NIDSコメンタリー 第379号 2025年6月6日 テクノクラートと軍人——ロシア大統領官邸人事
- 地域研究部米欧ロシア研究室主任研究官
- 長谷川 雄之
ショイグー安保会議書記を支える若きテクノクラート
2025年5月9日に赤の広場で行われた対独戦勝80周年記念の軍事パレードでは、アンドレイ・ベロウーソフ国防相がスーツ姿で式典に臨んだ。2012年11月、国防相がアナトーリ・セルジュコーフからセルゲイ・ショイグーに交代したことを契機として、2013年以降10年以上にわたり、対独戦勝記念日の軍事パレードでは、ショイグー国防相の制服姿が定着していたから、今般のベロウーソフ国防相のスーツ姿は、文官、研究職出身の国防相の誕生を改めて内外に強く印象付けるとともに、ロシア・ウクライナ戦争下のプーチン政権における「テクノクラート」勢力の存在感が示された。
およそ1年前の2024年5月9日、小雪の舞う赤の広場に制服姿で登場したショイグー国防相は、そのわずか数日後にニコライ・パートルシェフの後任として、安全保障書記に配置転換となった。パートルシェフが大統領補佐官に就任すると、彼を支えるべく、地方知事、地域発展次官などを経験したセルゲイ・ヴァフルコーフ安保会議副書記が大統領府内部部局に局長として異動した1。これにより、ショイグー安保会議書記を補佐する副書記の体制は、連邦保安庁(FSB)出身の元内相、ラシード・ヌルガリーエフ安保会議第1副書記、FSB出身のオレグ・フラーモフ副書記、内務省出身のユーリ・コーコフ、ロシア軍(軍検察)出身のアレクサンドル・グレビョーンキン、同じく軍出身で軍事アカデミー前総裁のグリゴーリ・モルチャーノフ副書記2、外務省出身のアレクサンドル・ヴェネディークトフ副書記、外務省勤務経験はあるが銀行勤務の長いアレクセイ・シェフツォーフ副書記の7名体制となり、FSB、内務・外務・軍出身者のみから構成されることとなった。
また2名減となった安保会議書記補佐官のポストには、すぐさま国防省からアレクサンドル・ブラチョーナク国防大臣補佐官と国防省サイバー担当のパーヴェル・カナヴァーリチクの2名が送られ3、ヴァフルコーフ副書記の後任人事を除いて、ショイグー書記を補佐する体制が一応は整えられた。
ショイグー安保会議書記は、2024年9月と2025年3月の北朝鮮訪問、2024年10月のアラブ首長国連邦訪問、さらに2025年2月のインドネシア、マレーシア、中国歴訪など安保会議主導の外交活動を積極的に展開しており4、パートルシェフからショイグーに安保会議書記が交代しても、その活動量が低下しているわけではない。
こうした中、2025年3月26日には、ショイグー書記の補佐体制を強化する人事発令があり、副書記は第1副書記を含めて8名から構成されることとなった。新たに安保会議副書記に着任したアレクサンドル・マースレニコフは、1982年6月12日リャザン市生まれの42歳で、2005年に高等経済学院マネジメント学部(専攻:組織管理)を卒業している。在学中の2003年にはAIG-Brunswick Capital Managementにおいてインターンを経験し、2004年に経済発展・通商省(当時)に入省した。2008年まで地方発展局勤務、2008年から2012年まで経済発展省経済部門発展局伝統セクター・市場部次長、部長を経験し、2012年から2014年まで同省経済部門発展局次長、2014年から2018年まで同局長を務めた。その間、2011年に連邦政府附属国民経済アカデミー法人経営高等学院、2012年にジュネーブ国際・開発研究大学院(専攻:WTOと工業製品の市場アクセス規制)をそれぞれ修了している5。2018年から2025年までロシアの主要大学・研究所とともにベンチャー・イノベーションとハイテク技術の商用化に取り組み、2019年からは全ロシア社会団体「ロシア・ビジネス」総評議会委員を務めている6。経済官庁出身のテクノクラートが安保会議に新たに進出し、ショイグー体制を支えることとなった。
サリュコーフ安保会議副書記(前ロシア陸軍総司令官)の人事発令
さらに対独戦勝記念日の翌週5月15日には、オレグ・サリュコーフ陸軍総司令官が安保会議副書記に配置転換となった7。2014年から11年にわたり赤の広場における軍事パレードを指揮してきたため、とくに知名度の高いロシア軍の最高幹部である。
2012年5月に発足した第3期プーチン政権以降、ロシア軍出身の安保会議副書記として、ユーリ・アヴェリヤーノフ(2012年~2023年、うち2013年からは第1副書記)、ミハイル・パポーフ(2013年~2024年)、現職ではグレビョーンキン、モルチャーノフの名前が挙げられる。現職者のうちグレビョーンキンは、軍検察の出身で、1993年以降、つまりソ連邦解体後早い段階から安保会議事務機構に勤務しているから、部隊指揮などを担ってきた軍人と言うよりも、安保会議による軍監察、軍の管理・運営に携わってきたクレムリンの国家官僚と言えよう。一方のモルチャーノフの経歴の詳細は公表されていない。1973年から2024年までロシア軍に勤務し、国防省軍事アカデミーで総裁を務めた歴史学博士、軍事学のPh.D.保有者で助教授資格を有する者である8。
今般、安保会議副書記に任命されたサリュコーフは、陸軍総司令官にまで登り詰めた人物で、彼の安保会議事務機構における役割が注目される。軍最高幹部の安保会議副書記への配置転換と言えば、ユーリ・バルエーフスキの人事が有名である。
2004年から2008年まで参謀総長を務めたバルエーフスキは、参謀総長退任と同時に安保会議副書記に任命され、2012年1月に副書記を退くまで「国家安全保障戦略」や「軍事ドクトリン」の策定に携わった9。サリュコーフが次期「軍事ドクトリン」の策定など、軍事安全保障政策の影響を及ぼすのか、または全く別の役割を担うのか、彼の動向が注目される。
マースレニコフ副書記は、まさに経済系の若き国家官僚、テクノクラートである。ベロウーソフ国防相人事に象徴されるテクノクラートを重用する人事政策は、国家安全保障政策の企画立案、総合調整、監督を担う安保会議事務機構の幹部人事においても観察される。同時に、サリュコーフ陸軍総司令官の安保会議副書記への配置転換も「高級軍人」の大統領官邸入りという点で極めて重要な人事である。これらがウクライナ戦争という特殊な状況下における人事傾向として位置づけられるのか、軍人とテクノクラートの影響力の変化や両者の関係性を含めて、更なる検討を要する。
Profile
- 長谷川 雄之
- 地域研究部米欧ロシア研究室主任研究官
- 専門分野:
ロシア地域研究,現代ロシア政治・外交