NIDSコメンタリー 第383号 2025年6月27日 マルコス現政権の安全保障政策の行方——2025年上院中間選挙と今後の展望
- 地域研究部アジア・アフリカ研究室研究員
- 辻田 友規
はじめに
2025年5月12日、フィリピンでは、中間選挙が実施された。フィリピンの中間選挙では、上下院の議員のほか地方の首長も選出される。この選挙は、大統領のそれまでの政権運営を評価するものと位置付けられており、今後の政権運営にも影響を及ぼす。本稿は、上院の中間選挙に注目し、今後のマルコス現政権の安全保障政策の行方を考察する。
マルコス家対ドゥテルテ家
今回の中間選挙で大きく注目されたのは、マルコス家とドゥテルテ家の対決であった。2022年の大統領選挙時には協力しあったマルコス家とドゥテルテ家であったが、現政権発足後から徐々に不和がみられるようになった。深まり続けた軋轢のためか、ドゥテルテ元大統領の娘のサラ・ドゥテルテ副大統領は、マルコス現大統領暗殺を示唆する事態にまで至った1。こうしたこともあり、下院は、彼女の弾劾裁判を実施することを決議した2。ただ、弾劾されるには、上院で3分の2の賛成が、少なくとも必要となる。そのため、ドゥテルテ側から支持を得た候補者のうち、何人上院に当選するかが、注目点の1つであった。正式に弾劾された場合、次の大統領候補として有力視されていたドゥテルテ副大統領は、2028年に控えている大統領選挙に出馬することができなくなる。
上院の中間選挙では、定数24議席のうち12議席が争われる。この上院は、フィリピンの外交・安全保障政策形成において影響力を持つ3。1987年に制定されたフィリピン憲法によれば、条約や協定を結ぶ場合、上院で少なくとも3分の2の賛成を得なければならない4。また、上院は、外交委員会や国防委員会といった、外交・安全保障政策の監視と調査を行う機能もある。この上院が、安全保障政策に影響を与えた例としては、1992年のフィリピンに駐留していた米軍の撤退がある5。他にも、2024年7月に日本との間で署名された部隊訪問円滑化協定(以降、RAA)の発効にも上院の承認を必要とした6。こうした機能を持つ上院が、今回の選挙で、マルコス側とドゥテルテ側の対決する場となったのであった。
マルコス現政権の安全保障政策への影響
今回の中間選挙は、選挙前の予想を覆す結果となった。事前予想では、マルコス側に支持された上院候補者12名のうち9名が当選し、ドゥテルテ陣営が擁立した候補が当選する可能性は低いと考えられていた。しかし、予想とは異なり、ドゥテルテ側が、12議席中5議席を獲得した。対して、マルコス側は、半数の6議席を獲得し、予想よりも3議席下回った7。そして、どちらの側からも支持を受けていない当選者が、2名いる。
マルコス現政権は、同盟国である米国や戦略的パートナーの日豪などと積極的な安全保障協力を通じて中国に対抗する方針をこれまで取ってきた。次期第20回上院を構成する当選者と現職議員の過去の発言を踏まえると、南シナ海問題において、中国に対して批判的な見解が、多く見られた。しかし、その対応策を巡っては、多様な立場が見られるものの、大まかに抑制的な考え方を示した者、対決的な考え方を示した者、そして立場が不明確な者に分けられると考える。
抑制的な考え方を持った次期20回上院議員には、例えば、今回最得票数で当選したドゥテルテ元大統領の側近、ボン・ゴー氏がいる。彼は、米比同盟に対してドゥテルテ元大統領のような批判的態度は、あまり示さなかった。そして、中国に対し、我々のものは、我々のものであると主張すべきだとも発言していた8。彼は、マルコス現政権下で、フィリピン沿岸警備隊の近代化を促進するための法案を提出するというように、フィリピンの安全保障能力向上を支持する動きを見せていた9。しかし、東南アジア地域を軍事化させることは避け、中国とは外交を通じて平和的に南シナ海問題を解決するべきとの見解も示していた10。他にも、同じくドゥテルテ側から支持を得ていたロダンテ・マルコレタ氏は、自らを親中国的ではないとしつつも、南シナ海問題で中立的な外交政策を追求するとの見解を示した11。また、マルコス現大統領の姉で、当初はマルコス側から支持を受けていたが、後にサラ・ドゥテルテ副大統領支持に回ったアイミー・マルコス氏は、マルコス現政権の全ての安全保障政策に批判的ではなかったが、米比同盟については、批判的な姿勢を見せることがあった12。
