NIDSコメンタリー 第374号 2025年5月16日 ロシア・ウクライナ戦況メモ 2024年7~9月

地域研究部 米欧ロシア研究室長
山添 博史

ロシア(赤色)およびウクライナ(青色)による制圧・戦闘地域

ウクライナ軍がロシア領クルスク州に奇襲、占領地を形成

本稿は2022年2月以来のロシア・ウクライナ戦争において2024年7月~9月の期間の主な推移を扱う1。ロシアは引き続き主要な攻撃の場所を選び、ウクライナに防衛を強いることで、主要なイニシアチブを保持していたが、変化も発生した。7月にもロシア軍はハルキウ州クピャンスク、ドネツク州チャシウ・ヤル、ポクロウスクなどに向かって前進した。ポクロウスクはウクライナの防衛拠点として主要な争点になっており、ロシア軍がここに向かって西に進む軸が突出したが、到達せず、他の軸でも前進は少なかった。ウクライナ軍は、大砲弾薬や人員の補充が不足し、物量を投入できるロシア軍の前進を遅らせることはできても止めることは見えない状況が続いた。

しかし、8月6日に突如としてウクライナ軍がロシア領のクルスク州に進軍し、ガスパイプラインの拠点があるスジャ市などを制圧下に置き、のちに占領行政当局を設置した。これより前に、ウクライナからロシア人部隊などの小規模勢力がロシア領に入ることがあったが、ロシア国境警備隊が対応して国境線を回復できていた。そのような連邦軍精鋭ではない部隊が1万人ほどいるクルスク州に対して、ウクライナ軍は本格的な侵攻作戦であるという意図を判断しにくい形で(ロシア軍への備えや小規模越境に見える形で)1万人ほどの精鋭部隊を送り込んだ。ロシア側のドローンの行動を電子戦(EW)で妨害し、ドローンによる偵察や攻撃で優位に立ち、第47独立機械化旅団などの精鋭部隊を投入して進軍し、およそ1,000km2にわたる占領地を広げた。ドローンによる監視で相手の行動が見えやすく、奇襲は困難とも言われていたが、意図のあいまいさをもって奇襲の効果をもたらすことができた。

ロシアは2年半前に戦争を始めなければ安全であった自国領の統治を喪失する事態に直面し、対応を迫られた。8月9日、ロシアはテロリズムに対抗する作戦を宣言し、連邦軍、国境警備隊、国家親衛隊などを編成して統治回復にあたらせる旨を命令したが、深刻な侵略の事態であるとして取り扱わないことを選択したと指摘されている2。集団安全保障条約機構(CSTO)に協力を要請する方針もとらなかった。その後、ロシアは連邦軍の数を補充しながら対応した。ウクライナの見積もりでは、9月半ばの時点で30,000~45,000人となった3。ロシアはクルスク州被占領地の西部で反撃し、ウクライナは後退して占領地確保の作戦を継続した。

ロシアは自国民が占領下に置かれてもウクライナでのコストの高い進軍をやめず、ドネツク州での攻撃を続けた。引き続きウクライナの防御拠点として重要なポクロウスクに迫り、8月15日には住民の集団的避難が始まった。分析グループDeepStateUAによるとロシアによるウクライナ領内占領地拡大は8月に363km2、9月に397km2で、これまでの最大のペースとなった4。これはポクロウスク正面に突出して前進する速度は鈍りつつも、その北東や南西のウクライナ前線に対して前進してきた結果で、南西のヴフレダルに対しても攻撃を強めてきた5

