NIDSコメンタリー 第378号 2025年5月27日 2025年5月の印パ危機に関する初期的考察

地域研究部アジア・アフリカ研究室
栗田 真広

はじめに

2025年4月にインドのジャンム・カシミール準州パハルガムで発生した、民間人26人が犠牲になったテロ攻撃は、翌月7日、インドがパキスタン本土及びパキスタン側カシミールの複数地点に所在するとされたテロ関連標的への攻撃を行ったことで、印パ二国間の軍事危機に発展した。同種の事案は、2019年2月のプルワマ危機以来である。その後、印パ双方が相手側による無人機やミサイルでの攻撃を非難し合う展開が続いた後、パキスタンが5月10日、7日のインドの攻撃に対する本格的な報復として、インド領内及びインド側カシミールの複数地点の軍事基地等への攻撃を実施した。しかし同日中に、ドナルド・トランプ米大統領が、印パが停戦に合意したと発表し、両国がこれを認め、危機は収束した。

今回の事案は、2019年のプルワマ危機以上に印パ双方の主張する事実関係に食い違いが大きく、4日間の危機で何が起きたのかを正確に記述することは、現時点では不可能である。特に、7日のインドの対パキスタン攻撃と、10日のパキスタンの対印報復の間に生じた両国間の応酬に関しては、用いられた手段や標的、双方の被害に関して、不透明な部分が大きい。よって本稿では、危機の展開を概観するよりも、いくつかの重要な側面の背景や評価に焦点を絞る形で、この危機に関する初期的な考察を行う。焦点となるのは、パハルガム・テロの位置付け、5月7日のインド及び5月10日のパキスタンの攻撃の背景、そして危機の収拾と国際社会の役割である。

パハルガム・テロの位置付け

今次の危機の発端になったのは、4月22日に発生した、インド側カシミールのパハルガムでのテロ事件である。この事件に関しては、抵抗戦線(The Resistance Front)と呼ばれる武装組織がいったんは犯行声明を発出したものの、その後関与を否認した1

抵抗戦線は、インド側カシミールで活動する多数の反インド武装組織の中でも比較的新しく、2019年8月のインド側カシミールの自治権撤廃の後に登場した組織の一つである。ただ、これら新興の武装組織は、それ以前から存在していた、イスラム主義の色合いが濃い武装勢力が衣替えした組織とされ、宗教色を薄めて「カシミールの抵抗運動」としてのイメージを打ち出そうとしたものだと見られている2。インド政府は抵抗戦線を、2008年11月のムンバイ同時多発テロの主犯であるラシュカレ・タイバ(LeT)のフロント組織だと位置付けている3。そして、それら旧来からの武装組織に関しては、パキスタン当局、特に軍及び統合情報部(ISI)との繋がりが指摘されてきた。

パハルガムのテロ事件に関して、パキスタンとの繋がりを主張したインドに対し、パキスタン政府は関与を否定して証拠を要求するとともに、捜査に協力する用意があると述べた4。これに対して、インドは合同捜査を拒否している5。実際のところ、事件へのパキスタン側の繋がりがどの程度であったのかは、公開情報からは判断できないが、そもそもインド側が問題視しているのは、長年にわたるパキスタンの反インド武装勢力支援そのものであり、パハルガムのテロ事件自体の計画・履行へのパキスタン当局の関与の程度だけを問題にしているわけではない。

そうした反インド武装組織とパキスタン軍・ISIの結び付きゆえ、パハルガムのテロ事件がこのタイミングで起きた理由について、パキスタン側の事情から推察しようとする向きが散見される。しかし、公然の秘密としてのパキスタンによるインド国内、特にインド側カシミールでの反政府武装闘争支援は、同地域に燻る反連邦政府の感情につけ込む形で、盛衰こそあれ過去70年超にわたり続いてきたものである。また、武装勢力を支援していると言っても、それは必ずしも、攻撃実施のタイミングを含め、武装勢力による個々のテロ攻撃の計画・実施を、パキスタン側が全て事細かにコントロールしていることを意味するわけではない。特に、常に一定数の武装組織が存在し、テロ攻撃が散発的に発生するカシミール域内での、それほど厳重に防護されていない標的への攻撃では尚更である。

