NIDSコメンタリー 第311号 2024年4月23日 NATOの戦略体系 —— 戦略概念、軍事戦略、防衛計画の関係性

地域研究部米欧ロシア研究室 研究員
田中 亮佑

はじめに

2024年、北大西洋条約機構(NATO)は2つの意味で節目の年を迎えている。第一に1949年4月の設立から75周年を迎え、第二に2014年3月のロシアによる一方的なクリミア併合とそれに続くウクライナ東部における紛争(以下、ウクライナ危機と表記)の発生から10年が経過した。特にウクライナ危機以降、NATOはロシアの脅威の再興を認識し、防衛・抑止態勢の改革に取り組んできた。それと同時並行的に、NATOは戦略体系も徐々に発展させてきた。NATOは2019年に軍事戦略、2022年に戦略概念、そして2023年に地域防衛計画をそれぞれ新たに承認している。これにより、現在のNATOでは戦略概念を最上位として、それに軍事戦略と防衛計画が付随する戦略体系が構築されている。

この状況は、軍事同盟であるNATOにとり当然であるように見えるが、冷戦後のこれまでは必ずしもそうではなかった。冷戦期には最上位かつ機密の軍事戦略でもあった戦略概念は、冷戦後にも最上位ではあるものの公開を前提とする政治的な側面の強い文書となった。それに付随する軍事戦略や防衛計画は、冷戦後にも機密とされているが、冷戦が終結した以上、その役割や重要性についてはしばらくの間曖昧になっていた。ゆえに、現在のようなNATOの戦略体系は、実態的には2014年以降の10年間を通じて徐々に構築されてきたものである。

そこで本稿では、まず冷戦期から冷戦後にかけてのNATOの戦略概念の変化と、それに関連した冷戦後のNATOの軍事戦略と防衛計画の形骸化と再形成の過程を概観する。このうち、戦略概念と軍事戦略の変遷については、ディンダル(Gjert Lage Dyndal)とヒルデ(Paal Hilde)の研究が詳しく、また冷戦後の防衛態勢や防衛計画については以前の拙稿で整理しており、本稿はこれらの先行の議論を補完する形で論を進める1。最後にそれらの戦略や計画の関係性を検討し、現在のNATOの戦略体系を考察すると同時に、今後の発展について含意を得る。

冷戦期におけるNATOの戦略概念

NATOは、これまで8回に渡り戦略概念を策定してきた2。そのうち、冷戦期は4回策定しており、そして冷戦後も4回策定している。最初の戦略概念(DC6/1)は、NATOの発足と同年の1949年に承認されたものであり、その前文にあるように、北大西洋地域の防衛のためには「純粋な軍事的手段のみならず、政治的、経済的、心理的手段を統合することが重要」として、第二次大戦からの経済復興の重要性など、幅広い事項について言及されたものであった3。その翌年の1950年に始まった朝鮮戦争が欧州安全保障に与えた危機感はNATOの強化に繋がり、さらに1952年のトルコとギリシャのNATO加盟など安全保障環境の変化がみられ、それらを反映した次の戦略概念(MC3/5)が1952年に承認された4

その後、ソビエト連邦の核戦力の増強に対応するため、米国は核戦略を発展させたが、それとNATOの戦略概念は密接に結びついていた。1954年初頭に米国が大量報復戦略を採用すると、同年末にNATOでも大量報復戦略の論理が導入され、その後1957年にNATOが承認した戦略概念(MC14/2)にも大量報復戦略が反映された5。さらに、米国が1962年に柔軟反応戦略を採用すると、1967年にはNATOは戦略概念(MC14/3)を承認し、同様に柔軟反応戦略を導入したのである6。このMC14/3が冷戦期におけるNATOの戦略概念としては最後であり、以降は冷戦の終結までNATOは柔軟反応戦略を採用していた。

これらの冷戦期の戦略概念は、ディンダルとヒルデの議論によれば、2つに大別できるという。初期の2つの戦略概念(DC6/1とMC3/5)は、ソ連に対する抑止と防衛を定めていたのと同時に、その態勢を支えるべく加盟国の政治経済的安定性を追求する方針などを定めた、大戦略と位置づけられる文書であった。他方で、その後の2つの戦略概念(MC14/2とMC14/3)は、大量報復戦略や柔軟反応戦略といった軍事的な要素が強く表れており、軍事戦略と位置づけられる文書であった7。確かに、初期の2つの戦略概念については、DC6/1にはMC14、MC3/5にはMC14/1という戦略概念に付随する実施文書がついており、軍事戦略の役割はこれらのMC14シリーズが果たしていた。他方で、その後の2つの戦略概念については、その文書番号から分かるように、戦略概念自体がMC14シリーズの流れを受け継いでおり、その意味でも戦略概念が軍事戦略の役割を果たすようになったと言えるだろう。なお、MC14/2にはMC48/2 、MC14/3にはMC48/3という実施文書がそれぞれに付随しており、これらのMC48シリーズも軍事戦略の役割を果たしていた8

