NIDSコメンタリー 第406号 2025年11月7日 朝鮮半島における大国のバック・パッシング——ロシアと北朝鮮の提携
- 地域研究部アジア・アフリカ研究室長
- 渡邊 武
はじめに
ロシアは米国の軍事的圧力を中国に押し付ける戦略、すなわちバック・パッシング(Buck-passing)の選択肢を持っている。それが、北朝鮮に軍事技術を支援する理由となり得る。北朝鮮が情勢をエスカレートする能力を持つほど、米国の軍事力を引きよせる危機が発生しやすい。中国は東アジア全体で対米競争を展開しているが故に、それに無関心ではいられない。米中を巻き込む朝鮮半島での危機の結果、欧州正面での米国の軍事的圧力が後退するならば、それはロシアにとってバック・パッシングである。
朝鮮戦争を中国に押し付けたスターリン
ソビエト連邦(現ロシア)は、朝鮮戦争で中国へのバック・パッシングに成功したのだろう。中国が参戦決定をソ連大使に伝達したのは、1953年10月13日のことであった。実はこれは、スターリンが金日成に国外逃亡するよう伝えた翌日のことだった。中国単独での参戦に抵抗していた毛沢東に対し、スターリンは北朝鮮が消滅することになろうともソ連軍は送らないとの決意を再確認したのだった。中国はその直後に参戦を最終決定したことになる1。
つまりスターリンは、米軍との直接対決を中国に押し付けた。もともとの中国は朝鮮戦争を「内戦」とみなし、自らが戦うべきと捉えていなかったが2、ソ連はそれを参戦に変えさせたのである。変化のカギとなったと考えられるのは、スターリンが意図的に作り出した米中の二極構造だった。
朝鮮半島は当初、多極の戦域だった。中国と米軍との間に北朝鮮が存在しソ連が参戦する可能性も残されていたからである。多極構造では対決相手と自分以外に第三の勢力が存在し、その勢力に対決をバック・パッシングする余地がある。中国の認識において朝鮮戦争は半島を経由する米軍侵攻(「三路向心迂回」戦略3)だったともされるが、当初は北朝鮮にこれをバック・パッシングして済む可能性すらあり得た。
ところが北朝鮮が消滅に向かっただけでなく、ソ連も米軍を止めないとなれば、状況は一変する。朝鮮半島で対決するのは実質、米国と中国だけとなる。中国は自ら以外に米軍と対決する勢力がいない1対1の二極構造に陥り、スターリンの望み通り参戦するしかなくなったのだった4。
スターリンは朝鮮戦争について、中国を戦いに引き込み、米国が欧州から引き離され力を消耗するとの期待を述べている5。そうだとすればスターリンが目指したことは、中国の犠牲で米国の軍事力を低下させることであり、それは米軍を中国にバック・パッシングする戦略といってよい。
二極構造の再浮上
朝鮮半島で中国と米国が競合しやすい二極構造、それがいま、東アジア全体で再浮上している。北朝鮮は健在であるが、中国が大国として浮上した。米中の間には第三の大国は存在しないため、中間にある地域で起きる出来事はいずれも、両大国が競合する問題として互いに関心を抱くものとなる6。つまりロシアが北朝鮮の軍事技術を支援すれば、米国の軍事力が引き込まれ中国が対抗するような危機のエスカレーションが引き起こされやすくなる。その結果、米国の焦点が欧州や中東から離れ、東アジアに集中するならば、それはロシアにとって米国の圧力を中国にバック・パッシングしたことになる。
実際、中国は大国化するにつれて朝鮮半島での米国との競合を意識するようになった。中国による朝鮮半島での平和体制(朝鮮戦争の平和協定を中心とする国際体制)の主張にそれが現れている。
中国が平和体制に期待する効果はおそらく、国連軍司令部などの朝鮮戦争以来の米軍プレゼンスの正当性を弱めることであろう。この動きは10年余り前から現れ始めた。まず、2008年5月27日に中国外交部スポークスマンは米韓同盟のことを「歴史の遺物」だと明言し、地域の安全保障メカニズムと代替されるべきと述べた。「同盟」全般を遺物とするのは従前からのイデオロギーであるが、米韓同盟を特定して遺物扱いする姿勢はそれと同一ではない。朝鮮半島で明白に米軍に反対する側に立つ――それは1970年代の米中接近後、冷戦期においてさえ中国が表明しない立場だった。
それが現在の双軌並行(または並行推進)、すなわち朝鮮半島の非核化と平和体制を同時に推進するとの主張7につながっていく。北朝鮮の核脅威の進展を踏まえるなら、非核化が先の課題である。しかし、米韓が戦域高高度地域防衛(THAAD)導入の議論を開始して数日後8、中国は平和体制の議論も平行するとして優先順位を引き上げたのであった9。この経緯は中国の平和体制が米軍プレゼンスの強化に対抗して提起されたと疑わせる。やがて中国外交副部長は平和体制を主張するにあたり実際に、THAADを理由として米韓同盟を改めて遺物扱いしたのであった10。
エスカレーション能力への支援