インド側カシミールでの反政府武装勢力によるテロ攻撃は、2019年8月の自治権撤廃以降、インド連邦政府がジャンム・カシミール準州での治安を強化して抑え込んできたこともあり、歴史的に見れば、ここ数年はかなり低い水準に抑えられている(図1参照)。これは、自治権撤廃がインド側カシミール域内での連邦政府への反感を増幅させたことに鑑みれば6、驚くべき水準とも言える。それでも、カシミール域内でのテロ攻撃自体は無くなっていないし、その中には抵抗戦線によるものも含まれる。これらに鑑みれば、今回のテロ事件がこのタイミングで生じた意味を、殊更に重視する意義は乏しい。

図1 インド側カシミール域内におけるテロ事件数

図1 インド側カシミール域内におけるテロ事件数

(出所)South Asia Terrorism Portal, “Datasheet - Jammu & Kashmir,” https://www.satp.org/datasheet-terrorist-attack/fatalities/india-jammukashmirより作成。

今回のテロに新奇な点があるとすれば、それは多数の民間人が犠牲になったことである。2008年のムンバイ・テロの後、パキスタンが支援しているとされる組織によるインド国内でのテロ攻撃は、地理的にはカシミール域内へ、そして標的の面では民間人ではなく治安部隊を標的とする方向へシフトしたと言われてきた7。そうした経緯ゆえ、確かにパハルガム・テロは、インド国内での単発のテロ事件としては、民間人の犠牲者数の面で近年稀に見る重大なものであった。

ただ、インド側カシミール域内でのテロ攻撃に限った時系列的な趨勢を見ると、振れ幅は大きいものの、2016年を底として、徐々に犠牲者数に占める民間人の割合が増加していることが見て取れる(図2参照)。具体的な事件の内容で見ても、2019年8月以降、武装組織がカシミール域外からの移住者や一時滞在者、非ムスリムのマイノリティを標的にする事件が目立つようになってきた8。2024年10月に発生した、抵抗戦線が現地人の医師1人と域外から来ていた建設作業員ら6人を殺害した事件は典型である9。パハルガムのテロ事件も、こうした流れの延長線上に生じたと見ることができる。

図2 インド側カシミール域内でのテロ攻撃の犠牲者数と民間人/治安部隊の割合

図2 インド側カシミール域内でのテロ攻撃の犠牲者数と民間人/治安部隊の割合

(出所)South Asia Terrorism Portal, “Datasheet - Jammu & Kashmir,” https://www.satp.org/datasheet-terrorist-attack/fatalities/india-jammukashmirより作成。

(注)犠牲者の人数が左軸、犠牲者数に占める民間人と治安部隊要員の割合が右軸。

印パ双方の攻撃の背景

今回の事案は、印パ間の軍事危機としては2019年2月のプルワマ危機以来6年ぶりであるが、両危機の間の時期も、パキスタンとの繋がりがあると見られる武装組織によるインド側カシミールでのテロ攻撃は発生している。ここから明らかなように、インドは飽くまでも、極めて重大なテロ攻撃に関してのみ、パキスタン領内への軍事的対応に訴えている。そうした対応が取られたケースは過去に二度ある。2016年9月にインド陸軍の基地が襲撃されて18人が殺害された事件の後、両国のカシミール実効支配地域を隔てる実効支配線(LoC)を超えてパキスタン側カシミールへの越境特殊作戦を行ったケース、そして準軍事部隊の車列への爆弾テロで40人の死者が出た2019年2月のテロ事件の後、パキスタン側カシミールから若干パキスタン本土内に入ったバラコットにあるテロ組織の拠点に航空攻撃を行ったケースがこれに当たる。

いずれのケースでも、インドは軍事的対応をもって、「テロには断固たる対応を取る」姿勢を明確にしてきた。ただ、そうした姿勢を公に打ち出すことは、それにも拘わらず深刻なテロ攻撃が再発した場合に、国内政治上の観点と、威嚇の信頼性維持の観点から、より強い対応を取らざるを得なくなることを意味する10。また、深刻なテロが再発して報復に訴えるとき、それ以前の、軍事的反撃を招くには至らずに見過ごされたテロ攻撃への報復も加味された、「累積的報復(cumulative retribution)」の様相を帯びる、との指摘もある11

