NIDSコメンタリー 第389号 2025年7月18日
国際的な電力系統とエネルギー安全保障
——ウクライナ・バルト諸国と欧州送電網の接続
- 戦史研究センター戦史研究室所員
- 松尾 康司
はじめに
2022年2月に始まったロシアのウクライナ侵攻における特徴の一つとして、相次ぐロシアによる国際法違反がある1。ジュネーブ諸条約第1追加議定書では無差別攻撃の禁止や民用物の保護、文民被害の最小化などが規定されているが、ロシア軍は意図的にそれらを目標として設定している可能性が高い。特に被害の大きい重要インフラには発電施設と送電系統がある。2024年5月末の時点では、ウクライナの火力発電量の約70%はロシアの占領下にあるか、または損壊のため喪失した状態となった2。ウクライナの電力供給の約4分の1を担っていたザポリージャ(Zaporizhzhia)原発はロシアの支配下に置かれたままであり、高圧変電所の半数と多数の配電用変電所が被害を受けている。
その結果、同国内では頻繁に電力不足が生じている。しかしながら決定的な破綻には至らず、常に危険に晒されながらもウクライナの社会経済活動は維持されている。ウクライナは侵攻開始の翌月(2022年3月)に自国の電力系統をロシアから分離し、欧州送電系統運用ネットワーク(The European Network of Transmission System Operators for Electricity, ENTSO-E)と接続した。ENTSO-Eには欧州36ヵ国・40の事業者が加入しており、この措置によりウクライナは欧州から電力を輸入できる体制を構築した。このことが、ウクライナの電力供給が維持されている大きな要因となっている(当然ながら、それ以外にも損害を受けた場合の迅速な復旧や発電施設の分散配置、防空網の構築といった要因が存在する)。
ロシア侵攻を受けての緊急接続ではあるが、このような処置は一朝一夕に実施できるものではない。ウクライナの場合も例外ではなく、これは2017年6月に締結された契約に基づくものであり、本来は2023年中に完了させる予定のプロジェクトであった3。これを前倒しして緊急接続が行われ、これによりウクライナの送電事業者ウクレネルゴ(Ukrenergo)とモルドバのモルドエレクトリカ(Moldelectrica)はENTSO-Eと同期化され、電力供給は確保された。2024年3月時点でウクライナの電力輸入量の総量は935GWhとなっており、この数値は侵攻開始前(2021年)の輸入量415GWhと比較すると94%の増加となる4。
また、2025年2月にはバルト諸国がENTSO-Eと接続を完了した。こちらのプロジェクトはウクライナ・モルドバよりも古く、2000年代から推進されていたものである。バルト諸国は直接的な攻撃を受けている状況ではないが、ロシアとの電力系統の接続がエネルギー安全保障上疑問視されたためである。なお、リトアニアがロシアの電力系統から離脱したことにより、戦略的要衝のカリーニングラード州がロシア本土から孤立する事態が生じた。
本稿においてはウクライナとバルト諸国の事例から、エネルギー安全保障の面から見た電力系統、特に送電網の重要性について論述する。
ロシアの電力系統(IPS/UPS)
ウクライナ・モルドバ・バルト諸国が組み込まれていた旧ソ連圏の送電系統IPS/UPS(Integrated Power System/Unified Power System)は、現在もロシアと近隣諸国を接続している。UPSがロシア国内、IPSは近隣諸国とUPSを接続するネットワークを指す。ソ連時代にはコメコン(Council for Mutual Economic Assistance)の枠組みにおいて中東欧諸国とソ連を相互接続する電力系統が存在していたが、ソ連崩壊に伴って分割された。IPS/UPSの特徴としては、周波数をモスクワにおいて集中制御しているため、人為的な周波数の不安定化が可能ということがある5。バルト諸国が危惧するのは、政治的影響により電力供給が左右されることに加えて、こちらの面も大きい。
周波数管理の必要性は、現在の交流電源が送電方式の主流であることに起因する。交流電源では発電量と電力消費量(負荷)が常に一致する必要がある。周波数はこのバランスの指標であり、発電量が負荷を上回ると周波数が上昇し、逆の場合は低下する。不均衡状態が継続すると系統が不安定になり、機器の故障や誤作動、停電を引き起こす。通常、周波数の偏差許容範囲は±0.1~0.3Hz程度である。21世紀に入ってからは高圧直流送電(High Voltage Direct Current, HVDC)の導入も各地で進められており、これは交流方式よりも送電ロスが少なく周波数管理を必要としないという大きな利点があるが、初期コストの高さや維持管理の手間が課題となっている6。
