NIDSコメンタリー 第384号 2025年7月1日 B-2ステルス爆撃機によるイラン空爆 ―― 映画みたいな空爆は、なぜ現実になったのか?

地域研究部米欧ロシア研究室
相田 守輝

はじめに

イランが核兵器開発を追求してきた歴史は20年以上に及ぶ。イランは、秘密裏に核開発を行っていたことが暴露された2002年以降も、「平和利用」と称しながら遠心分離機の増設やウラン濃縮を進めてきた。2022年にはイスラエル国防当局が、イランは2週間以内に核兵器に転用可能なウランを取得し得るとすると警鐘を鳴らし、イスラエルに対する核攻撃の可能性が国際的にも警戒されるようになっていた。これに対してイスラエルは先制空爆の準備に言及し、米国もあらゆる選択肢を排除しないとの方針を保持していたことから、中東地域における緊張は高まっていた1。こうした背景から、イランの核関連施設に対する先制空爆の可能性を予見する研究も出されていた2

2025年6月22日午前2時前後(イラン現地時間)、米軍が実施した「ミッドナイト・ハンマー作戦(Operation Midnight Hammer)」により、米空軍のB-2ステルス爆撃機(“Spirit”)がイラン国内の複数の核関連地下施設を空爆した3。使用されたとされるGBU-57地中貫通爆弾(通称“Massive Ordnance Penetrator:MOP”)は、その硬さと重量から極めて貫通力の高い非核兵器であり、山岳深層部の地下構造に到達可能なことから世界に衝撃を与えた。

一方で、米軍によるミッドナイト・ハンマー作戦の戦闘損害評価(Battle Damage Assessment:BDA)に関する情報はいまだ限られており、とりわけイランの核開発計画の機能が停止したか否かについては、確定的な情報は乏しいままである。さらに、この作戦が将来の中東地域にもたらす影響についても未知数と言える。

だが、そのような状況であっても、このB-2による空爆そのものが航空作戦の歴史において極めて意義が大きかったと考える。本稿はこのような趣旨から、B-2によるイラン空爆の概要を速報しながら分析を加えていくとともに、その歴史的意義について論じる。

B-2によるイランへの発進の概要と分析

2025年6月20日深夜(米国東部標準時間:EST)に、米国ミズーリ州ホワイトマン空軍基地から発進した数機のB-2が離陸した。これらの編隊はトランスポンダーを作動させた状態で西方面の太平洋に向けて飛行を続けた。折しも、ドナルド・トランプ(Donald J. Trump)米大統領が「二週間以内に軍事作戦を行う」旨を表明していた直後であったことからSNSなどによって注目を集め4、これらのB-2編隊が太平洋のグアム島やインド洋のディエゴガルシア島に展開し、イランに対する軍事作戦の準備を行うものと思われていた5

しかし、これら編隊は陽動であり6、実際にイランへ向かう別の7機のB-2編隊が、同基地から約1時間遅れた6月21日0時1分から離陸を開始した。これら7機の編隊はトランスポンダーを作動させることなく、作戦上の保全措置を講じながら東方面の大西洋に向けて飛行し、米本土上空、大西洋上で空中給油を繰り返した。

この7機のB-2編隊は母基地から直線的にイランに向けて飛行したのではなく、若干の遠回りとなる地中海の公海上空を通過する飛行経路を選択した7(図参照)。これは、上空通過を事前に許可を得る諸外国政府との調整を局限しようとしたものと考えられる。

また、このミッドナイト・ハンマー作戦には約30機もの空中給油機が投入されていた。これら空中給油機は、ドイツのラムシュタイン空軍基地、スペインのモロン空軍基地などへ事前に展開していた8。さらに、B-2編隊の針路を前哨警戒する第4世代、第5世代戦闘機も投入された。F-35などの戦闘機も同様、欧州にある米軍基地から離陸してB-2編隊とランデブーを重ね、徐々にストライクパッケージを編成していった。

そして、これらストライクパッケージは、B-2が母基地を離陸して18時間後の米国東部標準時間(EST)18時00分に予定どおりイラン領空内に侵入していった。このイラン領空に侵入するに至るまで作戦上の保全措置が徹底され、ごく限られた通信のみによって空中給油や戦闘機とのランデブーが行われていた9

