NIDSコメンタリー 第320号 2024年5月17日 ロシア・ウクライナ戦況メモ 2024年1~3月
- 地域研究部 米欧ロシア研究室長
- 山添 博史
ロシア軍がドネツク州アウディイウカで前進
本稿は2022年2月以来のロシア・ウクライナ戦争において2024年1月~3月の期間の主な推移を扱う1。ウクライナは2023年に被占領住民地域を奪回するためのロシア軍前線への大規模反攻を試み、大きな成果を得られずに次の反攻への戦力を得られるまで防衛の態勢に入った。ロシア軍は兵力の質と量の不足に困難を抱えていたが、徐々に改善する傾向にある。英国王立防衛安全保障研究所(RUSI)は、ロシア軍の兵力は2023年初めには混乱した36万人、6月にはより組織的になった41万人、2024年には47万人になったという見積もりを示している2。ロシアが攻勢戦力を投入できる場を選び、ウクライナに防衛の対応を強いるという点で、ロシアが主要なイニシアチブを保持する期間となった。
ロシアは複数の正面で砲撃と前進を仕掛けていたが、この期間に主要な戦力投入と前進の場となったのは、ドネツク州の州都ドネツクの北隣のアウディイウカだった。2014年のドンバス紛争から、ドネツクの北部は前線であり続け、ドネツクや東隣のマキイウカといった大都市かつ戦力準備上の拠点が攻撃を受けやすかった。2023年10月以来、他の正面から戦力を転用するなどして攻勢を本格化し、11月から12月に市街包囲の形勢を進めていた。
2024年1月にロシアは南部と北部で防衛線を乗り越えて前進し、市街戦に入った。2月前半にウクライナは市街南部の拠点から撤収した。ウクライナはバフムト等で戦闘経験を積んだ精鋭の第3強襲旅団を投入し、残留して戦闘していた第110機械化旅団を支援しながら、2月17日にアウディイウカ市街から撤収した。ロシア側はウクライナ部隊が壊走する状況を強調したが、ウクライナは部隊をおおむね保全して撤収したと述べた。ロシアのプーチン大統領は、第2諸兵科連合軍、第41諸兵科連合軍、第1ドネツク人民共和国軍団などの隷下部隊をアウディイウカ作戦に貢献したとして表彰した3。
ウクライナ軍はロシアの死傷者は30,000人以上、損失戦闘車両は400両と述べた4。ロシア側の軍事ブロガーのアンドレイ・モロゾフはこの戦場で死傷者が16,000人、損失装甲車両が300両と述べたのちに自殺した5。囚人などを用いて大量の死傷者を出して市街制圧の前進を果たしたのは、2023年5月までのバフムトを制圧する戦いと類似していた(このときの正面には非正規武装集団のワグネル・グループが従事していた)。
アウディイウカで異なる様相を見せたのは、近接航空支援を本格的に投入したことだった。誘導化した滑空爆弾を用いて目標の近くに多量の弾薬を投下することで、ウクライナの防衛線維持を非常に困難にした6。ただし2月17日の攻勢の際には、ロシア軍用機3機が墜落しており、2月の13日間でSu-34戦闘爆撃機10機とSu-35戦闘機2機、A-50早期警戒管制機1機を撃墜したとウクライナ軍は主張している7。ロシア軍にとって、高価な戦力の損耗を伴っての近接航空支援による成果だった。
2月17日以降、ロシア軍はアウディイウカから少しずつ西に前進し、ラストチキネなどを制圧した。3月30日にはその西のトネンケ付近の戦闘に戦車36両と歩兵戦闘車12両を投入する攻勢を行ったがウクライナ軍が撃退した8。このことは、ロシア軍がこの方面に投入する戦力を振り向け、ウクライナ軍も対応する戦力を充てていることを示している。
一方、ドネツク州北部に前進するための戦力もロシアは投入し、その戦闘は激しくなった。ロシアがドネツク州北部のクラマトルスクなど州主要部へ進軍するにはその東と北の交通路を押さえる必要があり、バフムトやクピャンスクの方面で前進の試みは続いてきた。3月後半は、バフムトから西のチャシウ・ヤルへの攻撃が激化した。ここを制圧すれば、その北西にある高度が低いクラマトルスク方面への攻撃がより容易になるためロシア軍が狙っているとウクライナの指揮官は述べている9。
また、ドネツク州の北に位置しロシア領に近い大都市ハルキウへの遠距離攻撃も激化した。3月22日にハルキウの発電所への攻撃を含むインフラへの打撃により、停電の影響が広範囲に及んでいる。ロシアの攻撃により、ウクライナ軍前線への補給、軍需物資の生産、広範な住民の生命・財産への損害が起きており、これは今後のロシア軍による前進も有利にする可能性がある。
ウクライナによるロシア打撃と多国間協力による戦況変容の試み
ウクライナはこの期間、ロシア軍の攻勢を予期して多重の防衛線の構築を進めつつ、ロシア軍の前進の撃退や隣接前線への反撃を継続し、遠距離攻撃を用いてロシアの戦力低下を図った。黒海やアゾフ海の周辺でロシア艦艇への打撃を続け、3月24日には揚陸艦2隻(ヤマルとアゾフ)を撃沈することにより、黒海艦隊は艦艇の3分の1を失い機能を果たせなくなったとの評価もある10。ロシアのリペツク州にある冶金工場など軍需生産に関わると見られる拠点や、石油施設への攻撃も相次いだ。
ロシアでは、3月18日に現職のプーチン大統領が選挙での勝利を宣言した。3月22日にモスクワ近郊のコンサート会場に武装集団が突入し死者140名以上を出すテロ事件が発生した。イスラーム過激派「イスラーム国・ホラーサーン州」によるテロとされるが、プーチン大統領は背後にウクライナや西側諸国がいたと主張した。「テロとの闘い」を強調して西側諸国にウクライナを見捨てさせる外交攻勢は選択せず、戦争への動員を総力戦体制に引き上げることも選択しなかった。政権への反対の声の拡大を乗り切って、「西側諸国とウクライナがロシアを攻撃している」という主張のもとに戦力を準備しつつウクライナへの攻撃を続けた。
ウクライナに対する米国の軍事支援が途絶え、戦闘継続の見通しに悲観的な見方がウクライナ内外で広まった一方、それだけに西側諸国全体が消耗戦の現実に適応して喫緊のウクライナ支援を実現することが必要であるという主張が強まった11。このような認識と多国間の討議の結果として、1月12日に英国がウクライナと安全保障協定を結んで軍事支援の支出を約束し、2月16日にドイツとフランスも同様のコミットメントを行った。チェコのペトル・パヴェル大統領がウクライナ向けの80万発の砲弾の入手先と資金を確保したと表明した。米国でも支援再開に対する議論が進められた。認識から意思決定へ、それから実施へと時間はかかるが、ウクライナや支援諸国もそのプロセスを進め、「ロシアが一方的にウクライナに対して前進していく」のではない状況をもたらしうる変化を現実化した。
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- 山添 博史
- 地域研究部 米欧ロシア研究室長
- 専門分野:
ロシア安全保障、国際関係史