレルロール機動による威嚇
- 2022年のJ-16戦闘機による豪軍P-8へのチャフ散布
これらはすべてPLA海軍航空兵によって行われており、以下で詳しく述べるように、明確な制度的・文化的連続性の上に位置づけられる。すなわち、今回のレーダー照射は、彼らに根付く行動文化が生み出した構造的現象として理解していかねばならない。
以上の前提に立ち、本稿ではまず、①今回のJ-15レーダー照射事案、および②2001年の海南島EP-3衝突事件の概要を整理する。そのうえで、こうしたアンプロフェッショナルな振る舞いがPLA海軍航空兵内部でいかに再生産されてきたのか、その制度的・文化的メカニズムを明らかにする。検討にあたっては、中国の資料やパイロット教育に関するPLAのドクトリン教範を用いながら分析し、必要に応じて、欧米での議論や報道も参照する。
1.J-15戦闘機によるレーダー照射事案の概要
(1)発生日時等の概要
2025年12月6日、沖縄本島南東の公海上空において、日本の防空識別圏(ADIZ)内で、中国空母「遼寧」から艦載機J-15戦闘機が発艦・飛行したことを受け、航空自衛隊のF-15戦闘機が対領空侵犯措置としてスクランブル発進した。その対応過程において、当該空域でJ-15戦闘機が航空自衛隊F-15に対し、二度にわたりレーダー照射を行う事案が発生した。第1回目は16時32分頃から16時35分頃までの約3分間で、J-15が断続的に照射したことが確認されている。より深刻なのは同日18時37分頃から19時08分頃にかけて発生した第2回目であり、別のF-15に対して約30分間もの長時間にわたり照射が継続された点である8。
(2)レーダー照射の技術的意味
本事案については、上述のとおり、一部のメディアでは専門家によって「FCR照射と判断される」との分析が示されている9。FCR照射は、射撃統制システムが特定の目標を捕捉し、ミサイル誘導の準備状態に入ったことを意味することから、「敵対意思の表明」とみなされる。したがって、同一日・同一空域で二度発生し、そのうち一回が30分以上続くという事例は国際的にも極めて非常識であり、アンプロフェッショナルな振る舞いと言わざるを得ない。
(3)分析
J-15がFCRを照射したならば、重要な電磁情報が相手側に暴露されてしまうため、これをパイロット個人の判断による暴走とみることは現実的ではないだろう。他方で、習近平中央軍事委員会(CMC)主席がこの種の細部まで指示したとも考えにくい。したがって、本事案は政治指導と現場判断の中間にあたる「曖昧な領域」において意思決定されたと捉えるのが妥当であろう。だが、この曖昧な領域こそが、PLA海軍航空兵のアンプロフェッショナルな振る舞いを理解する際の核心となる。明確な統制基準が存在しない環境では、パイロットや現場指揮官が参照するのは組織内で蓄積された文化や慣行であり、その行動は文化的規範によって決定される傾向にある。
この点を理解するために、2001年の海南島EP-3衝突事故を改めて振り返る必要があろう。
2.海南島EP-3衝突事件の概要
PLA海軍航空兵のアンプロフェッショナルな振る舞いを理解するうえで、2001年4月の海南島EP-3衝突事件は決定的に重要である。筆者自身、那覇基地で戦闘機パイロットとして生涯初の対領空侵犯措置任務に就きはじめた直後に海南島EP-3衝突事件が発生したこともあり、強い印象とともに記憶に残っている。米海軍が公開した当該事故映像は現在もインターネット上で広く視聴可能であり、当時の状況を理解するためにも一度確認されることを勧めたい10。
2001年4月1日、米空軍嘉手納基地から飛び立った米海軍の電子戦哨戒機EP-3が、中国の海南島から南南東約100kmの公海上で偵察飛行中に、PLA海軍航空兵の2機のJ-8戦闘機によってインターセプトされた。このJ-8編隊はEP-3に接近し、行動の監視を行っていたが、このうちの1機がEP-3に異常に接近したために双方が接触する結果となった。異常接近したJ-8は大破して南シナ海に墜落し、搭乗していたパイロットの王偉は行方不明となった11。米海軍のEP-3もプロペラや機体を大きく損傷したために飛行が困難となり、辛うじて中国領内である海南島の陵水軍用空港に緊急着陸する事態にまで発展した。