図:ジョン・ケイン(John D. Caine)統合参謀本部議長は、作戦終了後にパネルに沿ってB-2の飛行経路・兵力構成・時系列などを説明した(U.S. Department of Defense, “Secretary of Defense Pete Hegseth and Chairman of the Joint Chiefs of Staff General Dan Caine Hold a Press Conference,”)。
図:ジョン・ケイン(John D. Caine)統合参謀本部議長は、作戦終了後にパネルに沿ってB-2の飛行経路・兵力構成・時系列などを説明した(U.S. Department of Defense, “Secretary of Defense Pete Hegseth and Chairman of the Joint Chiefs of Staff General Dan Caine Hold a Press Conference,”)。

B-2によるイラン空爆と帰投の概要と分析

30,000lbs(約13.6トン)の重量もあるGBU-57を2発ずつ搭載しながら飛行するB-2は、イラン領空内に侵入した後、イランの防空システムによる迎撃リスクを回避するため可視性を最小限に抑えながら目標に接近した。前哨警戒する電子戦機(EA-18G“Growler”)などによるイランの防空システムへの電子妨害も同時に施された。

実のところ、昨年2024年10月から続くイスラエル軍によるイラン防空システムへの攻撃で、イランの防空システムは弱体化していたことも奏功し10、イランのS-300を中心とした防空システムによる大きな反撃を受けることなく、イラン空軍の戦闘機による迎撃もなかった。

B-2の侵入経路は極めて精緻に計画され、7機のB-2はイラン領空に侵入から約40分後、内陸のフォルドゥ(Fordow)、ナタンズ(Natanz)の核関連施設に対してGBU-57を合計14発投下した。これらの着弾時間(Time on Target:TOT)は18時40分から19時00分の間(米国東部標準時間:EST)と設定され、ペルシャ湾付近に展開していた米海軍潜水艦からも、20発以上のトマホーク巡航ミサイルが事前に発射され、このTOTにあわせてイスファハン(Estafan)の地上施設を破壊した11

イラン山岳地の地中深くに建設された核関連施設を破壊するために投下されたGBU-57は13.6トンを超える超大型爆弾であり、鉄筋コンクリート構造を最大60メートル以上貫通する能力を持っていた。そのような重量あるMOPがフォルドゥなどに所在する地表から40メートル地中にある核施設に到達した後に爆発したとされる12

B-2を中心とした空爆が完了した後、B-2は即時にイラン領空外に出て、再び空中給油を繰り返しながら延べ13,000NM(約24,000km)を約36時間かけてノンストップ飛行で母機地に帰還した13。このミッドナイト・ハンマー作戦では、B-2が投下した14発のGBU-57だけでなく、前哨警戒する戦闘機からの精密誘導兵器を含めると計75発が使用され、延べ125機以上の航空機が参加した14。これら空爆による損害はいまだ明らかにはなっておらずBDAも継続中ではあるが、恐らくSAR衛星やUAVを組み合わせた手法で評価されていくものと思われる15

一方で、13.6トンにも及ぶMOPを14発も直撃を受けたイラン側も、さすがに被害を受けた事実を公に認めている16

作戦の特徴:全地球規模の戦略的打撃能力

このB-2による空爆を中心とした統合作戦は、米軍が海外の前方基地を使用せずに、戦略的な打撃を「米本土から地球の裏側にまで投射できる」能力を実証した点で、極めて象徴的なものとなったと言える。また注目すべきは、政治決定と軍事行動の“時間差”である。報道では、トランプ米大統領が攻撃を決断したのは作戦のわずか2日前とされている17

しかしながら、実際にはこれほど大規模かつ複雑な統合作戦を突発的に遂行できたとは考えにくい。むしろ、米軍は常日頃から詳細なターゲットリストを備えており、今回のB-2による空爆もこうしたターゲットリストを踏まえた作戦を発動したにすぎないとみるのが妥当であろう。事実、ケイン統合参謀本部議長は、6月25日の会見にて15年以上かけて取り組んできた旨を説明している18

この点を象徴するかのように、2022年に公開された映画『トップガン・マーヴェリック』では、ある“敵国”の山岳地下核施設を精密に打撃する航空作戦が描かれた19。国防総省が協力したこの映画のストーリーと、今回のB-2による空爆が標的・地形・戦術において酷似していたことは、偶然なのだろうか。

