NIDSコメンタリー 第306号 2024年3月28日 韓国の「戦略文書」——「国家安保戦略書」を中心に

理論研究部政治・法制研究室研究員
小池 修

はじめに

2022年5月に発足した韓国の尹錫悦政権はまもなく任期3年目を迎える。政権の発足以降、対北朝鮮政策を盛り込んだ『非核平和繁栄の朝鮮半島』が2022年11月に、同年12月には『自由、平和、繁栄のインド-太平洋戦略』が、2023年4月には『韓-ASEAN連帯構想』が発表され、その集大成として2023年6月には尹政権の「国家安保戦略書」である『尹錫悦政府の国家安保戦略——自由、平和、繁栄のグローバル中枢国家』が公開された。

韓国の「国家安保戦略書」は外交・安保政策に関する最上位の戦略文書である「国家安保戦略指針」1の公開版であり、政権ごとに策定されるのが慣例となっている。本稿では「国家安保戦略書」が、韓国の戦略企画体系のなかでどのように位置付けられているかを確認した上で、「国家安保戦略書」に至る国家レベルの安保戦略に関する文書策定の歴史を振り返り、「国家安保戦略書」が抱える課題についても整理する。

「国家安保戦略書」の位置付け

「国家安保戦略書」の非公開版である「国家安保戦略指針」の法令上の位置付けは、国防関連の諸政策文書の企画管理について定めた「国防企画管理基本訓令」から読み取ることができる2。同訓令の内容等から国防分野の政策文書体系を整理したのが次頁の図である。

韓国の国防分野の政策文書体系

図 韓国の国防分野の政策文書体系3

図で整理されているように、国防関連の諸政策文書はすべて「国家安保戦略指針」の内容を基に策定されている。このうち日本のいわゆる「戦略三文書」に対応するのが、「国家安保戦略指針」、「国防戦略書」、「国防中期計画書」である。「国家安保戦略指針」は前述のように国家レベルの外交・安保政策に関する最上位の文書であり、「国防戦略書」は15年後を展望し国防政策の方向と目標を提示する国防分野の最上位文書である。「国防中期計画書」は当該年度以降5年間の軍事力整備の方向性について定めたものである。「国防改革基本計画」は、軍の編成や陸海空軍の均衡のとれた発展、兵営文化の改善などを対象とするもので、対応する日本の政策文書を見出すことができない。便宜的な定義ではあるが、内容と大統領の裁可を受ける文書である点から上記の4つの文書を韓国の「戦略文書」と考えればよいだろう。これらのうち本稿では「国家安保戦略指針」の公開版である「国家安保戦略書」を検討の対象とする。

「国家安保戦略書」への道

韓国の国家レベルの外交・安保政策に関わる戦略文書は、1970年の『国家安全保障基本政策』という文書にさかのぼる。この文書は、1963年12月の朴正煕政権の発足と同時に大統領の諮問機関として設置された国家安全保障会議において、議題として1970年から1979年まで審議されており、慣習的に1年毎に更新されるものであったと推察される4。この文書において初めて大統領の裁可を得た「国家目標」が定められた5。これを前後する1968年から1969年にかけて北朝鮮ゲリラによる大統領府襲撃未遂事件、プエブロ号事件など北朝鮮による軍事行動が顕在化し、米国が在韓米軍削減を打ち出したことを受け、朴大統領が「自主国防」を掲げるようになったことが、それまで国防部レベルにとどまっていた安保戦略の策定が国家レベルに引き上げられた背景にあると推察できよう6

1979年の朴大統領暗殺後に政権を担った全斗煥、1987年の民主化後の盧泰愚、金泳三の各政権下では国家安全保障会議の活動は比較的低調であり7、この『国家安全保障基本政策』を年度別に策定するという形式が維持されたようである8

