NIDSコメンタリー 第347号 2024年8月20日 フィリピンと南シナ海問題 —— 硬軟両用対応の成否
- 地域研究部長
- 庄司 智孝
- 地域研究部アジア・アフリカ研究室研究員
- 辻田 友規
東南アジア諸国、中国、台湾が領有権を争う南シナ海問題は、問題の発生からすでに30年以上を経ているが、近年ではフィリピンと中国の間の衝突が顕著となっている。特に2023年以降、フィリピンの管理下にあるセカンド・トーマス礁の海軍拠点に対して行われる補給活動に対して、中国の妨害行為が激しさを増している。同年2月、中国海警船がフィリピン沿岸警備隊船に対し軍事用レーザーを照射したほか、2024年3月に海警船が比公船に放水銃を発射、6月にも補給活動を実施しようとした比公船に対し海警船が衝突し、放水銃を発射するなど、2024年のいずれの事案でもフィリピン側に負傷者が出る事態となった。
フィリピンのマルコス政権は、高まる中国のプレッシャーに対しても強気の姿勢を崩さず、同盟国米国やパートナー国である日豪との協力を強化しつつ、補給活動を続行する意向を示している。一方で、主として外交チャンネルを通じて中国との緊張緩和にも動いている。本短評は、こうした硬軟の手法を両用することで南シナ海の荒波を乗り切ろうとするフィリピンの動向について、特にここ数か月に目立った動きを取り上げつつ、考察するものである。
フィリピンの南シナ海政策の基本方針――マルコス大統領の施政方針演説
2024年7月22日にマルコス大統領は、就任後3度目となる施政方針演説(State of the Nation Address, SONA)を行った。施政方針演説は、フィリピン大統領が毎年7月に行い次年度の政策の方向性を示すものである。大統領は演説で国内外双方の課題について言及するが、南シナ海における中国との激しい対立に鑑み、この問題にどのように言及するのかが注目されていた。
演説でマルコス大統領は、対外関係を述べるに至り、フィリピンは領土主権に対する挑戦に直面してきたと切り出した。そして南シナ海問題に関し、法の支配に基づく国際秩序の下での適切な外交チャンネルとメカニズムが唯一受け入れられる紛争解決法であり、フィリピンの立場と原則を妥協することなく、関係国との間で紛争領域における緊張緩和の方法を不断に探ると述べた。また、あくまで領有権問題の平和的解決を目指すとしつつも、自助防衛能力と同志国とのパートナーシップを進展させることを通じ、フィリピンの防衛体制を強化し続ける意向を示した。さらに「西フィリピン海(南シナ海)は想像の産物ではない。それは我々のもの(実体)である」と言明し、拍手喝采を浴びた1。マルコス大統領は、国際法に基づく紛争の平和的解決を大前提としつつ、緊張緩和を目的とした中国との協議の可能性に言及し、一方で自らの防衛力と同盟国・パートナー国との協力強化を強調するなど、硬軟両用対応の姿勢を明確にしたといえる。
強い対応――同盟関係の強化
南シナ海で中国と対峙するフィリピンは、同盟国である米国との協力を強化している。南シナ海や台湾での緊張の高まり、そして中国との戦略的競争の激化を背景に、米国にもフィリピンとの協力強化の誘因が働いている。同盟に基づく米国との協力強化を礎に、日本やオーストラリアといった他の米国の同盟国との協力、そしてこれらの国々の3国間・4国間協力も進展している。
2023年以降、米比の同盟協力は本格化し、南シナ海での共同巡視の再開、2014年に合意した防衛協力強化協定(EDCA)に基づく米軍利用地点の増設、2国間防衛ガイドラインの締結といった施策が次々と打ち出された。そして2024年7月30日、4回目の米比外務・防衛閣僚会合(2+2)がマニラで開催された。
同会合の共同声明で両国は、米比相互防衛条約の適用範囲が、南シナ海のいかなる場所での米比いずれかの軍、航空機、沿岸警備隊のものを含む公船に対する武力攻撃に及ぶことを再確認し、地域共通の課題に対処するため、日本やオーストラリアとのさらなる安全保障協力を歓迎した2。