作戦の特徴:戦略的打撃の非核化

今回のB-2による空爆が航空作戦史に残る理由の一つは、「戦略的打撃の非核化」が現実的な選択肢として示された点にある。これまで、地下に埋設された核関連施設を物理的に破壊するには戦術核兵器の使用が不可避とされてきたが、GBU-57のような地中貫通型の高性能通常兵器によって、核に依存せずに同種の深層打撃が可能であることを、少なくとも作戦遂行の面から示したことは注目に値する。現時点でBDAは確定していないものの、こうした非核兵器による深層精密打撃が実行段階に至ったという事実それ自体が、今後の軍事ドクトリンに大きな影響を与えることは確実であろう。

こうした攻撃モデルは突発的な技術進化の結果ではなく、米国の戦略学界において体系的に構想されてきた。その代表例としてキア・リーバー(Keir A. Lieber)とダリル・プレス(Daryl G. Press)によって提唱された「先制・通常カウンターフォース」理論が挙げられる20。この理論は、相手の核報復能力を非核の精密兵器で無力化することが可能であると主張するものであり、従来の「相互確証破壊(MAD)」に代わり、通常兵器による先制的かつ限定的な反撃で抑止を成立させるという新たな抑止論である。彼らは「地下に逃げれば抑止できる」という敵の常識を覆し、たとえ敵が深く潜っても、精密かつ高性能な通常兵器を用いれば、敵を撃破できるという論理を唱え続けてきた21

一方で、ブラッド・ロバーツ(Brad Roberts)は、リーバーやプレスの「先制・通常カウンターフォース」路線とは異なる立場を取りながらも、敵の中枢的な軍事能力(C3I、核施設など)への「制限的・段階的」攻撃を重要視し、非核兵器による戦略目標への制裁的打撃を、抑止戦略の一環とみなしてきた22。つまり、今回のB-2による空爆は、このような学理と実戦が接続した歴史的に重要な節目になったと言えるのである。

作戦の特徴:戦略爆撃機の再定義

さらに、ミッドナイト・ハンマー作戦によって、ステルス爆撃機の戦略的地位が再定義されたと考えることもできる。B-2は1999年のコソボ紛争や2003年のイラク戦争でも実戦に投入されたが23、F-35や無人機、極超音速兵器といった新技術の台頭により、近年は戦略兵器としての存在感が薄れていた。

しかし、今回の空爆によって、B-2はイラン側にレーダーで探知されることなく、指定されたターゲットを計画どおりに爆撃し、無傷で全機帰還していることは驚くべきことである。

このことは、「非核兵器による深層打撃」の実行手段としての有効性を証明し、戦略爆撃機が時代遅れではなく、「限定打撃による抑止」の中核になり得ることを示したとも評価できる。

つまり、2020年代末に予定されているB-2の後継機である次世代ステルス爆撃機B-21(“Raider”)の本格配備を控え24、今回のB-2による空爆はその戦略的意義を先取りする前哨戦であったと位置づけられるのである。

おわりに

B-2爆撃機による空爆を中核とした今回の統合作戦は、その全容が明らかでない現在においても、戦略爆撃のあり方が大きく変容しつつあることを如実に示している。

地下施設を非核兵器で破壊するという構想は、近年のアメリカ戦略学界において現実的なオプションとして語られ、こうしたカウンターフォース学派の主張は、戦略的抑止力を核兵器に頼らずして実現するための理論的支柱となっている。であるが故に、今回の統合作戦は、こうした軍事思想が現実の政策・作戦運用に接続された一例と見ることができる。

短期間で統合作戦が遂行された背景には、米軍が常に保持する精緻なターゲットリストに基づく作戦計画と即応型の戦略的なパワープロジェクション能力に裏付けられていることに気付かねばならない25。すなわち、今回の作戦は即興ではなく、あらかじめ準備された選択肢の一つが政治判断のもとで発動されたと解釈する必要があろう。

映画的だと評されることもあるが26、それは演出ではなく、高度に理論化された軍事思想と技術の積み重ねによる成果と捉えていくべきなのである。であるが故に、こうした敵の防空圏を突破して深く浸透しながら決定的な打撃を与えていく航空戦力の投入事例は、将来の航空作戦の在り方を想定するうえで、歴史的な意義を持つのである27

続くコメンタリーでは、こうした米空軍ステルス爆撃機の動向に対する中国側の対抗策についての報告を予定する。

Profile

  • 相田 守輝
  • 地域研究部米欧ロシア研究室所員
  • 専門分野:
    中国をめぐる安全保障