冷戦後におけるNATOの戦略概念

冷戦が終結すると、NATOは以降の戦略概念を公開することにした。これにはNATOの政治同盟としての側面の拡大と共に、ロシアとの意思疎通と信頼醸成を促進するという狙いもあった。1990年のロンドンNATO首脳会合(以下、NATO首脳会合については会合と表記)の宣言において、NATOは正式にワルシャワ条約機構加盟国を敵とみなさないと表明し、翌1991年のローマ会合で採択された戦略概念でも、中東欧諸国との対話・協力を進めていく方針が示された9。その後、旧ユーゴスラビア連邦の崩壊に伴う紛争にNATOは介入することになり、1999年の戦略概念では危機管理が任務に加えられた10。そして、2001年の米同時多発テロ以降の国際的なテロ活動の活発化などにより北大西洋地域に対するリスクがグローバル化すると、NATOでは域外諸国や諸機関との協力によって安全保障を推進する必要性が認識され、2010年の戦略概念では協調的安全保障も新たな任務として位置づけられた。これにより、NATOは集団防衛、危機管理、協調的安全保障の3つを中核的な任務とすることになった11

しかし、2014年のウクライナ危機以降、NATOでは2010年の戦略概念はもはや時勢に即していないという認識が高まり、その策定プロセスが2021年から進められていた。さらに、2022年のロシアのウクライナ侵略により、NATOの集団防衛の重要性が更に向上し、ロシアに対する認識も更に厳しくなったことは間違いない。そして、同年のマドリード会合において、現行の戦略概念が承認されたのである。2022年の戦略概念は、ロシアを「最も重大で直接的な脅威」とし、①抑止と防衛、②危機予防・管理、③協調的安全保障の3つを中核的任務としたうえで、これら全てが集団防衛に資するものとしている12。また、テロについても引き続き脅威として対処するとしている。加えて、歴史上初めて戦略概念において中国に言及し、中国がもたらす「体制上の挑戦」に対処するとしたうえで、インド太平洋の重要性についても言及している。2022年の戦略概念は、基本的には2030年頃までのNATOの態勢や政策の基盤になるものであり、これに基づきNATOは対ロ抑止・防衛態勢を強化しつつ、その他の問題に関しても加盟国の要請と調整に基づき対処することになるだろう。

このように、冷戦後の戦略概念は公開されることが前提の文書となり、広報外交の一旦も担う政治的な側面の強い文書となった。その意味で、冷戦後の戦略概念は少なくとも冷戦期のような軍事戦略という位置づけではなくなった。2022年の戦略概念も、抑止・防衛態勢の大幅な強化や前方での抑止・防衛という方針が記されたものの、依然として冷戦期のような軍事戦略ではない。

もっとも、戦略概念が最上位の文書であり、それに実施文書が付随しているという戦略体系自体は冷戦期と類似している。1991年の戦略概念にはMC400(1991年)が、1991年の戦略概念にはMC400/2(2003年)が、そして2010年の戦略概念にはMC400/3(2012年)が、それぞれ対応している13。MC400シリーズは、冷戦期のMC48シリーズの後継あるいはそれに相当するものとされており、戦略概念が示す同盟の指針を軍事面で実施する文書として位置づけられている非公開の文書である。しかし、ディンダルとヒルデは、冷戦後の戦略概念が軍事戦略ではなくなったことから、その実施文書としてのMC400シリーズの内容についても同様に冷戦期のような軍事戦略とは言えないだろうと推測しており、MC48シリーズと比較してMC400シリーズの機密指定のレベルが下げられたこともその証左であると指摘していた14

