NIDSコメンタリー 第353号 2024年10月11日 中国とミャンマー内戦——1027作戦と中国の立場
- 地域研究部中国研究室主任研究官
- 山口 信治
はじめに
ミャンマーのシャン州北部において、2023年10月27日以降、少数民族武装勢力による攻勢が続いている。この攻勢作戦は蜂起の日付をとって1027作戦と呼ばれている。第一段階で2024年1月にコーカン地区の中心であるラウカイが陥落し、6月以降始まった第二段階で8月にはシャン州北部の中心都市であるラショーが陥落した。国軍は敗北を喫し、ミャンマーの内戦状況はさらに不透明となっている。
1027作戦そのものにおいても、そして今後のミャンマー情勢においても重要となっているのが中国の動きである。1027作戦の当初の目的は、中国で大きな被害を出して社会問題となっていたシャン州のオンライン詐欺グループの掃討であった。また中国は和平の仲介を行っており、一時は停戦で合意していた。そして今回の攻勢の主体となっているミャンマー民族民主同盟軍(MNDAA)は中華系のコーカン族(つまり華人)の部隊である。さらに今後の展開を考える際にも中国の出方が極めて重要となる。
こうした観点から、本稿では中国のミャンマー内戦における立場と影響力を考察する。中国は国軍、民主派、少数民族勢力とそれぞれ関係を結び、うまくバランスをとってきた。しかし1027作戦以降、内戦が激化する中で、中国の役割はより重要になる一方で、難しいかじ取りを迫られるようになっている。
1027作戦の衝撃
2023年10月27日、ミャンマーのシャン州北部でミャンマー民族民主同盟(MNDAA)が主体となる兄弟同盟軍1の攻勢が始まった。この作戦はその開始の日から「1027作戦」と呼ばれている(MNDAA自身は「ハリケーン作戦」と名付けているようである)。
シャン州北部は、黄金の三角地帯の一部として知られた、中央政府の権威の届かない地域であり、かつてビルマ共産党が根拠地とした地域であった。ビルマ共産党の分裂後、そこから分かれ出たMNDAAやワ州連合軍(UWSA)のような少数民族が独自の軍を保有して割拠していた2。現在でも、シャン州北部は、中国人および中華系を含むミャンマー人によるオンライン詐欺を含む大規模な犯罪ネットワークの拠点となっており、データ売買やマネーロンダリングなどの犯罪経済が現地経済の中心であり続けている3。
こうした主に富裕層を狙ったオンラインギャンブルによる詐欺とその運営には中国人がかかわってきた。こうした中国人は高報酬につられて金儲けの手段としてミャンマーにやってくる人もいれば、騙されて半ば強制労働のような形で働かされている場合もある。ミャンマー北部の100以上の施設に、中国人を中心に2万人以上が詐欺に従事しているといわれ、これが近年中国で社会問題化していた4。
中国はその摘発をミャンマー軍側に再三働きかけたにもかかわらず、十分に行われなかった。実際にはオンライン詐欺はコーカン地区の国境警備部隊が保護し、さらに儲けを国軍にも供与することで成立していた。これに対して中国側の不満はたまっていた。
軍事政権に対する中国の不満を見越して準備されたのが、1027作戦だった。MNDAAスポークスマンの李家文は作戦の目的として、以下の点を挙げた。①2009年の国軍の攻勢で失った土地の回復、②オンライン詐欺の撲滅、③軍政を打倒し、民主化プロセスを回復する、④真の連邦制確立である5。
中国は、この作戦がオンライン詐欺の撲滅に利用可能と考え、これを黙認したと思われる。MNDAAはその兵器をワ州連合軍経由で中国に依存しており、中国の黙認なしにこれほどの規模の作戦を遂行することは不可能だっただろう。
