NIDSコメンタリー 第310号 2024年4月19日(特集:「新領域の安全保障」 vol.1) デジタル技術が促進する新たな「たたかい」 —— 流動化する国際秩序とデジタル権威主義

愛知学院大学文学部英語英米文化学科 准教授
大澤 傑

はじめに

ジョー・バイデン米大統領は、就任直後から民主主義の護持と権威主義との対決姿勢を鮮明にしている。その際、しばしば言及されるのが権威主義とデジタル技術の関係についてである。そこでは、デジタル技術が独裁者に乱用される、いわゆるデジタル権威主義の脅威を指摘し、それと対峙することによって、デジタル技術を人権や民主主義に即したように形成する必要性が強調されている1

近年、デジタル技術を利用した権威主義国家が国民の人権を侵害して体制を維持するとともに、対外的にもサイバー攻撃を仕掛けているという議論が盛り上がりを見せている。デジタル技術が発達した現在、安全保障に係る平時と有事、軍人と民間人が一体化し、各国は常に攻撃の危機にさらされている2。民主主義国家は、その開放性からハイブリッド戦争において展開される影響力工作などに脆弱であるとともに、その対応の遅さにも課題があると見られており3、日本にとってもサイバーセキュリティは喫緊の課題である。しかしながら、現在のところ、デジタル技術が具体的にどのように権威主義、さらには国際秩序に影響を与えているのかは判然としていない。このような状況下で、我々はデジタル権威主義とどのように向き合っていけばよいのだろうか。

本コメンタリーでは、上記の課題を克服するために、第一に、デジタル権威主義に注目が集まる背景を考察する。これにより、デジタル技術革新と現代国際秩序の流動化が絡み合うことで新たな「たたかい」が惹起されていることを明らかにする。第二に、デジタル権威主義とは何かを確認することで、当該政治体制の特性を捉え、同体制の対外政策の背景を概観する。

これらは、昨今懸念されるデジタル権威主義の脅威に対して、取るべき具体的なサイバー戦略を提示するものではない。しかし、権威主義国家がどのような背景で、どのような論理に基づいて行動しているかを捉えることは、当該国家と向き合い、平和を構築するうえで不可欠である。

ロシアによるウクライナ侵攻後、多くの専門家が国際政治学における合理的選択論に基づき、侵攻の可能性を低く見積もってしまったことを自戒し、独裁者の「個性」を読み解く必要性を訴えた4。ゆえに、近年では権威主義国家の論理を読み解くことに焦点が当たりつつある5。国民の声が政策形成に影響を与えにくい権威主義国家では、民主主義国家とは異なる原理に基づいて政策決定がなされている。本コメンタリーは、デジタル技術と権威主義の関係から現代国際政治を捉える試みでもある。

デジタル技術と秩序を巡る「たたかい」

冒頭で示した通り、近年、様々な場で「民主主義対権威主義」が語られている。この背景には、権威主義的な統治を実践する中国の台頭、ロシアによる強硬な対外政策などがある。ただし、米国を中心とする西側諸国が提示するこの対立構図は、中国の台頭に対するカウンター言説として「利用」されている傾向にある6。そのため、実際の国際政治があたかも民主主義陣営と権威主義陣営に分かれて展開されているかのように抽象化して捉えることには注意を要する。

例えば、よく知られるように民主主義を掲げる米国は、これまでも国益に即して権威主義国家とも関係を構築してきた。また、中国やロシアも自国を「民主主義」に位置づけており、民主主義的価値についてはその重要性を認めている7。冷戦後、世界に民主主義的「規範」が広がったが、各国が国際社会のメンバーシップを得るために民主主義「制度」を導入した結果、民主主義的外形を持ちながら権威主義的「統治」を行ういわゆるハイブリッド体制が次々と登場した。これらの国家の多くは民主主義的「理念」を受け入れたわけではなく、こうした国家で近年、民主主義の後退が見られる8。さらに、民主主義を推進する欧米諸国内ですらその価値への疑念が高まっている9。他方、権威主義は冷戦期の社会主義とは異なり、イデオロギー的推進力を持ち合わせていない。いわば、各国は実利を求めて自国の内実に即した政治体制を選択しているに過ぎないのである。

以上を考慮すれば、米国を中心とした西側諸国が構成する「民主主義対権威主義」という対立軸は米中対立を管理するという点において、どの程度訴求力を持つかは疑問である。実際、欧州などにおいても「リベラルな国際秩序」を強調することによって、非民主主義国家との関係が悪化することへの懸念が表明され10、昨今では「ルールに基づく秩序」への言い換えが進められている。これは日本においても同様である。