冷戦後におけるNATOの軍事戦略

冷戦後の戦略概念が軍事戦略ではなくなり、その実施文書であるMC400シリーズも軍事戦略としては形骸化していたとみられる中で、NATOにとっての軍事戦略の存在は徐々に曖昧なものとなりつつあった15。もっとも、冷戦終結直後の頃には、NATOは軍事戦略の修正に言及していた。1990年のロンドン宣言では「NATOは、必要に応じて前方防衛から縮小された前方展開へと移行し、核兵器への依存の軽減を反映させるよう柔軟反応戦略を修正する、新たな軍事戦略を準備する16」と言及しており、また1991年の戦略概念でも同様に柔軟反応戦略を修正していく旨が記されていた17。しかし、それ以降のNATOの戦略概念や公式の発表において、柔軟反応戦略の修正やその他の軍事戦略について言及したものは、確認できる限り存在しないようである。当時のNATOはロシアと敵対的ではなく、またその任務も危機管理に傾倒しており、少なくとも集団防衛のための軍事戦略の策定については、その必要性は低いとの判断があったのだろう。

しかし、2014年のウクライナ危機の後から、NATOの中でも再び同盟に軍事戦略が必要ではないかという認識が徐々に拡大していたようである。ディンダルとヒルデが研究の中で行ったNATOやその加盟国の高官に対するインタビューによれば、2016年のワルシャワ会合の後から、NATO内では新たな軍事戦略が必要だという認識が拡大し、2017年9月にアルバニアのティラナで開催された軍事委員会において、新たな軍事戦略の策定に向けた具体的な検討作業が始まり、2018年の夏には起草するチームが編成されたという18。実際にこの時期、2018年9月にワルシャワで開催された軍事委員会においても、将来の軍事戦略について議論したことが公表されている19

そして、翌2019年5月のNATO本部で開催された軍事委員会において、新たな軍事戦略が承認された20。この新たな軍事戦略については、同年9月の軍事委員会において、当時のピーチ(Stewart Peach)軍事委員長が「1967年以来の新たな軍事戦略21」と発言したことから、柔軟反応戦略以来のNATOの正式な軍事戦略と位置づけられていることが確認できる。また、新たな軍事戦略の文書番号はMC400/4となっていることから、その位置づけとしても戦略概念に付随する実施文書であることが分かる(以下、現行の軍事戦略についてはMC400/4と表記)22。さらに言えば、冷戦後のMC400シリーズはMC400/3まで策定されてきたにも関わらず、今回のMC400/4が1967年以来の軍事戦略と言及されたことからも、やはり冷戦後のNATOでは正式な軍事戦略が形骸化していたことが裏付けられた形であるとも言えよう。

MC400/4には「包括的防衛・共同対応(Comprehensive Defense and Shared Response)」という名称がつけられている。2020年2月の米上院軍事委員会の公聴会において、NATOの当時の欧州連合軍最高司令官(SACEUR)であったウォルターズ(Tod D. Walters)は、MC400/4については機密文書であるとしつつ、その名称は「包括的防衛・共同対応」であると言及し、また内容については「米国の国家防衛戦略と非常によく似ている23」と発言していた。冷戦期のNATOの軍事戦略が米国の軍事戦略を反映したものであったことに鑑みれば、現在の軍事戦略としてのMC400/4も米国の方針を反映しているとしても何ら不思議ではないだろう。

MC400/4には、更に2つの構想が付随している。一つは、2020年に承認された「欧州大西洋地域の抑止と防衛(Deterrence and Defence of the Euro-Atlantic Area: DDA)」である。NATOによれば、DDAは「潜在的危機や紛争シナリオに対するNATOの事前の計画を向上させることで、挑戦に対応する同盟の備えを強化する24」ものだとされている。もう一つは、2021年に承認された「NATO戦闘キャップストーンコンセプト(NATO Warfighting Capstone Concept: NWCC)」である。これは、認知戦、レジリエンス、戦力投射、領域横断作戦、マルチドメイン防衛などに重点を置き、2040年の作戦環境に適応するためにNATO加盟国の能力開発の方向性を示すものとされている25。換言すれば、DDAは現在のNATOの抑止と防衛の態勢や計画に関する方針を示すものである一方、NWCCはより長期的な将来のNATOの能力向上に関する方針を機能的な観点から示すものであり、双方を以ってMC400/4を実施するという構造になっている。

冷戦後におけるNATOの防衛計画

冷戦後のNATOでは軍事戦略が形骸化していたのと同様に、防衛計画の役割も曖昧なものになっており、少なくとも新規加盟国への防衛計画は存在しないと言われていた。しかし、冷戦後においても集団防衛がNATOの中核任務として維持されていた以上、防衛計画が全く存在しなかったとは考え難く、非公式な防衛計画が存在することは一般的に推定されていたようである。また、2010年にはウィキリークスによる情報漏洩事案の中でポーランドとバルト三国に対するNATOの防衛計画の存在が報道されたこともあった26

