NIDSコメンタリー 第380号 2025年6月6日 中国が「国家安全」をめぐる白書を発行-「白書」が示す「自信」と「不安」、及びその含意-
- 地域研究部 中国研究室 研究員
- 後藤 洋平
はじめに
中国国務院新聞弁公室は5月12日、「新時代の中国の国家安全」と題する白書(以下、「白書」)1を発行した。「白書」は、国家安全に関する中国当局の立場を説明し、かつ、公表されたものとしては初めての文書である2。
後述のとおり、中国は国家安全3の定義・範囲を広く解釈している。そのため、「白書」が扱う射程も、国内の治安や、台湾問題や海洋権益といったいわゆる核心的利益に関するテーマ、経済安全保障及び国際的な安全保障への関与など、極めて広い。紙幅の関係上、これら個別のテーマを一つ一つ取り上げて分析することは困難であるため、本稿では、「白書」の要点を概説した上で、特徴的な記述について分析する。その上で、これら特徴点を含め、「白書」には、中国の「自信」と「不安」が交錯していると指摘し、これが中国の内外政策にいかなる影響を与えているかを考察する。
1. 「白書」の概要
白書は、前書及び結論も含め、全体で8パートから構成されている。以下では、その中身を要約する。
「前書」
習近平政権下(中国では、「新時代」と表現)において、国家安全をめぐる制度の改革・能力の向上が推進されてきたことを通じ、国家安全が強化されてきた。これを踏まえ、「白書」の目的とは、習近平政権の国家安全業務の刷新的な理念やその成果を詳述し、経験を共有するとともに、他国と世界の平和的発展を推進することである。
「1.中国は変化と騒乱が交錯する世界に明確性と安定性を注ぎ込む」
世界は歴史的な十字路に立っている中、地政学的リスクの増大、経済のグローバル化の逆流、非伝統的安全の挑戦の増加などの問題が存在している。さらに、アジア太平洋地域が大国間競争の焦点になりつつある。これに対し、中国は国力の増大や国際的影響力の拡大などを背景に、世界で最も安全な国の一つになった。そうした中、中国は西側からの制裁や浸透といった圧力に直面しており、中国共産党(以下、「共産党」)の領導の下、中国は団結して強国の建設を推進するとともに、地域の安定と世界平和に貢献していく必要がある。
「2.総体的国家安全観を新時代の国家安全の指針とする」
総体的国家安全観とは、習近平国家主席(原文では総書記)が2014年4月に提唱した国家安全の概念であり、政治、軍事、国土、経済といった20の分野4における安全を確保するとともに、発展と安全、中国国内と国外の安全などの重要な関係をうまく処理し、体系的で、各分野が協調し合う形での国家安全体制の増強を図っていく必要がある。総体的国家安全観に基づく国家安全の推進に当たっては、共産党の領導が強化されなければならず、国家安全の各分野の中でも、共産党の統治と社会主義制度の保全を意味する政治安全の確保が最重要である。
「3.中国式現代化の長期的かつ安定的な実施に支柱を提供する」
中国式現代化を推進する過程における様々なリスクを未然に防ぐ必要がある。そのためには、まず、政権・制度・イデオロギーの安全を守り、敵対勢力の浸透・破壊・転覆・分裂活動を防がなければならない。また、人民の安全感を向上させるとともに、サプライチェーンの強じん化や科学技術の自立化等を含む質の高い発展を保障したり、サイバー、データ、AI等の新領域(中国語では「新興領域」)の活用とリスク管理を確かなものにしたりする必要がある。さらに、台湾の統一推進を含む領土の一体性及び海洋権益の擁護を図っていくべきである。
「4.発展の中に安全を固め、安全の中で発展を図る」
安全と発展を両立させるためには、良好な対外的環境の醸成、法に基づく治安の強化、新技術の活用と法的規制の同時並行的な推進などが必要である。また、対外的開放を進めていく必要がある一方、外国からの干渉・制裁・ロングアーム管轄(法の域外適用)に対抗するための各種措置の整備も行い、中国の発展の権利を守らなければならない。そのためには、これまで整備してきた各種立法のほか、司法協力などを含む対外的(中国語では「渉外」)法治を推進していく必要がある。