にもかかわらず、米国を中心として「民主主義対権威主義」が描かれるのはなぜか。冷戦期においても、米国の政府当局者は「全体主義」のシンボルを発展させることで、ナチ・ドイツとスターリン・ロシアの同一視を意図的に行ってきた11。西側諸国がこうした経験に訴えている可能性は否定できない。また、支配的なグループが構成する戦略的ナラティブは、それに与しないアクターを周縁に追いやり、自グループ自体を結束させるとされる12。このことは、中国を脅威として捉える日本が「自由で開かれたインド太平洋」によって安全保障における日米関係を深めていることや、台湾やウクライナが民主主義を掲げて対峙する国家との違いを強調し、それに共鳴する国家との絆を深めていることからも明らかである。ゆえに、この言説からは、中ロなどの権威主義国家の行動に対して、西側諸国の団結を促す狙いも透けて見える。さらに、内側から毀損された民主主義に対して米国や西側諸国が再び国内の結束を高めようとしているという意味合いもあろう。このような言説を用いた政治の重要性は、デジタル技術が発達した現代において高まっている13。このことから、デジタル技術革新は、米中対立の深化に重なり合うかのように秩序を巡る「たたかい」をも促進させているともいえる14

ただし、繰り返しになるが、内外から動揺する米国を頂点とする国際秩序を維持するための「民主主義対権威主義」という言説には実態との乖離が見られる。言説を巡る対立は相手があるからこそ成立する。しかし、過度に抽象化された対立軸が、無用な対立を構成してしまう可能性があることにも留意が必要であろう。

デジタル権威主義とは何か

デジタル技術革新、さらには中国の台頭によって秩序を巡る「たたかい」が繰り広げられるなか、権威主義にも、しばしば「デジタル」という枕詞がつけられるようになっている。この用語は、権威主義国家によるデジタル技術を用いた統治分析のみならず、冒頭で示した通り、国際関係において当該国家の脅威を明示する際に利用されることが多い15。彼らは日常的にデジタル技術を駆使してハイブリッド戦を展開しているとされ、その動向に対する脅威感は高まっている16。対外政策が内政の延長線上にあるとすれば、当該国家がどのように統治を行っているかを捉え、そこから対外政策を読み解く必要があろう。ゆえに、ここでは権威主義の特性を確認し、そのうえでデジタル権威主義とはどのような体制か考察したい。

権威主義の至上命題は体制維持であるとされる。民主主義国家と異なり、選挙によって政権交代することを前提としない権威主義の独裁者は、いかにして体制を維持するかに心を砕くこととなる。そこで利用されるのが、抑圧、懐柔、正統化である17

抑圧とは、反対派や体制の脅威になりそうな者を排除することによって体制の安定化を図る、いわゆる「ムチ」である。一般にイメージされる権威主義体制は、民主主義体制とは異なり、この抑圧的な性格に注目が集まる。懐柔とは、親体制派が体制から離反しないように、または人々が体制を支持するように特権や利益を与える、いわゆる「アメ」である。権威主義といえども、抑圧のみによる統治は困難であるがゆえに、独裁者はアメとムチを利用した統治を行うのである。最後に正統化とは、体制の正統性を担保することによって、人々が自発的に体制を支持するように仕向ける方法である。個人崇拝化や業績のアピールなどがこれにあたる。いずれも抑圧を除けば、民主主義においても一定程度見られる統治手法であるが、これらを組み合わせることによって権威主義は体制を維持する。また、これらは相互に補完する役割をも持っている。デジタル権威主義とは、これら三つの手法に対してデジタル技術を駆使する政治体制であると言える18

では、デジタル技術はこれらの手法をどう変えたのだろうか。デジタル技術を用いた抑圧とは、インターネットのシャットダウンや、監視による反対派の補足などが好例である。懐柔に関しては、デジタル技術を用いた便利で安心安全な社会の構築が挙げられる。また、正統化に関しては、デジタル技術を用いた懐柔による生活環境の改善もさることながら、体制を賛美する言説の流布や、フェイクニュースやディスインフォメーションを用いた認知の誘導などが挙げられる。以上は「デジタルレーニン主義19」を確立したともいわれる中国の統治手法が参考になる。例えば、人々の様々な特性を指標化した、いわゆる「社会信用スコア」は抑圧のツールともいえるが、行儀が良い人々にとっては様々な特権を得られるがゆえに懐柔のツールにもなる一方20、それによって構成された便利な社会は体制を支持する人にとっての正統化の手段ともなる。実際、中国のデジタル権威主義の抑圧的な側面を強調する論調がある一方で、これまで与信を得ることができなかった人々が「社会信用スコア」の導入によって権利を獲得することができたとの指摘もある21。また、中国では五毛党と呼ばれる200万人以上から成る組織がインターネットを通じて共産党政権の正統性を高める書き込みを行っているという22。このように、デジタル技術の発達によって、独裁者は権威主義的な統治をより円滑かつ効果的に行うことが可能となったといえる23