他方で、2014年以降に関しては、依然としてNATOの防衛計画の内容は当然機密であるものの、その存在に関する情報は徐々に公に言及されるようになってきた。まず、2015年6月に、NATOは段階的対応計画(GRP)を承認した27。これは、北大西洋条約第4条および第5条事態に対応するための即応計画と位置づけられており、複数のGRPが存在するようである。さらに、2019年のロンドン会合の中では、バルト三国とポーランドに対するNATOの防衛計画が首脳レベルで承認された28。この防衛計画は「イーグル・ディフェンダー」と名付けられており、GRPの一つであると言われている29。実際に、2022年のロシアのウクライナ侵略を受けてNATOは東翼諸国の防衛態勢を強化しているが、この行動にはGRPに基づき実施されているものもある。また、このことからGRPにはNATO領域が攻撃を受けていなくても発動する計画も含まれていることが分かる。

しかし、この頃であってもNATOには責任区域(AOR)全体に関する包括的な防衛計画は存在せず、地域や事態の特性に合わせた個別の防衛計画が存在しており、それらがパッチワークのように繋がって機能するものとみられていた30。他方で、NATOでは集団防衛のためのより一貫性のある防衛計画の必要性が認識され、2018年頃から新たな防衛計画の策定が始まっていた31。そして、2023年のヴィリニュス会合において、地域防衛計画(Regional Defense Plans)が承認された32。一部報道によれば、地域防衛計画は合計4,000頁を超える量であるとされている33

その膨大な地域防衛計画は、3つの防衛計画から構成されており、各計画は各地域に所在するNATOの統合軍司令部がそれぞれ主導する形となっている。第一に大西洋・ハイノースを対象とする防衛計画であり、米国のノーフォーク統合軍司令部が主導する。第二にバルト海からアルプス山脈までを対象とする防衛計画であり、オランダのブルンサム統合軍司令部が主導する。第三に地中海や黒海を含む南東欧を対象とする防衛計画であり、イタリアのナポリ統合軍司令部が主導する34。これらの3つの防衛計画は相互に関連していると共に、NATO加盟各国の国家防衛計画と一貫性が確保されているようである。これを以て、NATOは冷戦後初めてAOR全域に対する包括的な防衛計画を承認することになった。今後NATOは、地域防衛計画の実行可能性を上げていくため、計画に基づいた演習の実施や態勢および能力の整備を拡充していくとしている35

NATOの戦略体系におけるDDAの役割

最後に、現行のNATOの戦略体系において、最上位の戦略概念に付随する軍事戦略としてのMC400/4と、地域防衛計画との関係性について考察する。そこで、重要となるのが、MC400/4に付随するDDAの存在である。上記で簡潔に触れた通り、DDAはNATOの抑止と防衛の態勢に関する指針を示す構想とされているが、その実態は防衛に関する諸計画の集合体と読み解くことも出来るためである。

まず、地域防衛計画が承認された2023年のヴィリニュス会合のコミュニケは、「既存の戦略計画や領域別の計画を基礎として、新世代の地域防衛計画を策定した」としており、この計画を「一連の計画(Family of Plans)36」と言及している。次に、同年9月に開催された軍事委員会でも、特にDDAと言及したうえで「一連の計画」を含むヴィリニュス会合における決定の実行可能性を議論したことが公表されている37。これらのことから、DDAは少なくともある種の計画の集合体であることが分かる。

また、NATOの欧州連合軍最高司令部(SHAPE)の戦略・国際問題補佐官であるコヴィントン(Stephen R. Covington)の論考が、DDAの概要について紹介している38。それによれば、DDAは前提としてNATOのAOR全域を一つの戦略空間とみなす。そのうえで、やはりDDAは「一連の計画」であり、AOR全域に対する戦略的な計画や、AOR内のそれぞれの地域に対する防衛計画と、陸・海・空・サイバー・宇宙といった領域毎の戦略的な計画を含んでいる。さらに、DDAは平時からの警戒態勢を強化することで、危機と紛争の発生を未然に防ぐ構想でもあるという。つまり、簡潔に言えば、DDAはAOR全体の防衛のために、平時からの抑止に重点を置いた計画の集合体であることが分かる。