ウクライナはロシアに対応を強いる奇襲作戦を実施し、戦場でのイニシアチブを一部奪取した。ウクライナ軍の能力や意思を示すことで、内外で今後の成果を期待させる効果も働いた。また、ロシア軍の後方の補給拠点を叩く作戦も継続し、9月21日にはクラスノダール地方のチホレツク飛行場(北朝鮮からの砲弾を貯蔵したとされる)およびトヴェリ州のオクチャブリスキー付近の弾薬庫を破壊した6。とはいえ、ウクライナのロシア領奇襲の動機の一つにロシア戦力の分散があったと思われるが、ドネツク州主要前線でのロシア軍の優勢を崩すには至らなかった。ロシアはクルスク州に戦力を投入したが、ウクライナの狙い通りにドネツク州攻勢を緩和するように見せない程度に制御する選択をしたと考えられる。ロシアは目的達成には遠いものの、膨大な犠牲を巻き込みながら、ウクライナの戦力を上回ってドネツク州の統治権を少しずつ奪っていく趨勢を示し続けた。

ウクライナに対する多国間協力の進展

7月11日にワシントンでのNATO首脳会合にあわせて、26の国・組織が「ウクライナ・コンパクト」に署名し、ウクライナに対する多国間の支援の多国間枠組みを強化した7。日本や米国も6月13日にウクライナと安全保障協定を締結しており、米国はこれまでの実績や合意文書を踏まえ、ウクライナの防衛能力向上や持続的な平和の達成に向かうコミットメントを表明していた。これらの諸合意を通じ、米国は多国間協力の枠組みで、欧州の安定と平和に対する共通のコミットメントに基づき、ウクライナの防衛力向上や経済復興のために行動をとることを約束している。

F-16戦闘機について、デンマーク、ベルギー、オランダ、ノルウェーから85機以上の供与が表明され、1年以上の準備を経てウクライナに到着し運用が開始された。8月26日にも戦闘に参加し、1機が巡航ミサイルやドローンを撃墜する成果を挙げたが、何らかの事故で墜落しパイロットも死亡する損失があった8。9月26日に米国が発表した総額79億ドル相当の軍事支援パッケージでは、防空システムや榴弾砲の弾薬の追加に加え、F-16に搭載し前線の防空システム圏外から発射して地上の一定面積を制圧するのに有利なJSOW滑空誘導爆弾が含まれた9

8月6日からウクライナがロシアのクルスク州に進軍し、これに関して13日にウクライナ外務省のティーヒー報道官は、クルスク州からウクライナのスムィ州に2,000回以上の攻撃が行われており、それを防ぐための長距離攻撃の能力が制約されていると述べた10。この機会にも、ウクライナが供与された兵器(射程約300kmのATACMSなど)を用いて打撃する範囲を、ウクライナ領内のロシア占領地域のみならずロシア領内にも拡大することを米国が是認すべきという議論が出てきた11。ロシアは自国領が占領される事態になったが、これまでと異なる危険なエスカレーションの段階に進まず、米国の次の手に対して警告を送ることを選択した。9月12日にプーチン大統領は、西側の長距離精密兵器をロシア領内に用いることがあれば、それは西側諸国が戦争に直接参加し紛争の本質を変えることになるので、ロシアは適切な決定を下すと発言した12

ウクライナのゼレンスキー大統領は、米国がより強く出ることでロシアを後退させることを求め、「勝利計画」を準備し、9月のニューヨーク訪問の機会にバイデン大統領、カマラ・ハリス副大統領に加えて大統領選挙の候補者ドナルド・トランプ氏にも説明した13。9月29日、ロシアのセルゲイ・ラヴロフ外相は、5月23日の中国・ブラジルによる政治決着の提案を歓迎し、まだ具体策を聞いていないが根本原因の解決が必要だと述べ14、現状の前線で戦闘を停止する方針を示唆しなかった。ウクライナのロシア領クルスク州における戦術的成功の結果、両軍の戦力の配置に困難な課題が現れ、ロシアの作戦遂行も複雑にした一方で、戦争終結につながる道を明確には切り開かなかった。

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  • 山添 博史
  • 地域研究部 米欧ロシア研究室長
  • 専門分野:
    ロシア安全保障、国際関係史