兄弟同盟軍は、1か月以内に約150の軍事拠点、5つの町、4つの国境ゲートを制圧したと発表した6。今回の作戦で、少数民族武装勢力は無人航空機(UAV)を広範に使い、偵察や爆弾の投下によって多方向から攻撃を加えた。民族武装勢力は2万5000発以上の爆弾を投下したといわれている7。こうした攻撃によって国軍は撤退を重ねて、2024年1月にはシャン州北部コーカン地区の中心地ラウカイが陥落した。
その後シャン州では一時停戦となったものの、兄弟同盟軍の勝利はほかの少数民族武装勢力や、民主派の国民統一政府とその軍隊である国民防衛隊(PDF)を勇気づけ、国軍に対する攻勢が続いた。2024年6月には1027作戦第二段階の攻勢がTNLAによって開始された。MNDAAも攻勢を開始し、8月にシャン州北部最大、州第二の都市であるラショーを陥落させ、国軍の北東軍管区司令部を占領した。これはミャンマーにおける内戦で国軍の最大の敗北であり、大きな衝撃であった。
行き詰る中国の仲介外交
中国はこうした状況の中で、軍事政権と少数民族武装勢力の間の和平仲介に動いてきた。中国が仲介に動くのは、従来の中国外交ではあまり見られなかったが、近年ではイランとサウジアラビアの間の関係正常化仲介などにみられるように、中国は国家間あるいは国家内の紛争の仲介に積極的な姿勢を見せるようになっていた。
2023年12月7~8日にかけて昆明において、中国の仲介による軍事政権と同盟軍の和平交渉が行われた。12月14日、外交部スポークスマンは、双方が一時停戦や対話の維持などについて合意に達し、ミャンマー北部の紛争における衝突の件数は大幅に減少していると述べて、楽観的な見通しを示した8。さらに20日には「中国の積極的な仲介とたゆまぬ努力により、ミャンマーの関係当事者は昆明で和平会談を行い、一時停戦協定に署名した」ことを明らかにした9。
しかし停戦はほとんど続かず、戦闘は再開された。この際、ミサイルが雲南省に着弾し負傷者が出るなど、中国にも影響が出始めた。
2024年1月4日、孫衛東副外相がミャンマーを訪問し、ミン・アウン・フライン軍総司令官ほか軍事政権幹部と会談した。孫副外相は、「中国-ミャンマー国境の平和と安定を共同で擁護し、協力してネット詐欺など国境を超える犯罪活動に打撃を与える」こと、中国がミャンマー北部の和平プロセスに建設的役割を果たすことを発表した10。おそらくこの訪問において、中国は、すでに軍事政権がコントロールをほとんど失いつつあるコーカン地区の支配についてMNDAAに軍事政権が譲歩するという線で軍事政権の同意を取り付けた。
これに合わせてラウカイの国軍が降伏し、1月5日にはMNDAAがラウカイを占領した。1月12日、軍事政権とMNDAAの間で、北部シャン州での停戦と中国のプロジェクトおよび人員の安全を脅かさないことを双方が約束かたちで停戦が成立した。
しかし、前述のように、シャン州北部以外でも戦闘は激化し、さらに軍事政権と兄弟同盟軍の戦闘も再開された。中国は双方に停戦を呼び掛けたが、双方とも一応中国には気を使いつつも、相手に停戦意思がないと非難しながら戦闘を継続した。
中国と少数民族武装勢力
中国とミャンマーとの関係において、他国との関係と比べて特殊なのは、中国がミャンマー国内の旧ビルマ共産党の流れをくむ少数民族武装勢力と密接な関係を持っている点にある。冷戦期、中国はビルマ共産党による武装闘争を資金や装備の面で大々的に支援してきた11。ビルマ共産党の分裂後も、中国は国境沿いの少数民族武装勢力との間の関係を維持してきた。もっとも有名かつ強力なのがワ族のワ州連合軍である12。
今回注目を集めたのがコーカン族とMNDAAである。コーカン族(中国語:果敢族)は、明清後退期にミャンマーに逃れた明朝の遺民をルーツとしているとされている。コーカンは1897年まで清朝が統治していたが、イギリス領インドに割譲された。その後国共内戦に敗れた中国国民党軍が占拠し、のちにビルマ共産党が拠点とした。コーカン族は漢族であり、中国語を主要言語とする華人である。