ソ連崩壊後のロシアの電気事業は、1992年に国有電力持ち株会社であるロシア単一電力系統社(Rossiyskoye Aktsionernoye Obshchestvo Unified Energy System, RAO UES)が設立され、その後しばらくはこのRAO UESを中心とした体制がとられていた7。しかし2001年に事業改革が開始された結果、2008年7月にRAO UESは解散して部門別分離が行われた。送配電・系統運用、水力発電、火力発電および小売供給の各部門に事業会社が設立されることとなり、送配電・系統運用部門では、全国の給電指令所を担う系統運用会社(SO EES)、基幹送電網を所有・維持管理する連邦送電会社(FSK EES)および配電持ち株会社であるMRSKホールディングが設置された。SO EESの株式は100%をロシア政府に保有されており、また設備投資需要が高い配電部門では業務の効率化が求められたため送電部門と統合された。最終的にMRSKホールディングはロスセーチー(Rosseti)と改称され、FSK EESを傘下に置く。ロスセーチー株の88%はロシア政府が保有しており、電力系統の運用や周波数・需給調整は完全にロシア政府の管理下にある状態である。同様に、送電網の維持管理についても政府系企業が担っている。
ウクライナの状況
2008年4月のブカレストNATO首脳サミットではウクライナとジョージアが将来的に加盟国となることが宣言されたが、同年8月の南オセチア紛争によってその機運は消失した。その後2014年のクリミア危機とドンバス紛争の開始以降はウクライナとロシアは紛争状態に陥り、この時期にウクライナが抱いた危機感が2017年のENTSO-Eとの契約につながっている8。なお、2025年2月にはトランプ政権が米国国際開発庁(United States Agency for International Development, USAID)の機能停止と国務省への統合を発表し、その後は事実上の解体状態となっているが、ウクレネルゴとENTSO-Eとの接続に関してはUSAIDの支援もあった9。
ウクライナの懸念を裏付けるかのように、2015年12月23日にウクライナ西部を中心として同国の電力系統に対する大規模なサイバー攻撃が実行された。この攻撃の犯人は米国のサイバー企業により、「Sandworm」というロシアのハッキンググループと特定されており10、3つの地域配電会社に対するサイバー攻撃によって広域で停電が引き起こされたものであった。各社へのサイバー攻撃では遠隔管理ツールやVPN接続を介した産業用制御システムが悪用されており、実行犯はサイバー攻撃実行に先んじて正当な資格を取得し、リモートアクセスを容易にした可能性がある11。2016年12月にも同様のサイバー攻撃が行われたが、こちらは前年よりは被害規模は小さかった。
この攻撃は世界で初めて成功した電力網へのサイバー攻撃の事例として注目されたが、重要インフラを標的にすることを厭わないロシアの姿勢を示したという面もある。主に狙われたのは電力網の末端部分である降圧変電所や配電網だったが、高圧送電線や中間変電所などの送電系統も攻撃となっており、電力網全般のセキュリティへの警鐘となった。周波数操作という手段ではなかったにせよ、バルト諸国にとってもこの攻撃は従来から囁かれている脅威が顕在化したものだった12。
また、ロシアの支配地域においては、支配の正当性とは別にインフラ機能を維持整備する責任も生じる。クリミア半島の場合、元々その電力の約85%がウクレネルゴの送電網に依存していたが、2014年のロシアによる併合に伴い、ウクライナ政府は電力供給を段階的に制限する措置を取ることを決定した。その後もウクレネルゴはクリミアの電力需要の大部分を供給していたが、2015年11月に送電線が爆破される事件が発生したことで、ウクライナからの電力供給は完全に停止した13。この犯行はウクライナの民族主義者グループとされる。ロシアはこのような事態にも備えており、併合直後からケルチ海峡に海底電力ケーブルを準備していたため、これによってIPS/UPSと接続した14。この海底ケーブルは2016年までに段階的に増強された。併合後のクリミアでは軍事施設が刷新され、トルコ・ブルガリア・ルーマニア方向に対してレーダーも設置されており15、電力の確保は非常に重要な問題であった。また、「ドネツク人民共和国」「ルハンスク人民共和国」では、2017年に料金支払いを理由としてウクレネルゴからの送電が停止された16。これ以降の両地域の電力は、当面の間は既存の火力発電所をもってまかなったものと考えられる。2022年10月にはプーチン大統領が併合を宣言し、ロシア国内法による併合手続きを完了させているため、こちらもIPS/UPSとの接続を完了している可能性が高い。