深刻なテロ攻撃の発生を受けて、インドがパキスタンへの軍事的対応に訴えるとき、事態は印パ間の軍事危機に発展する。印パ間のこの種の事態におけるエスカレーション・ラダーには、構造的な非対称性があり、インドの攻撃に対してパキスタンが反撃を抑制しやすい構図になっている。すなわち、インド側には、パキスタン国内にいる反インド武装組織やその支援インフラ等、純粋な軍事目標ではない標的を通常戦力で攻撃するという、通常戦争レベルと通常戦争未満(sub-conventional)のレベルの間に位置するオプションがある。しかし、パキスタン側にはこれに相当する、均衡的な反撃のオプションが事実上存在しない。そのためインドの攻撃がこの形態を取るとき、パキスタンは、エスカレーション・ラダーを上がりも下がりもせずその選択をインドに投げ返すということができない。限定的ではあれ明白な通常戦争レベルの行為、つまり通常戦力でのインドの軍事アセットへの攻撃に踏み切ってラダーを上がるか、あるいは反撃の見送りを含め、インド側の攻撃よりもラダーを下がった対応を取るかのいずれかしかなく、通常戦力で劣るパキスタンには、理論上、後者を選択する誘因が生じる。

2016年、2019年のいずれの事例でも、インドはここを衝いた。パキスタン領内の標的を攻撃はしながらも、攻撃対象はテロ組織に留め、その点を明確にもした12。この企図は成功し、2016年の越境特殊作戦に対してパキスタンは目立った軍事的反撃を取らなかったし、2019年の航空攻撃に対しては、反撃には訴えつつも、標的はインド本土ではなくインド側カシミール域内で、かつ意図的にインド側の軍事目標を外して被害を生じさせないといった象徴的なものに留めている。そして今回の事案でも、7日の攻撃に際し、インド側はテロ関連標的への攻撃でありパキスタン軍施設は攻撃していないことを強調しており13、同様の帰趨を期待したものと見ることができる。

この攻撃の後、両国間で軍事目標を対象とした無人機やミサイル攻撃の応酬があった上で、10日のパキスタンの反撃が行われている。この応酬は、双方の主張が最も食い違っている部分であることから、この間の事態のエスカレーションが実際のところどう展開したのかは定かでない。それゆえ、7日の攻撃を受けた時点でパキスタンが10日の通常戦争レベルでの反撃を決意したのか、それとも以後の応酬の中でのエスカレーションを踏まえて10日の反撃実施を決めたのかは、現時点では断定できない。

しかしながら、今回の事案においては、過去の事例にはなかった、パキスタン側に本格的な反撃の実施を促すいくつかの要素が存在していたことは指摘できる。そもそもパキスタン側には、2016年、2019年の二度にわたり抑制的対応を取ったとの認識があり、今後も深刻なテロ攻撃が生じた際にインドがパキスタンへの軍事的対応を繰り返すのを抑止するため、また国内世論の圧力に応える観点から、今回は何らかの対応を取る必要性を感じていたと考えられる14。さらに、インドの初動の攻撃の性質の違いもあった。LoC付近の標的を叩いた2016年の越境攻撃や、山間部の標的を狙った2019年の航空攻撃とは異なり、今回の、ムリドケやバワーワルプルのような都市に所在する標的への攻撃は、パキスタン当局が公にはテロ支援を否定している以上、パキスタン側のナラティブ上は「民間人への軍事攻撃」になる。これは、対印報復を求めるパキスタン国内の世論を喚起する。そして2022年以降、イムラン・カーン前首相との対立で国内世論の支持が大きく傷ついていたパキスタン軍にとって、インドからの攻撃という事態を前に、弱い対応を取ることは極めて難しかったと見ることができる15

なお、10日の反撃の直後、パキスタン国営テレビが、シャバズ・シャリフ首相が同国の核政策に係る最高意思決定機関である国家指揮部(NCA)の緊急会合を招集したと報じた。しかしその後同日中に、カワジャ・アシフ国防相が、NCAは開催されておらずその予定もないと否定した16。実際の開催の有無は定かでないが、そもそも核関連政策は全てNCAの決定に服することになっており、その開催が必ずしも、核使用の差し迫った準備を意味するわけではない。パキスタンの核政策に照らせば、少なくとも陸軍の機甲部隊が投入されるような地上侵攻をインドが開始しない限り、パキスタンが真剣に、意図的な核使用を検討することは考えにくい。