衝突に至る経緯は、次のとおりである。ターボプロップ機のEP-3の巡航速度は、ジェットエンジンを搭載するJ-8にとっては低速域に該当するため、J-8はフラップを下げて低速のEP-3に並走を試み、パイロット王偉はEP-3に退去するようシグナルを送り続けた。公開映像を見れば理解できるが、J-8は失速ぎりぎりの状態に陥っており、機体を完全に操縦できなくなった状態でEP-3の左下部へ急接近し、プロペラエンジンや機種に衝突していった挙句、J-8だけが墜落した12。
J-8の迎角は過大となり、推力が不十分なまま操縦の応答性が失われていく通称「バックサイド領域」に陥っていたことは、世界中のパイロットからみれば一目瞭然である。J-8の挙動は完全に航空力学的な限界を超えており、当時の米海軍ブレア提督が指摘するとおり、事故の原因はパイロットの未熟な操縦技量による自損事故と言える13。いわば、あおり運転した車が自損事故を起こすのと同じ構図だったのである。
3.J-8自損事故が“英雄物語”に変換された瞬間
海南島EP-3衝突事件の直後、江沢民をはじめとする中国共産党指導部はこれをJ-8による自損事故とは認めず14、責任は米国にあると激しく非難し15、墜落死したパイロット王偉を“烈士”として英雄化していくことになる16。
やがて記念碑が建てられ、学校教育にも取り入れられることで、その語りは「危険を恐れぬ勇敢な殉国者」として国家的記憶に固定化されていった17。ここで重要なのは、危険な飛行であったとしても、それが「勇敢さ」や「対外闘争精神」と結び付けられて肯定的に評価される価値観が形成された点である。この価値観は、アンプロフェッショナルな振る舞いであっても「愛国的実践」として正当化する思考枠組みを生み出し、結果として、後のPLA海軍航空兵において危険な飛行を忌避するのではなく、むしろ称揚・奨励する行動文化を形成していった。
さらに、この規範形成はPLA全体に流れるエートス(ethos)とも深く結びついている18。PLAは朝鮮戦争期に「犠牲を恐れず」、「死を恐れず」といった価値観を共有し19、危険に身を投じること自体を美徳としてきた20。パイロット養成に関するPLAドクトリン教範においても強調されているように、こうした価値観はPLAパイロットの矜持として組み込まれていったのである21。
このように、リスク認知の構造自体に歪みが生じた結果、危険回避よりも「勇敢さ」を優先する価値観が奨励され、EP-3事件の英雄化によって外国機に対するアンプロフェッショナルな振る舞いが制度的に根付いていったのである。
4.アンプロフェッショナルな振る舞いを再生産するメカニズム
こうした文化的メカニズムを背景に、EP-3事件以降もPLA海軍航空兵は同様の危険な飛行を繰り返してきた。
例えば、2014年7月にはJ-11戦闘機が米海軍P-8哨戒機のすぐ上をバレルロール機動で通過し22、威嚇した事案が発生した。米国防総省は、ジョン・カービー海軍提督(報道官)の記者会見(2014年8月)を通じて、詳細を公表して中国側を非難した。カービー提督によると、事件は海南島の東135マイル(217km)の国際空域で発生した。PLA海軍航空兵のJ-11は「P-8の下を、わずか50~100ft(15~30m)の間隔で1回通過した。J-11はまた武装を誇示しながら再び通過し、その後も、J-11はP-8の真下と並走しながら、翼端間隔が20ft(6m)以内になるまで接近し、その後P-8の上をバレルロール機動しながら、45ft(14m)以内を通過した23。
2022年から2025年にかけては、PLA海軍航空兵の戦闘機が、豪州軍P-8の前方に意図的にチャフ24を散布するという事案や異常接近事案が複数発生した25。ジェットエンジンが金属片を吸引した場合の危険性を熟知していながら、あえてその行為を行う点で、これは極めて悪質な嫌がらせ行為である。また、2023年にはカナダ軍CP-140哨戒機に対する異常接近事案も同様に確認されている26。
時期、場所などが異なるにもかかわらず、行動の性質と方向性が驚くほど一致して現れるのは、PLA海軍航空兵の振る舞いが偶発ではなく、組織内部に根付いた文化的・制度的メカニズムに支えられていることを示している。