また、DDAは近年のNATOの行動とも密接に関係している。たとえば、ロシアはウクライナへの侵略を開始する数カ月前から大規模な部隊を用いての演習やウクライナ国境周辺への配備を実施しており、これに対してNATOはAOR全体での警戒活動を実施していたが、これもDDAに基づいた態勢であったようである。この態勢は、上記のようにロシアのウクライナ侵略を受けてNATOがGRPを発動したことで更に強化されている。これらのことから、ロシアのウクライナ侵略とそのNATOへの脅威は、実質的にDDAの実施も加速させることになったとコヴィントンの論考は説明している39

これらの発表と解説に鑑みれば、DDAの「一連の計画」には、攻撃を抑止するための防衛態勢の強化から、実際に攻撃が起きた場合の防衛といった様々な事象に対応するための計画が、それぞれ個別のGRPから包括的な地域防衛計画として含まれている可能性が指摘できよう。その意味で、地域防衛計画と従来のGRPはそれぞれ相互補完的な関係にあり、DDAがそれらを内包する構造となっているのかもしれない。だとすれば、DDAは地域防衛計画とMC400/4を繋ぐ結節点のような役割も果たしていることになる。なぜなら、今日のNATOの戦略体系では戦略概念が最上位にあり、MC400/4が戦略概念に付随し、さらにDDA(とNWCC)がMC400/4に付随している一方で、このDDAが地域防衛計画やGRPなどの個別・全体の「一連の計画」の集合体でもあるならば、DDAこそがMC400/4と地域防衛計画を繋げていることにもなるからである。

おわりに

本稿では、NATOの冷戦期と冷戦後の戦略概念の位置づけの変化と、冷戦後の軍事戦略と防衛計画の発展およびそれぞれの関係性の考察を試みた。その中で、冷戦後においてNATOの戦略概念は軍事戦略ではなくなったものの、2019年には新たな軍事戦略としてのMC400/4が承認され、それが戦略概念に付随しており、さらにMC400/4には2020年に承認されたDDAが付随しているという構造を概観した。また、2023年に承認されたNATOの地域防衛計画がDDAに内包されているような性格を持っていると推察されることから、地域防衛計画もDDAの「一連の計画」を通じてMC400/4に付随する構造となっている可能性も指摘した。これにより、戦略概念、MC400/4、DDAおよび地域防衛計画という戦略体系が構築されており、冷戦期のそれに近い構造になっていることが分かる。

しかし、冷戦期と異なる点の一つは、軍事戦略の策定順である。冷戦期においては戦略概念を策定した後に、それの実施文書として軍事戦略が策定されていた。他方で、2024年4月現在の構造では、2019年にMC400/4が先に策定されており、その後2022年に戦略概念が策定されている。つまり、現在のMC400/4は、必ずしも2022年の戦略概念との整合性があるとは言えないのかもしれない。もっとも、2014年以降のNATOでは、既にロシアからの脅威への対処が実態的には戦略の基本となっており、現行の戦略概念も地域防衛計画も、2022年のロシアのウクライナ侵略以前から策定作業が始まっていたものではあった。それでも、ロシアのウクライナ侵略以降、NATOはその防衛態勢の拡充を進めており、それらの要因が戦略概念と地域防衛計画の策定に影響を与えたことは間違いないだろう。そうであれば、それ以前に承認されたMC400/4にも何らかの修正が必要とされるか、その修正は次の新たな軍事戦略の策定に反映されるかもしれない。

しかし、戦略概念や軍事戦略などの最高レベルの文書の策定や改訂は容易ではなく時間を要する。それまで、おそらくNATOは「一連の計画」であるDDAを柔軟に修正する形で情勢の変化に対応していくことになるだろう。実際にDDAの中の「一連の計画」も、ロシアのウクライナ侵略に対応したNATOの新たな態勢と既に一貫性があるとされており、情勢に合わせて修正されているようである40。また、バウアー(Rob Bauer)軍事委員長は、地域防衛計画についても「これらの計画や要件は生きた文書である。それらは私たちが直面する脅威が発展するにつれて更新されるだろう41」と言及している。これらのことから、NATOの戦略体系については、戦略概念と軍事戦略というセットは固定的であるものの、それらに付随するDDAの地域防衛計画を含み得る「一連の計画」の構造や内容は、今後も柔軟に進化していくだろう。

Profile

  • 田中 亮佑
  • 地域研究部米欧ロシア研究室 研究員
  • 専門分野:
    欧州の安全保障