コーカンでは、ビルマ共産党の幹部だった彭家声が、1989年のビルマ共産党分裂の際に中央政府と停戦し、軍隊の保持を許され、ミャンマー民族民主同盟軍を設立し、独自の勢力を保持していた。2008年、ミャンマー中央政府は新憲法を制定し、地方に割拠する軍閥を国境防衛軍に再編し、中央政府への統合を強めようとした。彭はこれに反発したが、2009年に国軍に敗退し、さらに部下の白所成らの反乱で勢力が分裂し、亡命した13。
しばらく姿を消していたMNDAAが再び表舞台に出てきたのは2015年2月のことだった。MNDAAはラウカイに攻撃を仕掛けたが失敗した。国軍の反撃で戦闘機が中国側に入って攻撃を加え、中国人の村民8名が死亡した。中国政府の抗議に対して、国軍は謝罪している。
高齢の彭家声(2022年に死去)に代わって指導者となった息子の彭徳仁は、中国寄りの姿勢を明確にし、中国とのつながりを強調することで、その勢力拡大を図った。彭徳仁は、中国モデルを積極的に用いることで組織の強化を図った。まず2013年にミャンマー民族正義党を設立し、血縁などのコネクションに頼った統治から、組織による統治に転換した。また2015年には軍おいて党による軍の指導という中国の建軍モデルを採用し、軍内に政治委員、党支部、政治部門を設置した14。
MNDAAは、白家ら裏切り者がインターネット詐欺の元凶と主張し、自軍の作戦行動が中国の利益にもなる行動であることをアピールしていた。彭德仁は、『習近平文選』の学習会を実施し(実際は『習近平治国理政』)、中国時間、中国語、人民元を採用し、さらに「祖国への貢献」や「祖国への復帰」にすら言及するなど中国回帰の姿勢を強調している。
ただしこれは彭の中国のバックを得たいがためのアピールであり、必ずしもMNDAAが中国の全面的支持を得ているわけでもなければ、中国の指示に従っているわけでもないと思われる。それは、内戦の経過とともにより明らかとなっていった。
1027作戦の開始時、MNDAAと他の少数民族武装勢力の間には協力関係が存在したし、おそらくNUGとの間にもある程度の連絡があったと思われる。MNDAAは2023年までにほかの少数民族武装勢力の兵士を含む611旅団を新たに結成し、1200名を訓練していた15。
中国と軍事政権
中国にとって、2021年のクーデターは望ましいものではなかった。前述のように、アウンサン・スー・チー率いる民主派政権と中国の関係は必ずしも悪いものではなかった。このため、クーデター後の軍事政権との関係は微妙であった。西側の対ミャンマー制裁には賛成しないものの、全面的に軍事政権を支持するという状況にもなかった。また前述のように、ミャンマーのオンライン詐欺が中国社会で問題となる中で、有効な対策を打ち出せない軍事政権へのいら立ちも募っていた。
他方で、1027作戦の初期段階において、中国が黙認するかのような態度をとったことは、軍事政権側の中国に対する不信感を高めただろう。
2023年11月28日、ミン・アウン・フライン軍総司令官は、外国の専門家が少数民族武装勢力のUAV使用を支援していると発言した16。これはどこの国かは特定していなかったが、中国を暗に示すものだったと思われる。また2024年8月にラショーが陥落すると、ミン総司令官は、特定の外国が武装集団に資金を提供し、食料、医薬品、武器、技術、行政援助などを供給しているとの認識を再度示した17。
しかし同時に、各地で国軍が押し込まれる中で、軍事政権は中国との関係改善と仲介に頼らざるを得なかった。例えば、5月にはミッソンダム建設再開に向けた委員会の設置が発表された18。ミッソンダムは、2000年代に中国が建設を予定していたものの、2011年にテイン・セイン政権が建設中止を決定したダム建設プロジェクトである。これを復活させたことは、軍事政権の中国に対する譲歩であるといえる。7月にはタン・スエ外相が昆明を訪問し、雲南国際電力投資の関係者と会談し、ダム建設について話し合ったものと思われる19。