抑制的な考え方を持つ者がいる一方で、対決的な考え方を見せていた者もいる。例えば、2位の得票数で上院選に当選し、マルコス側からもドゥテルテ側からも支持を受けていないバム・アキノ氏がいる。彼は、上院議員として親中国的な態度を見せていたドゥテルテ政権に対して、説明を求める決議を複数回提出したことがあった13。また、マルコス現政権の安全保障政策を支持するとも発言していた14。元フィリピン国家警察長官でドゥテルテ元大統領に近いロナルド・デラロサ氏は、中国に対しては批判的態度を取っていた。彼は、米比同盟については、ドゥテルテ元大統領のような態度を見せたことはあまりなかった。実際は、彼は、米軍との訪問軍地位協定破棄の撤回を歓迎し、米海軍との訓練についても、フィリピンと米国の関係発展に資するというように、米国との安全保障関係を肯定的に捉える発言が見られた15。また、マルコス側から支持を受け当選したパンフィロ・ラクソン氏は、南シナ海問題における対抗策として、他国との安全保障協力と自国の防衛能力強化を支持していた。彼は、フィリピンが、軍事的に中国と比較して劣勢にあることから、軍事的に強力な日米などと連携することで、対抗していくとの見解を示していた。また、自国防衛力の面では、最小限で信頼できる防衛力の整備やそのための防衛予算増額に動くというように、南シナ海問題では、対決的な言動が見られた16。他の対決的な姿勢を見せていた上院議員には、2022年から2024年まで上院議長を務めたフアン・ミゲル・ズビリ氏がいる17。ズビリ氏は、日本とのRAA締結に尽力した上院議員のひとりであった18。彼は、中国に対して厳しい態度を取り、中国大使を本国へ戻すよう促したこともあった19。
これら主要な2つの考え方以外に、南シナ海問題に対する考え方が、不明確な者も一部いる。例えば、今回当選したカミール・ヴィリャール氏は、自らを親中国的か親フィリピン的かと問われ親フィリピンであると言及したことはあるが、同問題に対する対応策においては、管見の限り、あまり明確に考えを述べたことはないと見られる20。
南シナ海問題への対応策を巡って、次期第20回上院は、大まかに抑制的な考え方と対決的な考え方を取る議員そして立場があまり明確でない議員によって構成されることとなる。しかし、第19回と比較すると、全般的に、いずれかの考え方を持つ議員が、劇的に増えたもしくは減ったとは言いにくい。つまり、次期第20回上院の構図は、第19回とあまり変わらない状況と言える。そして、歴史的に、多くのフィリピン上院議員は、公的資金援助などの観点から大統領の路線に合わせる傾向にあるとの指摘がある21。これらの観点からマルコス現政権の安全保障政策が、大幅に変更される可能性は、低いと考えられる。
おわりに
今回のフィリピン上院中間選挙では、マルコス陣営の当選者が予想よりも少なく、その一方で、ドゥテルテ陣営と双方から支持を受けていない候補者が、予想よりも多く当選した。しかし、南シナ海問題への対応策の観点から次期第20回上院と第19回上院を比較すると、抑制的な姿勢、対決的な姿勢、そして姿勢が不明確な者の数の増減は、それほどなかった。これに加えて、フィリピン上院議員の歴史的な傾向を踏まえると、今後のマルコス現政権の安全保障政策が、大きく変わる可能性は、低いと考えられる。
今後のサラ・ドゥテルテ副大統領の弾劾裁判の行方は、マルコス現政権の後の安全保障政策を考えるうえで重要となってくる。なぜなら、彼女が、弾劾されなかった場合、2028年の大統領選挙に出馬が可能となる。そして、彼女が、大統領に就任した場合、マルコス現政権の安全保障政策を大きく変更する可能性がある。すなわち、米国から距離を置き、中国との関係改善を図る動きが見られ得る。彼女がこのような動きを見せる場合、日豪などの戦略的パートナーの働きかけが、重要となってくる。
Profile
- 辻田 友規
- 地域研究部アジア・アフリカ研究室研究員
- 専門分野:
フィリピンを中心とする東南アジア安全保障