ロシア支配地域で特に問題となっているのはザポリージャ原発の扱いである。現在はロシアの占領下にあるが、電力系統としてはIPS/UPSではなくウクレネルゴと接続している。送電線の損傷などによりしばしば外部からの電力供給が失われており、直近では2025年7月5日にもこのような事態が発生した17。外部電源喪失の際は敷地内のディーゼル発電機を使用して冷却システムなどを維持するが、燃料が尽きれば停止するし、故障の可能性もあるため事故リスクを増大させる。7月5日の場合は3時間半後に復旧したが、IAEAは安全性について「極めて不安定」であると警告した。ザポリージャ原発とIPS/UPSの間で送電線の建設が進められていることからロシアは同原発の再稼働を目論んでいると見られているが18、安全性の面から懸念が示されている。
バルト諸国の状況
2025年2月9日、バルト諸国はIPS/UPSとの接続を遮断し、ENTSO-Eへの接続を完了した19。このことはバルト地域におけるエネルギー安全保障の大きな転換である。バルト諸国がIPS/UPSに接続していた理由は、電力安定供給の必要性に加えて、かつてリトアニア東部に存在していたイグナリナ(Ignalina)原発の廃炉に伴う電力不足があった。ソ連時代に建設されたイグナリナ原発は高い出力を誇り、1989年の時点では発電量の42%がリトアニア域外に輸出されていた20。しかし、このイグナリナ原発はチェルノブイリ原発と同じ黒鉛減速沸騰軽水圧力管型(RBMK型)であったことため、後のEU加盟交渉において問題となる。チェルノブイリ原発事故の直接的な爆発の原因は、事故対処訓練中に原子炉が不安定となったために制御棒を挿入したが、これが逆に急激な過出力を発生させたことと考えられている21。この制御棒挿入による過出力現象(ポジティブ・スクラム現象)が最初に報告されたのは1983年のイグナリナ原発における事象であった22。また、原子炉格納容器の不備などの構造的な問題も指摘されており、これらはイグナリナ原発にも共通するものであった。結局2000年にイグナリナ原発の廃炉が決定(実際の廃炉は1号機が2004年、2号機が2009年)し、将来的な電力不足が懸念された。2025年のENTSO-Eとの接続完了までの総費用は約16億ユーロに達しており、そのうち約75%はEUの助成金で賄われている23。この金額を拠出することは、当時のバルト諸国にとっては不可能であった。
このような状況であったため、IPS/UPSはバルト諸国にとって必要なインフラであった。しかしその接続はソ連崩壊後もなし崩しに維持されていただけという、中途半端な状態だった。このため、将来の維持管理のために正式な枠組みを構築することが必要であった。また、ロシアにとっても戦略的に重要ながらも飛び地となっていたカリーニングラード州の電力安定供給のため、ベラルーシとリトアニアを通じた送電線は重要だった。これらの利害が一致したため、2001年にBRELL協定が締結されて正式に維持管理の責任などを明確にした上で、この接続は継続されることとなった(BRELLとはBelarus・Russia・Estonia・Latvia・Lithuaniaの頭文字である)。
しかしバルト諸国は欧州の電力系統と接続する願望を放棄したわけではなく、2006年にバルト諸国の送電事業者の協力組織としてBALTSO(Baltic Transmission System Operators)が設立され24、2008年にはBALTSOを含む欧州の6の地域電力系統運用者協会が統合してENTSO-Eが誕生した。2009年にはBALTSOは事業をENTSO-Eに申し送り、発展的に解散している。また、EUにおいてもエネルギー供給源の多様化を実現して全域に安全かつ安価なエネルギー供給を確保したいという思惑があった。再生可能エネルギーを有効に活用するためには適切な電力系統を整備し、天候に左右される再生可能エネルギーの弱点を補う必要がある。このため、バルト地域と欧州の電力系統接続は重要視され、国境を越えた重要なインフラ整備計画である「共通利益プロジェクト(Projects of Common Interest, PCI)」にバルト諸国と欧州の接続も含まれることとなった。これにより同プロジェクトは政治的優先事業として位置付けられてEUの資金提供の対象となり25、これによってバルト海海底送電ケーブルとリトアニア・ポーランド間送電線が設置された26。