米国に警戒する中国
中国からすれば、兄弟同盟軍の攻勢を黙認し、オンライン詐欺を撲滅することが当初の目論見だったものの、それがミャンマー全土での反政府組織の攻勢と、ラショー陥落にみられるような軍事政権の危機ともいえるような混乱状況に陥ることは計算外だっただろう。
さらに中国が見ていたのは米国の影である。現在の中国は、あらゆる問題を米国につなげて理解する傾向があるが、ミャンマー内戦の帰趨もまさしくこうした米中対立に引き付けて理解している可能性が高い。王毅外相は、8月のミャンマー訪問時に「ミャンマーにおける混乱や戦争、域外勢力によるミャンマー内政への干渉、中国とミャンマーの間にくさびを打ち込み、中国の信用を失墜させようとするあらゆる試みに反対する」と強調していた20。「域外勢力の干渉」は、米国を指していたと思われる。
中国国内では、国民統一政府(NUG)が米国の指示のもとに動いているとの見解がみられる。米国はミャンマーにおける中国との影響力争いを重視しており、ミャンマーの分裂が自国の利益になると認識して内戦を煽っているという議論が現れている21。8月11日、サリバン米大統領補佐官は、NUGのほか少数民族武装勢力のカレン同盟軍(KNU)、カレンニー民族進歩党(KNPP)、チン国民戦線(CNF)の代表者と面会し、援助を約束している22。中国国内ではこれについて警戒の声が上がっていた23。
こうして中国は、王毅のミャンマー訪問を境に、軍事政権を支持し、これ以上のNUGや少数民族武装組織による攻勢に反対する立場を明確にしてきた。中国人民解放軍南部戦区は、ミャンマーとの国境付近でパトロールと演習を実施し、国境付近での混乱を許さない姿勢を見せた。中国は国境を閉鎖し、少数民族勢力への物資の流れを止めたという24。
また中国は、少数民族武装勢力に対して圧力を強めた。8月31日には、TNLAに対して、雲南省瑞麗市安全部門名義で、中国の仲介への協力と停戦を呼びかけ、それに従わない場合の結果についての警告文が出されたとされている25。なぜ地方政府名義なのか、など疑問も多いものの、中国の停戦に向けての圧力が強まりつつあったことは間違いない。
MNDAAはこうした中国の圧力を受けて停戦を宣言し、ミャンマー第2の都市マンダレーへの攻撃を行わないこと、MNDAAはNUGと協力しないことを宣言した26。これはおそらく中国のNUGと米国の関係についての猜疑心に配慮したと思われる。
おそらく、中国のこうした敏感さは軍事政権もとらえており、MNDAAなど各軍が米国から毎年2億ドルの資金援助を受けているという情報を流した。これに対して9月26日、MNDAAは、①米国と直接・間接の連絡をしたことがない、②米国から直接・間接に資金援助を受け取ったことはない、③我軍が親米であるというのは偽情報である、という声明を出している27。
おわりに
中国は、ミャンマーにおいて、どの勢力が政権についても、中国の利益が侵害されない限り許容して付き合うという立場をとってきた。また歴史的経緯から、ミャンマー国内の少数民族武装勢力とも良好な関係を持ってきた。このため、内戦が深まると中国の立場は難しいものとなっている28。
中国は、しばしば内政不干渉原則を鉄の原則のようにあがめる信奉者として描かれる。しかしミャンマーについてみれば、ビルマ共産党の革命闘争を支援した過去においても、そしてミャンマー内戦において影響力を増す現代においても、これは正しくないといえるだろう29。
最後に、中国はミャンマー内戦の展開を米中対立に引き付けて理解しており、この点が事態をさらに複雑にしている。中国は、NUGの背後に米国の影響があることを警戒し、このことが様々な軋轢を抱えながらも軍事政権を支持する背景となっている。
Profile
- 山口 信治
- 地域研究部中国研究室主任研究官
- 専門分野:
中国の安全保障・政治、現代中国史