中国は朝鮮半島でも米軍プレゼンスを対抗すべきものと認識するようになった。そのとき北朝鮮が危機をエスカレートし米軍増強を招くなら、中国はそれを自らへの脅威と捉えることになろう。北朝鮮のエスカレーション能力をロシアが支援すれば、米中の対立が引き起こされやすくなる。ロシアが米国の軍事力を中国にバック・パッシングする戦略につながる。
過去におけるロシアは、北朝鮮による米韓軍との対峙を支援しても自らの戦略に利益となると見なしていなかった。例えば、北朝鮮はロシアのSu-35戦闘機を取得できずにいたが、その理由は価格であったと言われる11。新鋭機の提供が代金次第であったとすれば、米韓軍と対決する北朝鮮の能力がロシアにとって戦略的に重要ではなかったことになろう。
しかしそのようなロシアの姿勢は、ウクライナへの侵攻で苦境に陥った後に変化する。プーチン大統領は金正恩に、極東ロシアの航空機工場でSu-35の飛行テストを見学する機会を与えた(2023年9月)12。このときの露朝首脳会談がロケット発射場で行われたことは、北朝鮮が目指す偵察衛星網の構築への支援を強く示唆する。これは北朝鮮による核先制の脅しに信ぴょう性を与えていくことにもなろう。
どちらかと言えば不拡散に傾いていたロシアが、なぜ北朝鮮に危機をエスカレートする能力を与えるようになったのか。北朝鮮を利用して米国の軍事的関心を極東にいっそう集中させるバック・パッシングであれば合理的な説明が成り立つ。北朝鮮自身に統制困難なほどの事態に陥っても、そこには中国がいる。中国が米国の軍事力を受け止める2極の大国間競争があればこそ、ロシアは自らが巻き込まれる不安なく北朝鮮の軍事能力を強化できるのである。
支援すれども来援せず:バック・パッシングとしての提携
ロシアがバック・パッシング戦略を持っている場合、露朝の相互防衛条約(パートナーシップ条約)13における義務も限定せねばならない。北朝鮮が自ら米韓と軍事衝突しかねない危機において、ロシア軍が来援する約束をしてはならない。あくまで北朝鮮と中国に朝鮮半島の米軍と対決をさせねば、バック・パッシングが成立しない。
従って、露朝条約がロシア軍の朝鮮半島への進出につながることは、おそらくない。この条約による相互防衛は締結国が第三国の領域に攻撃をして起こした紛争を対象としない、と北朝鮮も理解しているように見える。
朝鮮労働党中央軍事員会は、クルクス州への派兵を初公表した際、「ロシア連邦内」での北朝鮮の軍事活動は「国連憲章をはじめとする国際法」および露朝条約に合致するとの文書を発した。同じ文書で中央軍事委員会は、「特別軍事作戦」にも言及しているが、それについては国連憲章による正当化をせず、クルクス州での作戦と区別している14。
これはウクライナ領土を侵略する「特別軍事作戦」も国連憲章(51条、集団的および個別的自衛権)で正当化してきたプーチン大統領の立場と異なる。北朝鮮はロシアに強い政治的な支持を表明したものの、その根拠として国際法を引用してこなかったのである15。露朝条約署名に至り、北朝鮮は公式には初めて「特別軍事作戦」に直接言及する形でのロシア支持を表明したが、それは「朝鮮民主主義人民共和国政府と人民の全的な支持と連帯性」にすぎず、やはり国際法上の正当化ではなかった(2024年6月)16。
露朝条約4条は「武力侵攻を受け」発生する事態を相互防衛の対象としており、北朝鮮はその文言とあからさまに矛盾しないクルクス州への派兵だけを国連憲章に合致すると述べた。国連憲章51条の自衛権は4条の根拠でもあり、それをもって他国領域への侵攻を正当化するプーチンの見解を認めれば、将来のロシアによる侵略も北朝鮮が派兵すべき対象となりかねない。北朝鮮は、そのような事態にまで巻き込まれることを回避したのかもしれない。
ロシアにとっても、北朝鮮が「特別軍事作戦」にまで参画することは、北朝鮮による米韓軍との衝突に自らが参加することになりかねず、望ましくない。それは、バック・パッシングの合理性に反する。おそらく露朝には相互防衛の義務を限定する共通利益がある。
おわりに
朝鮮労働党創建80周年の軍事パレードでは露朝の旗を掲げた部隊が表れ、金正恩は党と国家の命令を「遂行している」ところの「海外作戦部隊」将兵を称えた17。北朝鮮は派兵を完全に終えたわけではなく、プーチンが侵略した地域も北朝鮮がロシア領と承認すれば、論理上は露朝条約による相互防衛の対象たり得る。
しかし条約における露朝の意図は本来、相互の派兵ではなかったのだろう。調印(2024年6月)は、ウクライナ軍のクルクス州への奇襲(同年8月)より前であるため、同州への北朝鮮の派兵も想定されていたとは考え難い。露朝はそれぞれの正面における敵対者を必ずしも共有していない。
朝鮮戦争時のソ連と中国、北朝鮮も一枚岩に見えたが、実際に起きていたことは目標の共有というより、脅威の押し付け合いだった。いまの連帯もロシアにとっては、北朝鮮、次いで中国に米軍をバック・パッシングできるとの前提で進められているのかもしれない。
Profile
- 渡邊 武
- 地域研究部アジア・アフリカ研究室長
- 専門分野:
朝鮮半島の政治と安全保障