また、エネルギー源の多様化とロシア依存から脱却のため、2014年にはリトアニアのクライペダ(Klaipėda)港に液化天然ガス(LNG)ターミナルを設置した。このターミナル開設によって、バルト地域のガス市場は米国を含む世界のLNG供給業者に開放された27。代替ガス供給ルートを確保できたため、バルト諸国は2022年4月の時点でロシア産LNGの輸入の全面禁止に踏み切った。
ロシアの対応
2022年2月のロシアのウクライナ侵攻に際しては、IPS/UPSを通じた電力系統への攻撃は行われなかった。開戦当初の状況としては、首都近郊のホストメリ(Hostomel)空港への空挺攻撃や全戦域を統括する統一指揮官が不在だったことなどから、ロシア軍は短期間での決着を志向していた可能性が高い。このため、ウクライナ側の警戒心を煽る可能性を考慮し、インフラへの攻撃は控えられたと考えられる。その後は速やかにIPS/UPS遮断とENTSO-E接続が行われたため、この懸念はほぼ解消された。
一方、バルト諸国の場合は2024年8月にBRELL協定からの離脱決定をロシアに通知したが、その直後に何者かによってSNS上では離脱に伴う供給失敗や電力価格高騰といったネガティヴ・キャンペーンが展開された28。また、2024年12月にはフィンランドとエストニアを結ぶ海底電力ケーブルとインターネット回線4本を損傷または切断した疑いで、ロシア産石油を積載した船舶がフィンランド沿岸警備隊に拿捕されるという事件が起こっている。同国税関は、当該船舶はロシアが制裁を回避した石油取引のために利用している「影の船団(shadow fleet)」に属していたとの見方を示した29。
バルト諸国のBRELL協定からの離脱は、ロシアにとって同諸国への影響力を減じるものである。しかし、それ以上の問題はカリーニングラード州の電力安定供給である。正式に離脱の旨が通知されたのは2024年のことであるが、送電網の建設を始めとして様々な準備が進められたため、ロシアもバルト諸国の企図を正確に認識していた。カリーニングラード州の電力的孤立を見越して、同州には2016年から2019年にかけて4ヶ所の発電所が新設された30。3ヶ所の天然ガスと1ヶ所の石炭発電所が建設され、発電能力の合計は概ね1GWとなった。
日本との比較
このような欧州の電力系統と比較すると、日本とはかなり異なる状況であることが分かる。日本の電力系統の特徴としては、①他国との接続が無い、②自国内で周波数が異なる、③南西諸島(沖縄電力)が独立している、という点ある。1点目の他国との接続に関しては、四面環海の島国であるという地理的特性に起因する。同じ島国でも大陸との距離が近い英国はENTSO-Eと接続されており、日本でも「アジアスーパーグリッド」として大陸と接続する構想は存在するが、エネルギー安全保障の観点でもデメリットの方が大きく実現の可能性は乏しい。2点目の周波数の問題は、周知のように50Hz地域と60Hz地域が併存していることである。これは明治時代にドイツ製発電機(50Hz)と米国製発電機(60Hz)を導入したことに遡る。一度構築されたインフラの修正は極めて困難であり、かつては両地域での電力融通は不可能だった。現在は静岡と長野に3ヶ所存在する周波数変換施設を通すことで電力融通は可能となっているが、東日本大震災の際は変換能力が不十分であったため電力不足が生じ、これを受けて周波数変換設備の増強が行われた。従来の1.2GWから2021年には2.1GWに増強され、2027年には3GWまで達する予定となっている31。3点目については、日本にある10社がそれぞれ電力系統を有しており、北海道から四国までの9社の電力系統は相互に接続されている。しかし沖縄電力だけは電力系統として孤立しており、カリーニングラード州と同様の状況にある。余力のある発電設備を準備し、火力発電用の燃料を余分に貯蔵するなどの処置を講ずる必要があるため、発電コストは本州よりも高い。沖縄本島以外の離島に関しても、近傍の島嶼同士で海底ケーブルや空中架線で接続されているケースもあるが、基本的には各島嶼は独立している。