「5.グローバル安全イニシアティブを実践し、国際的な共通の安全を推進する」
勢力圏、覇権による安定、同盟システム等の古い発想では、新たな安全領域の挑戦に対応できず、国際的な共通の安全には新たな理念と方法が必要である。こうした中、中国は、総体的国家安全観の「世界版」に相当するグローバル安全イニシアティブを提唱しており、多くの国からの賛同を得ている。中国は同イニシアティブの理念と原則を踏まえ、国連システムに基づく国際的安全保障の推進、ウクライナ・中東・朝鮮半島など地域の問題への建設的関与、新領域を含むグローバルガバナンスの諸問題に係るルール策定への参画・協力などを進めていく。
「6.改革を深化させる中で国家安全体系と能力の現代化を推進する」
国家安全の維持に当たっては、システムの構築が必要であり、そのためには、制度、法治、戦略、リスクの早期警戒及び危機管理の各システムを整備しなければならない。さらに、国家安全を守るため、社会ガバナンス、エネルギー・資源等の確保、軍事力、科学技術、国際社会への関与、国家安全に係る宣伝・教育の各種分野を強化するべきである。
「結論」
中国は人民の安全を保護し、世界の平和を維持することが自身に委ねられた。また、中国は、自国の安全を追求すると同時に、各国と共同で国際的な安全保障を構築・享受していく。
以上のように、「白書」は、中国の国家安全は総体的国家安全観の概念に基づきその強化が図られるべきであるとの前提に立ちつつ、「中国式現代化」を推進する手段として位置付けられたほか、安全と発展の両立、国際的な安全保障への関与などを表明するとともに、そのために必要な基盤・手段の整備が述べられている。
2. 「白書」の特徴的記述
「白書」の記述内容は、中国当局が過去に発行した国家安全に関する文書や、習国家主席をはじめとする高官の演説等と多くの部分で重複がみられる。そのため、「白書」は、習政権の国家安全概念の現時点における集大成的な文書であると位置付けられよう。こうした中、「白書」で用いられる記述において、以下3つの特徴点を見出すことができる。
第一に、中国式現代化が国家安全の文脈で用いられたことである。中国式現代化とは、西側とは異なる中国独自の近代化モデルが存在するとする中国のナラティブである。鈴木隆によると、習国家主席が中国式現代化について詳細に語ったのは、2023年2月に行われた第20期党中央委員、候補委員及び閣僚級幹部向けの演説5であり、同演説では、中国式現代化について、「西側」(欧米ほか日本なども含む)の近代化経験を批判的に捉えて説明されている6。さらに同演説からは、長期的には西側が衰退し中国を筆頭とする途上国からなる「東側」が台頭すること、及び中国が統治の安定という点で西側に優越していること等の認識が見て取れる7。上述のとおり、「白書」で中国式現代化に言及したパートでは、共産党統治の保全、領土・海洋権益の擁護、経済安全保障の確保などが主張されているが、これらは、中国が西側に優位な体制を確保する上で必要と認識されていることが見て取れる。
第二に、国際的な安全保障問題への関与を強調したことである。中国は、国際的な安全保障問題への関与について、2023年2月に発行した「グローバル安全イニシアティブ・コンセプトペーパー」8(以下、「ペーパー」)において様々な方針を示しており、「白書」の記述内容も基本的には「ペーパー」と同様である。他方、「白書」は、同盟システム等これまでの国際的安全保障の在り方を否定している。同時に、自国と他国の安全保障が両立する形で安全保障を追求するべきと考える「共通の安全保障」9を念頭に、「国際的な共通の安全」に基づく安全保障環境の整備を主張しており、ある種の理想主義的な安全保障観を打ち出していることも、「白書」の特徴に挙げられる。これは、「白書」の「絶対的な安全を追求していては、安全保障のジレンマに陥るだけである。イデオロギーによる区分け、特定の国家をターゲットにした陣営化や排他的な『小サークル』では、分裂と対抗を作り出すだけである」という記述からも看取される。