他方で、7日のインドの初動以後に生じた、双方が無人機やミサイル攻撃で互いの軍事施設を標的とする構図は、たとえ意図しない形であっても核戦力や関連インフラが攻撃を受け、「使うか失うか(use or lose)」の論理に基づく核使用が生じるリスクを想起させるものであった。ただ、公開情報で確認できる限りでは、当の印パ両国が、核戦力及び関連インフラへの攻撃リスクをめぐりパニックに陥っていた様子は見出せない。この点は、印パ間における「意図せざる(inadvertent)」核使用リスクの程度を考える上で示唆的ではあるが、本格的な分析は、この間の応酬、特に実被害の程度に関するさらなる情報の開示を待つ必要があろう。

国際社会の介入と危機の収拾

今回の危機は、深刻なエスカレーションを見た一方で、短期間で急速に収束した。停戦の発表は唐突ではあったが、10日のパキスタンの反撃直後の時点で、印パはともに、事態のさらなるエスカレーションは望まない姿勢を明確にしていた17

何が危機の収拾の主要因になったのかは今後の検証を待つ必要があるが、双方がともに、これ以上攻撃を続けることで得られる戦略的な効用は乏しく、リスクに見合うものではないと認識していたことは考えられよう。インド側の攻撃は、深刻なテロには断固として応じるとの姿勢をシグナルする意味は持ったと思われるが、この種の限定的なスタンドオフ攻撃を続けたところで、物理的にパキスタンの武装勢力支援能力を深刻に毀損させられるわけではない。他方で、事態がここで収拾しなければ、やがて陸軍の投入を伴う本格的な通常戦争にエスカレートする危険も出てくる。通常戦力で優るインドはそこで優越できる可能性が高いが、その場合にはパキスタンが核使用に踏み切りかねない。

パキスタン側では、恐らく同国が最も重視した、軍事的対応には反撃に訴え得ることをインドに対して示し、抑止の立て直しに繋げるとの企図は、10日の反撃を実施した時点で達成されている。ここから事態がエスカレートして本格的な通常戦争になれば、究極的には自身が不利であり、そこで核使用に追い込まれることはパキスタンも全く望まない。加えて、インドは7日の攻撃に先立って、印パ間の水資源共有に係るインダス川条約の履行停止を表明したほか、恐らく今後、2022年10月にパキスタンが脱却した、国際的なテロ資金対策枠組みである金融活動作業部会(FATF)の監視対象リストへの再指定といった動きが出てくる。これらは今後、印パ間の外交戦が控えていることを意味し、決して外交的なレバレッジの多くないパキスタンにとって、ここで強硬姿勢を貫いて国際社会の非難が自身に集中する展開は望ましくはなかったと考えられる。

これらに鑑みれば、合理的な戦略的カリキュレーションに基づいて、双方が下りるべきところで下りたと捉えることもできる。そして同時に、今回の危機では、2019年のプルワマ危機と比べ、国際社会が活発に介入に動いた形跡も見られた。パキスタンのイスハーク・ダル外相は、30ヶ国を超える国が仲介に関与していたとしている18

各国の外交努力の細部は現時点で明らかになっていないが、特に主導的な役割を担ったのは米国であったと見られる。米国は1990年代から2000年代にかけて、印パ間の危機の仲介役を務めてきたが、近年では、米印関係が緊密化した結果として、もはや米国が印パ間で中立的な仲介者としての役割を果たし得ないのではないかとの指摘もあった19。しかし米国政府は今回、7日のインドの攻撃前から、マルコ・ルビオ国務長官を中心に印パ双方とコンタクトを持ち、極めて中立的なトーンで、双方に対して抑制を促した20。一方、パキスタンと緊密な関係にある中国は、7日のインドの攻撃後、これを「遺憾(regrettable)」としつつも強く非難はせず、中立的に双方に抑制を促すに留めた21。中国は元々、パキスタン起源のテロに起因した印パ危機の折には、明確にパキスタンの肩を持たない傾向にあるが、今回の姿勢もその延長線上にあった。中国は2010年代半ば以来、印パ戦争の際には主戦場になる可能性が高いパキスタンのパンジャーブ・シンド両州に多大な投資をしており、印パ間の大規模戦争は最悪のシナリオであろう。