また両国は、2024年度に5億ドルの対外軍事資金(FMF)をフィリピン国軍と沿岸警備隊の能力向上に手当てすること、より頻繁で定期的な協議のため役割、任務、能力に関する実務者会合を設立すること、対フィリピン安全保障部門支援ロードマップ(P-SSAR)を履行すること、EDCA合意地点に対する投資の拡大、「バリカタン」等共同軍事演習へのサイバーの統合を含む、サイバー安全保障協力の推進、2+2の年1回の開催、といった協力の制度化で合意した。さらに軍事情報包括保護協定(GSOMIA)を2024年末までに締結することでも一致した3。
近年、経済安全保障の考え方に代表される、安全保障上の意味を持つ経済協力が盛んに議論され、米国と同盟国・パートナー国はこれに関連するさまざまな政策を実施しているが、米比はこの分野での協力強化を進めることも確認した。中国は現在フィリピンにとって最大の貿易相手国であるが、中国からの経済的威圧の可能性を念頭に、貿易相手の多角化、重要インフラや新興技術の保護の観点から、半導体を含むバリューチェーンの再構築で協力することで合意した4。
さらに、中国を名指ししつつ、国連海洋法条約(UNCLOS)と2016年の仲裁判断を遵守するよう求め、南シナ海における隊員の負傷や装備の損傷につながった危険な行為に対して深刻な懸念を表明し、台湾海峡の平和と安定を維持する重要性を再確認した5。
柔軟な対応――協議による妥協点の模索
マルコス政権は、同盟協力、パートナー国との協力、両者を融合したミニラテラルな協力を進める一方で、主として外交チャンネルを通じた中国との協議も重視している。対立をむやみにエスカレートさせることをフィリピンは望んでおらず、米国や中国も同様であろう。そのため、中国との2国間協議の場で妥協点を探る努力を払った。
2024年6月の負傷事案発生直後の7月2日、フィリピンと中国は2国間協議メカニズム(BCM)に基づく第9回会合をマニラで実施し、緊張緩和のため、海洋問題専用の新たな連絡チャンネルを設置することで合意した6。
その後両国は水面下で協議を続け、同月21日、フィリピンの補給活動について合意に至ったことを発表した。フィリピン側の発表によると、フィリピンの合法的な(lawful)補給活動の実施に際して誤解と誤算を回避するため、両国によって守られる原則と方法について共通了解に至った7。一方、中国外交部報道官は、人道的観点から中国がフィリピンの補給活動を許容するものであり、活動にあたっては中国に対する事前通告と同国による事後の現場検証を要し、中国は補給活動全体を監視する、と説明した8。これに対しフィリピン外務省は、中国側が合意内容を歪曲して伝えていると不快感を表明したものの、27日、合意後初の補給活動は、中国からの妨害行為もなく無事行われた9。
硬軟両用の成否
フィリピンは南シナ海で強い対応に出ているが、事態のこれ以上のエスカレーションを望んでいるわけではない。同盟関係にあるとはいっても、フィリピンの有事の際、米軍が自動的に出動するわけでもない。おそらく中国も紛争のエスカレーションは避けたいのが本音であろう。そのため中比両国は、ギリギリのタイミングで妥結に至った。
セカンド・トーマス礁を含め、南シナ海の領有権に関する中比の見解の相違は依然として大きく、今後協議を重ねてもその溝が埋まる可能性は低い。ただ両者は不用意に事態をエスカレーションさせることは防止したい、という点では一致している。問題の抜本的な解決に至らずとも、対立の激化を防ぐという観点からの合意の履行に向け、両者は今後も努力を払うであろう。ただ、その均衡は危ういものであるには違いない。
Profile
- 庄司 智孝
- 地域研究部長
- 専門分野:
東南アジアの安全保障
- 辻田 友規
- 地域研究部アジア・アフリカ研究室研究員
- 専門分野:
フィリピンを中心とする東南アジアの安全保障