NIDSコメンタリー 第387号 2025年7月11日 ロシア・ウクライナ戦況メモ 2025年4~6月
- 地域研究部 米欧ロシア研究室長
- 山添 博史
ロシア軍がドネツク州ポクロウスクの周囲で前進
本稿は2022年2月以来のロシア・ウクライナ戦争において2025年4月~6月の期間の主な推移を扱う1。ロシア軍は引き続き主要な攻撃の場所を選び、ウクライナ軍に防衛を強いることで、主要なイニシアチブを保持し、ウクライナ軍は部分的な反撃を行った。
ウクライナ軍のロシア領クルスク州侵入作戦はほぼ終了し、一部で戦闘が散発的に起きたほかは、ロシア軍による前線はウクライナ領スムィ州に入った。4月半ばまでは、ウクライナ軍は近傍のベルゴロド州内に占領地を保ち、ロシア軍を分散させたが2、その後、その占領地も大幅に縮小した。4月26日、ヴァレリー・ゲラシモフ参謀総長は、ウラジーミル・プーチン大統領との会合において、クルスク州の居住地を回復してウクライナ部隊の撃退が完了したと報告し、北朝鮮が包括的戦略パートナーシップ条約に基づいて部隊を派遣して作戦に大いに貢献したと述べた3。
その後、ロシア軍はスムィ州に入って前進したが、ウクライナは6月半ばにアンドリイウカを奪還し、前線を安定化させたと発表した4。ウクライナは引き続きこの方面に戦力を割くことを強いられているものの、6月末までに主要都市の陥落の危機などには進まなかった。
ロシア軍は、東部でウクライナ軍の防衛拠点を崩してドネツク州全土を制圧することを目指してきたと見られる。チャシウ・ヤル、トレツクの市街主要部を制圧して前進を試みつつも、ウクライナの反撃も受けて激しい戦闘となってきた。また、クピャンスク、ポクロウスクに向かって少しずつ前進した。
5月半ばに、ポクロウスクから北東の、コスチャンチニウカ、チャシウ・ヤル、バフムトの方面につながる幹線道路が通るところに、ロシア軍が占領地を広げ、ウクライナにとってはこれらの拠点の間の交通がますます厳しくなった。ポクロウスクの南でもロシア軍が西のノヴォパヴリウカの向きに占領地を広げ、ドニプロペトロウスク州との境界地域にも戦闘が及ぶようになった。6月27日、ウクライナ軍のオレクサンドル・シルスキー総司令官は、ポクロウスク周辺にロシア兵が11万人のロシア兵が投入されていると述べた5。
分析グループDeepStateUAによると、ロシア制圧地域の拡大は5月に449 km2、6月に556 km2で、これは2025年では1月から4月の水準より大幅に増加しており、これまでで最大だった2024年11月の730 km2に次ぐ水準となった6。このような前進に伴うロシアの兵員の死傷はのべ100万人を超え、現在も1日あたり1,000人前後とウクライナは発表している7。また、米国の研究者によると、ロシアはこの1年半で2,000両の戦車や3,200両の歩兵戦闘車など装備品の損失も多く、ロシアは労働力や石油・ガス産業などの経済面の脆弱性を抱えているため、米国はそこを突く制裁などでロシアの戦力を制約することが可能だという8。ウクライナはポクロウスクが危険になってから10か月以上は持ちこたえ、チャシウ・ヤルから西へのロシア進軍を遅らせたが、戦力の供給が追いつかなければこれらのような重要防衛拠点を失い、ドネツク州全土の統治が危うくなる。そのような動向は、今後もウクライナとロシアの戦力投入と戦術的適応のペースが左右するだろう。
米国トランプ政権の働きかけとロシア・ウクライナ直接協議
地上戦と並行して、戦争の終結や趨勢をめぐる国際関係が動き続けた。米国のドナルド・トランプ大統領が、劣勢にあるウクライナの人命や領土の喪失をとどめるべく働きかけてきたのに対し、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は段階的に協議に応じつつも、「戦闘停止には紛争の根本的原因の解決が必要」と主張してウクライナを攻撃する行動方針を変えなかった。ウクライナのヴォロディミル・ゼレンスキー大統領は、劣勢にあるものの、ロシアが要求する自国領の放棄や安全保障の脆弱化に応じるほどの危機には瀕しておらず、トランプ大統領および西側諸国の首脳にウクライナ保全のための協力を働きかけ、ウクライナ当局はロシアの攻撃能力に対して反撃を続けた。
4月4日にウクライナ中部のクリヴィー・リフが攻撃され、イスカンデルM弾道ミサイルなどにより少なくとも18人が死亡する大きな被害を受けたとウクライナが発表した9。4月中旬から下旬にかけて、ロシアに提示するべき米国の和平案についてウクライナとの間で協議が進行し、その具体的な内容は発表されなかったが、部分的な内容や立場の相違がたびたび報じられた。24日、キーウや他の8か所以上に攻撃があり、少なくとも9人が死亡した10。同日トランプ大統領は、キーウを攻撃したウラジーミル(・プーチン大統領)に対して止めろというメッセージを発した11。同大統領は26日にフランシスコ教皇の葬儀に際してゼレンスキー大統領と話し、ウクライナの立場を勘案して戦闘を止める意向を示した。30日、ウクライナと米国は鉱物資源開発に関する協定を結び、今後の利益共有の道筋を一つ示した12。