こうした事案が起こるたび、それらが中国による対外示威活動であったと説明され、さらに「政治的シグナル」として解釈されることが多いが、それだけでは説明しきれず、アンプロフェッショナルな危険飛行そのものが、「正しい行動」として評価される文化的な慣性が、PLA海軍航空兵に根付いていることが主要因と見るべきである。言い換えれば、英雄物語となった王偉の殉職、死をも恐れぬ精神の強調が、組織内の暗黙の価値観と結びつき、PLA海軍の行動様式を形成しているのである。
さらに、制度的要因も彼らの行動様式を後押ししていると考えられる。PLA海軍航空兵においては、艦隊指揮系統・航空兵力・戦区と三層に指揮系統が跨ることがあるため、交戦規定(ROE)を明確に設定することが難しくなることが考えられる。そのため、彼らの命令は抽象化しやすく、行動の「上限」だけが強調される傾向にあるだろう。そのような環境下では、現場の飛行部隊は抑制した行動を採用するよりも好戦的な行動を採用する傾向にあるだろう。しかも、PLA海軍航空兵によるこれまでの危険な飛行に対して、内部で処分が下された形跡はほとんど見当たらず、むしろ対外的に強硬であった者が評価される事例が、暗黙の慣例となってきた可能性が高い。
その結果、危険な飛行を行わないことよりも、危険な飛行を行ったほうが組織内で報われるという逆転したインセンティブ構造が生まれている。この構造こそが、PLA海軍航空兵におけるアンプロフェッショナルな危険飛行を制度的に再生産してきた根幹なのである。
おわりに
本稿で明らかにしたのは、PLA海軍航空兵による危険飛行が、組織内部で共有されてきた文化的規範と制度的慣行によって再生産されているという点である。王偉の殉職に象徴される英雄物語は、危険を顧みない行動を肯定的に評価する価値観を形成し、それが現場の判断や行動選択に影響を及ぼしてきた。
しばしば、中国によるこの種の危険な軍事行動は、「政治的シグナル」や「対外示威」といった外向けの意図に還元して語られる。しかし本稿で検討したように、そのような指摘だけでは十分ではない。むしろ、PLA海軍航空兵の内部で共有される文化的規範、英雄物語が育んだ価値観が権威主義体制と結びつくことで、アンプロフェッショナルな振る舞いが不可避の構造的行動として再生産されている点こそが重要である。
かつて中国研究者のアラステア・イアン・ジョンストンは、中国には歴史的に「武力を用いることを正当な政策手段と捉えやすい考え方」が根付いていると指摘した27。彼の議論は国家レベルの戦略文化を扱うものであるが、そのような価値観が時間をかけて軍組織の文化に浸透し、現場の行動様式として表出することは不自然ではない。
PLA海軍航空兵に見られる危険飛行もまた、国家レベルで形成された考え方が、組織文化を媒介として運用レベルに沈殿した結果と理解することができる。さらに、このような構造は、軍種や兵科の違いはあるにせよ、PLA全体に通底する行動文化の一端をなしていると考えられよう。実際、2013年1月には、PLA海軍の艦艇が海上自衛隊の護衛艦に対してFCRを照射する事案も発生しており、同様の行動様式が航空分野に限られた現象ではないことが示されている28。
この観点に立てば、J-15による長時間のレーダー照射事案は決して異例の現象ではなく、PLAの文化的慣性が最も分かりやすい形で表出した事例である。問題の根源は個々の行為の是非ではなく、それを可能にし、正当化し、時に美化すらする組織文化である。
周辺諸国が直面している課題も、まさにこの点にある。PLAが今後も同様のアンプロフェッショナルな振る舞いを繰り返す可能性は高く、従来のように双方向の危機管理メカニズムだけに依拠する対応では限界が生じつつある。あおり運転に対して非難するだけでは不十分であるのと同様に、こうした危険飛行もまた、組織文化と制度構造が生み出す再発性の高い行動である以上、映像等の証拠の記録、国際社会への可視化、カウンターディスコースの構築、新たな対処基準などを含む中長期的なリスク管理体制を整備していく必要があるだろう。
Profile
- 相田 守輝
- 地域研究部米欧ロシア研究室所員
- 専門分野:
中国をめぐる安全保障