一方、民主主義国家においても同様にデジタル化によって便利な社会構築が進められたが、それに伴う情報集積はハイブリッド戦への脆弱性へとつながった24

21世紀に入り、米国同時多発テロや世界金融危機、新型コロナウィルスの広がりなど、度重なる危機との直面によって各国の政治体制は動揺した。民主主義であれ、権威主義であれ、政治経済における業績の悪化は体制の正統性を引き下げるが、民主主義国家において体制に対する信頼が低下する一方で、権威主義はデジタル技術を用いてそれを乗り切った。むしろ権威主義国家では、その危機を梃子として体制を強化する傾向が見られる。かつては民主主義を促進させると考えられたデジタル技術も、今となっては権威主義との相性の良さが浮き彫りとなっている。

デジタル権威主義との陰の「たたかい」

しかしながら、デジタル権威主義の未来が明るいとは言い切れない。例えば、国内でデジタル抑圧を高めながら対外的にハイブリッド戦を仕掛けているとされるロシアでも、クリミア併合、さらにはウクライナ侵攻後の経済制裁に伴う懐柔資源の縮小や、政治業績の悪化に直面して体制の正統性が低下している。このような状況を政治体制の個人化を進め、抑圧を高めることによって乗り切っているようにも見えるが、それを維持できるかは軍や警察にいかに懐柔できるかに依存するがゆえに、今後の先行きは不透明である。他方、中国でも少子高齢化や新型コロナウィルスの蔓延などに伴う経済停滞によって、懐柔、正統性がともに低下しつつある。同国も戦狼外交や野心的な対外政策によって国民のナショナリズムを喚起して体制を維持しているが25、この先も体制が安定的であるとは必ずしも言えない。

こうした事態に至って両国が力を入れているのが陰の「たたかい」ともいわれる26、ハイブリッド戦である。両国はサイバー攻撃や影響力工作、さらには選挙介入を通じて、自国に有利な国際環境を「戦わずして」構築しようとしている27。両国が展開する「西側諸国による覇権主義的な国際秩序への対抗」という言説は、「民主主義対権威主義」を語り、対立軸を構築しようとする米国へのアンチテーゼとなっている。抑圧、さらには懐柔の維持が困難になりつつある両国は、外部を批判することによって自国の正統性を際立たせる正統化に力を入れているのである28

他方、両国は民主主義的価値の流入や西側諸国の影響力が高まることによって体制が転覆する可能性を恐れている。実際、ロシアのウクライナ侵攻後、SNSなどを通じてロシアに対する国際的な批判やウクライナに対する仮想通貨による支援が集まっており29、デジタル技術が絶対的に権威主義の体制安定に寄与するとは言い切れない側面もある30。だからこそ、中国はグレート・ファイアウォールを構築し、ウクライナ侵攻後のロシアは独立系メディアを締め出しているのである。同様の行動はミサイル発射を繰り返す北朝鮮や31、クーデタ後のミャンマーでも見られる32

権威主義体制を維持するための抑圧、懐柔、正統化が相互補完関係にあることは上述の通りである。ゆえに、中ロ(さらに北朝鮮)は自国の正統性を内外から高めようとし、野心的な対外政策を採るのである。この文脈において、軍事的コストが低く、正統化を図ることができるハイブリッド戦は有効な選択肢であるといえよう33。デジタル技術は不安定化する権威主義国家との陰の「たたかい」をも深化させたのである。

おわりに

本コメンタリーでは、デジタル技術革新が権威主義と国際政治にどのような影響を与えたのかを考察し、デジタル技術が促進する「たたかい」に注目した。デジタル技術は秩序を巡る言説の「たたかい」と、デジタル権威主義との陰の「たたかい」の二つを惹起しているのである。言い換えれば、秩序が流動化する現代において進むデジタル技術革新は、言説の戦いとハイブリッド戦の日常化という二つの側面を表出させたといえる。

他方で、本コメンタリーではデジタル技術が権威主義に利する側面を確認するとともに、必ずしも権威主義国家の未来がバラ色ではないことを指摘し、同国家によるハイブリッド戦の背景を推論した。権威主義が台頭するなか、権威主義国家の対外政策を理解するためにはその体制を維持させている要素を捉えていく必要がある。抑圧、懐柔が縮小しつつある中ロ(朝)において、対外行動を通じた正統性の獲得は有効な手段である。コストと効果を考慮したとき、サイバー攻撃や影響力工作、選挙介入といったハイブリッド戦の選択肢が浮かび上がってくるのである。

なお、本コメンタリーでは、紙幅の都合上、権威主義の下位類型による行動原理までもを説明することはできなかった。権威主義にも様々なタイプが存在し、それによる統治手法の違いも見られる。権威主義国家の行動についてより精緻な分析を行うためには、それらの特性をもつかむ必要がある34。現存する権威主義国家の分析は資料上の制約から困難が伴うことも事実である。しかしながら、権威主義が多数派となった現代において、独裁者とどのように向き合っていくか、デジタル技術の効用を踏まえて権威主義国家の行動を読み解くことの重要性が一層高まっていることは疑いない。

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  • 大澤 傑
  • 愛知学院大学文学部英語英米文化学科 准教授
  • 専門分野:
    政治体制論、体制変動論、権威主義の対外政策