5月10日にフランス、ドイツ、ポーランド、英国、ウクライナの首脳がキーウで共同声明を発し、12日から30日間の無条件で完全な停戦を実施して外交努力を行う期間にすると述べ、これは米国の賛同も得ているもので、ロシアが応じない場合は経済制裁を強く履行すると表明した13。プーチン大統領は、ソ連の対独戦勝記念日の行事を終えたその日の深夜(11日未明)、急遽開いた記者会見において、15日にイスタンブルでウクライナと直接協議する案を公表し14、トルコと調整を始めた。同氏はこれまで、ウクライナの政権に正統性がないという理由を挙げて直接の対話を拒んできたが、ここで対話に転じたことにより、その論点は理由ではなかったことを示した。プーチン政権としては3年前の4月を最後に途絶えた対面協議を再開するという趣旨で、当時と同じ文化・教育担当のウラジーミル・メジンスキー大統領補佐官をトップとする代表団を派遣した。5月16日に実現した協議では、双方が開きのある立場を主張した一方で、捕虜の交換の合意は成立し、履行された。しかしロシアはその後も300機以上のドローンを用いたウクライナの民間人居住地に被害を及ぼす攻撃を連発した。ロシアではウクライナの軍需工場や軍人を精密に攻撃しているという言説になっているが、『コメルサント』紙も、25日の攻撃のあとにトランプ大統領がロシアに厳しくなって制裁も視野に入り始めたと指摘した15。
ここまでの、交渉努力とロシアによる攻撃激化の経緯のあと、6月1日にウクライナ保安庁(SBU)が「蜘蛛の巣」(Pavutina)作戦を発動した16。ロシア国内で複数の航空基地に接近した場所から100機以上のドローンが発進し、4つの航空基地(イルクーツク州のベーラヤ航空基地やムルマンスク州のオレニヤ航空基地など)の標的航空機に衝突して燃料を引火させ、Tu-95MS爆撃機やA-50早期警戒管制機を含む40機以上の貴重な航空機に破壊をもたらした17。ロシア戦略抑止力の専門家パーヴェル・ポドヴィグ氏は、この攻撃は核戦力を担う爆撃機を避けてウクライナを攻撃している爆撃機を狙ったものだと指摘した18。ロシア国防省は攻撃をおおむね撃退したと発表し、ロシアとウクライナは予定どおり6月2日にイスタンブルで協議を実施した。『ロシア新聞』が同日に公表したロシアの覚書の内容では、ロシアはウクライナの自国領からの撤退と外国との軍事協力の終了および反ロシア政治活動の禁止などを要求し19、2022年3月29日にはメジンスキー氏らも同意していた、ウクライナの中立を保証する仕組み20には触れていない。捕虜交換の合意は今回も成立し、そのあと履行された。しかしロシアはドローンやミサイルによる攻撃の規模をまたも拡大し、6月17日などにはキーウの集合住宅に弾道ミサイルを直撃させることで一般住民の人命を直接狙った。6月20日にプーチン大統領は、ウクライナ人がロシア人と同一民族であるためウクライナ全土が我々のものだとあらためて述べ21、ウクライナと利益を交換して紛争を終結させるロシアの意思への疑念を広めた。
この期間、トランプ大統領は、イランには6月22日に限定的な武力行使に踏み切って外交状況に変化をもたらしたが、ロシアに対しては米国議会が準備していた経済制裁の推進にも消極的で、ウクライナへの軍事支援も発表しなかった。一方で、ウクライナにロシアの要求を強いる形で決着を急ぐには至らなかった。同大統領は6月25日、北大西洋条約機構(NATO)首脳会議において加盟国が国防支出増大を宣言したことを肯定的に評価し、ウクライナ側との対話でも慎重ながら協力する姿勢は示した。ウクライナへの資金援助の分野では、米国に代わって北欧諸国や英国を中心に支出を大きく増やして補う努力が見られた22。ウクライナの戦闘は2024年末に米国から供給された軍需物資に多くを負っており、2025年には米国からの防空システムを含む物資供給が困難を抱えるなか、ウクライナ自身の人員や物資の供給および、欧州諸国からの物資供給が追いつかなければ、これまでと同様にロシアの前進を遅らせるのは難しくなる。ただし、ロシアの攻勢も、この期間にはウクライナの急速な敗退を明確にするには至らず、その要求をウクライナに受け入れさせるには不十分で、戦争終結をめぐる立場の相違は開いたまま、破壊と消耗が継続した。
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- 山添 博史
- 地域研究部 米欧ロシア研究室長
- 専門分野:
ロシア安全保障、国際関係史