第三に、「法治」の重視である。「白書」では、国家安全法や反スパイ法など、習近平政権下で制定・改定された16の法律10が「附表」で紹介されているほか、本文においても、反外国制裁法や対外関係法など、同様に習政権下で制定された対外関連法規への言及がみられるとともに、国家安全システム構築の一つに法治を位置付けていることからも、注力ぶりが看取される。
「白書」が、法治を重点的に取り上げた背景としては、2つ考えられる。一つ目は、総体的国家安全観に基づく広範な国家安全の擁護の方針を、法律という形で明文化させる意図があるということである。これは、国内の統制強化のみならず、各種法規を根拠とした国外への「法執行」又は「懲罰」を正当化することも志向11していると考えられる。なお、「白書」では、上記の「ロングアーム管轄」に反対している一方、習国家主席が中国法を域外適用できるような法体系建設を主張12するなど、中国自身が「ロングアーム管轄」の推進を行っている点には留意が必要であろう。
二つ目は、国際的なルール形成に参画することなども見据え、規範形成の余地が大きい分野において中国が主導権を握ることを念頭に置いている点である。これに関連して、西南政法大学教授の謝波は、「宇宙、深海、電磁、海外利益、海外での軍事行動など、現行の国家安全立法が空白の領域について、これまでの『受け身で対応する』方法から『主導的に方策を考える』立法への転換が必要」と、新領域を含む分野で積極的な法整備を進める必要性を主張13している。
おわりに:「自信」と「不安」が交錯する中国の自己認識・世界認識とその示唆
折しも「白書」は、本年成立した米国の第二次トランプ政権が、中国への対抗姿勢を鮮明にする一方、対外援助の大規模な縮減を含め国際的関与から後退しているタイミングで発行された。「白書」は、米国による国際的安全保障の在り方を念頭に置いたとみられる「同盟システム」や「覇権」に対置させる形で「国際的な共通の安全」という安全保障観を提示し、中国はこれに基づく安全保障の担い手になり得ると表明した。さらに、米国を含む西側に比して優位と中国が考える近代化モデル・中国式現代化を、国家安全を推進する目的であると位置付けた。以上の「白書」の記述ぶりからは、中国が国際的安全保障の担い手としても、その国家体制の在り方においても、今後米国等西側に優越していくことが可能であるという「自信」の表れが見て取れる。
他方、「白書」からは、こうした自信と裏腹に、対外的な圧力によって共産党の統治が脅かされているという「不安」もうかがわれる。中国はこのような不安感に基づき、今後も国内の統制を強化していくことが想定されるほか、台湾、海洋等の問題でも引き続き強硬姿勢を示すことや、経済安全保障やルール形成等の面で西側との競争が激化すること等も予想されよう。
「白書」における自信と不安の交錯する自己認識・世界認識は、むしろ中国の安全を損なう面がある。例えば、「白書」が理想主義的ともとれる国際安全保障観を示す一方、実際には領土・海洋をめぐり、中国自身が「覇権的」に映る行動を採っている。これは、周辺国・米国等の反発を招き、対立を激化させていることから、中国の安全には有利に作用していない。また、対外開放を唱えながらも、域外適用も可能な各種国家安全法規を整備・執行している状況は、海外からの投資を躊躇させ、安全との両輪である発展にもマイナスに働くほか、中国の対外イメージを棄損し得る点も指摘できる。このように、中国が強調する自国の優位性は、その不安感に基づく行動によって相殺される側面があると言えよう。
(2025年5月28日 脱稿)
Profile
- 後藤 洋平
- 地域研究部 中国研究室研究員
- 専門分野:
中国をめぐる安全保障など