日本はこのような状況であるため、国際情勢により燃料輸入に影響を受けるといった可能性はあるものの、他国の政治的思惑で日本の電力供給が左右されるといった懸念は基本的には皆無である。また、周波数操作により攻撃されるといった可能性も(サイバー攻撃を除いて)存在しない。一方で、有事の際には周波数変換施設という結節が標的となりかねないことや、南西諸島では電力系統の防護がより重要になることも認識されるべきである。
おわりに
エネルギー安全保障とは国や地域にとって必要なエネルギーを安定的・持続的に確保することであり、具体的には供給の安定性や経済性、エネルギー源の多様性や環境への影響、そして技術とインフラの信頼性などの要素が含まれる。そして電力の安定供給に関しては、石油やガスと異なり基本的には貯蓄が不可能であるという特性がある(蓄電池は社会全体の需要を満たせるようなものではない)。従って、他国と自国の電力網を接続して不慮の事態に備えることは陸続きの国家間では一般的なことである。ウクライナ・バルト諸国におけるIPS/UPS遮断とENTSO-E接続に関する一連の経緯からは、次の3点の教訓が得られるだろう。
1点目は、国際的なインフラの維持管理における信頼の重要性である。IPS/UPSはロシアが周波数を操作ができるということは元々既知の事実であり、実際に他国の電力系統に害を及ぼした場合、その信頼は地に墜ちる。そのような行為で得られるメリットはないはずであり、ソ連崩壊以降もしばらくの間はそこまで危惧されることはなかった。しかし2014年以降にロシアの暴挙が相次いだことから、IPS/UPSを通じた攻撃の可能性も現実味を帯びた。この懸念からウクライナではENTSO-Eとの接続が準備され、ロシアの侵攻直後にウクライナが緊急接続を果たせたことは不幸中の幸いであった。ウクライナ侵攻によりロシアが失ったものの中でも、インフラ関連の信頼は特に回復が難しいだろう。また、IPS/UPSからリトアニアが離脱したことでカリーニングラード州は「孤島」となった。ロシアは同州の発電所を増強してこの状況に対処しているものの、電力系統が接続されている状況と比べると冗長性は劣る。信頼の喪失が戦略的な状況悪化を招くという悪循環に陥った形である。
2点目は、組み込まれた電力系統からの離脱の困難性である。ウクライナはロシアとの紛争に陥った2014年以降も、直ちにIPS/UPSから離脱することはできなかった。仮にENTSO-Eとの接続なしにIPS/UPSから離脱していた場合、周波数制御の不安定化による大規模な停電や系統障害などの発生、あるいは電力供給の不足といった可能性があり、ロシアの悪意ある行動よりもこちらの方が影響は大きい。ロシアを警戒するバルト諸国も同様の事情であり、国家の方向性がインフラによって制約される状況となっていた。ウクライナもバルト諸国もロシアの電力系統に組み込まれた経緯は避けられないものであったが、国際的な電力系統は相手次第で危険な状況に追い込まれるという実例となった。
3点目は、戦略的コミュニケーションとしての機能である。戦略的コミュニケーションとは政策目標達成の助力となるよう、言葉・行動(または非行動)・イメージやシンボルを用い、相手の行動や態度を変更させることを目的とした外交・安全保障政策の実施を指す32。バルト諸国はロシアに対する警戒を常々発信し、ウクライナ戦争においてもロシアへの非難とウクライナ支援を訴えつつ、自国の防備強化を推進してきた。戦略的コミュニケーションとは単なる情報発信ではなく、その情報発信に説得力を持たせられる行動なども必要となる。2014年のクリミア危機以降IPS/UPSからの離脱とENTSO-Eへの接続を準備したウクライナは、この行動によって自国の立ち位置をロシアと欧州に明確に示した。バルト諸国も同様である。ロシアに対するメッセージという面もあるが、それ以上に欧州諸国に対するメッセージ性が強い。ロシアとは完全に袂を分かち、帰属先は欧州と旗幟を鮮明にしている。電力の安定供給は国の経済・社会活動に直結するものであるため、電力系統はある意味では同盟のような意味合いを有する。世界的には日本の電力事情の方が珍しい状況にあるため、その特殊性もまた認識されるべきであると考えられる。
Profile
- 松尾 康司
- 戦史研究センター戦史研究室所員
- 専門分野:
バルト諸国史、NATO史