 勿論、これら国際社会の介入が危機の収拾にどの程度有意であったのかは、今後の検証に委ねられるべき事項である。とはいえ、分極化が進む今日の国際政治の中にあって、米中を含む主要国が揃って印パ双方に自制を促す構図は、一定の安心感を生むものではあった。

おわりに

今回の印パ危機は、今日の国際社会における「潜在的な発火点」として、印パ対立の危険性を印象付けるものになった。両国が核保有国であることに鑑みれば、そうした懸念は理解できる。

今回の危機後の停戦がどの程度維持されるのか、さらに印パ間に存在する各種の争点に関して対話が進むのかについて、現時点で見通すのは困難である。そうした対話に関する印パ間の隔たりは大きいままであるし22、仮に両国政府が政治的意思を持って対話に乗り出すとしても、必ずしもパキスタン政府の意思に沿って動くわけではない反インド武装勢力が、テロ攻撃を起こしてその機運を失わせる、といった行為に訴える可能性もある。ナレンドラ・モディ印首相は、就任直後にパキスタンとの和平プロセスの再開に着手し、当時のパキスタンのナワズ・シャリフ政権との間で対話を進めようとしたが、2016年1月と9月に、パキスタン系武装組織によるインド国内での深刻なテロ攻撃が生じ、頓挫している。

他方で、近年の印パ関係の経緯を振り返ると、両国は2021年2月に、2003年の停戦協定を順守することで合意し、2010年代後半から苛烈さを増していたカシミールのLoC付近での砲撃の応酬を鎮静化させた。この合意は当初、極めて脆いと評価されたが、幸いにも有効に機能した。2019年に3,479回、2020年に5,133回を数えた、砲撃を含む停戦合意違反(CFV)は、2021年に664回、2022年には1回、2023年に3回、2024年に1回と激減し、少なくとも今次の危機直前まで合意は概ね維持されてきた23

この背景には、印パ間の軍事的緊張を高めないことに、印パ双方が利益を見出していた面がある。インドは2020年6月の中印国境での衝突以後、陸軍の対中国シフトを進めた。これは通常戦力面での対パ優位の要になってきた機甲戦力の再編成と中印国境方面への配置換えを伴うものであり24、印パ間の緊張が高い状態では難しかったと考えられる。またここ数年、インド側カシミールのテロ攻撃件数は、歴史的に見ればかなり低い水準に抑えられているが、これには、印パ間の合意に基づきLoC付近での砲撃の応酬が抑制されたことが寄与していたと言われる。すなわち、元々はそうした砲撃が生む混乱に乗じる形で、LoCを超えて武装勢力が移動してきた経緯があり、CFVの減少に伴って、パキスタン側からインド側カシミールへの武装勢力の浸透件数が劇的に減少したのである25

同時にパキスタンも、過去数年間、とてもインドと深刻に事を構えるような余裕は無かった。2010年代末以来、パキスタン経済は深刻な危機に見舞われ続け、2024年に漸く持ち直しの気配が見え始めたものの、依然として現在までIMFの支援に依存した状態にある26。加えて、2021年8月に隣国アフガニスタンでタリバン政権が復活して以来、パキスタン・タリバン(TTP)やバローチスタン解放軍(BLA)といった武装組織のテロ攻撃による治安の悪化がパキスタンでは顕著になってきた。

こうした背景事情は、今後も変化しないことが保証されているものではないが、恐らくその多くは、少なくとも当面、引き続き印パの政策決定における考慮事項となり続けると考えられる27。その下で印パ間の停戦が維持され、その先にある和平プロセスに何らかの進展が見られることが切に望まれよう。

(2025年5月19日脱稿)

Profile

  • 栗田 真広
  • 地域研究部アジア・アフリカ研究室 主任研究官
  • 専門分野:
    核抑止・核戦略、南アジアの国際関係・安全保障