これを戦略文書として新たに起草し、「国家安保戦略書」として完成させることを試みたのが金大中政権(1998.2-2003.2)であった9。同政権期に大統領府・外交安保首席秘書官や統一部長官などを歴任し、政権の任期を通して国家安全保障会議の参加メンバーであった林東源10の回顧によれば、韓国の「国家戦略」について検討を開始したのは、韓培浩・世宗研究所長(当時)の招きで同所の客員研究委員に就任した1994年にさかのぼるという11。林は国家戦略と南北関係について同研究所の研究者らと議論を重ね、同研究所が発行する学術誌『国家戦略』の創刊号に「韓国の国家戦略」という題名の論文を掲載した12。同論文では、冷戦後の新たな国際情勢を念頭に「10年余りの長期的な情勢を予測し、5年程度の中期を対象」とする「国家戦略」を文書化して、国会と国民に提示した上で国民的な合意と協力を得られるようにすることが提言されている13

金大中政権発足後、国家安全保障会議の機能が拡充され、林は前述のように要職を占めながら大統領の外交・安保政策におけるリーダシップを実質的に補佐した14。林の世宗研究所在籍時に北朝鮮研究者として採用された李鍾奭15の回顧によれば、林は外交安保首席秘書官に就任すると、国家安保の戦略的・体系的運用を目的とする「国家安保戦略指針」の策定の参考とするため、韓世宗研究所長に「国家戦略書」(仮称)の作成を依頼し、李が責任者に指定された16。李は関連する政府部処(省庁)から分野別の草案を集めるとともに、所内の研究者らに米国、イスラエル、日本、台湾などの国家安保システムを調査させ、「国家戦略書」を取りまとめた。それを受けて国家安全保障会議事務処において金大中政権の「国家安保戦略指針」策定作業が進められたが、「様々な事情」により作業を完了させることができず、「国家安保戦略書」の公開には至らなかったという17

各政権の「国家安保戦略書」策定

前項の林東源の構想が「国家安保戦略書」の形で公開され、日の目を見たのは、次の盧武鉉政権(2003.2-2008.2)の時代になってからである。金大中政権の国家安全保障会議が林東源という個人に負って機能していたとすれば、盧武鉉政権は外交・安保政策決定を体系的に行うシステムを構築しようとしたとされる18。先の李鍾奭の回顧に戻ると、盧政権の発足後、国家安全保障会議事務処戦略企画室の主導下に「全ての部処が同一の戦略目標と構想の下に一貫性を持って有機的・体系的に動けるように」するため「国家安保戦略指針」が策定された。「国家安保戦略指針」は2003年12月に大統領の裁可を得、翌2004年3月に保全上機微な内容を削除した上で韓国の初の「国家安保戦略書」である『平和繁栄と国家安保——参与政府の安保政策構想』として公表された19。この『平和繁栄と国家安保』を嚆矢として、大統領の任期開始後概ね1年を目処に「国家安保戦略指針」を策定(非公開)し、対外説明用の「国家安保戦略書」を公開するというリズムがシステム化され、現在まで通常任期5年の政権毎に計5回公表されてきた。

盧政権の次の李明博政権(2008.2-2013.2)は、国家安全保障会議事務処の機能を大統領府(青瓦台)外交安保首席秘書官の下に移行させたため、発行名義が「青瓦台」となり、『成熟した世界国家——李明博政権の外交安保ビジョンと戦略』という題名の「国家安保戦略書」が2009年3月付で公開された20。なお、李政権時より公式の英語版も公開されるようになった21

李政権を引き継いだ朴槿恵政権(2013.2-2017.3)は、外交・安保政策のコントロールタワーとして大統領府に国家安保室を設置し、政権発足後1年を少し過ぎた2014年7月付で朴政権の「国家安保戦略書」に当たる『希望の新時代——国家安保戦略』を国家安保室の名義で公表した22。朴政権は国会による弾劾が成立したことによって通常より約1年早く幕を下ろした。

大統領補欠選挙を経て発足した文在寅政権(2017.3-2021.3)の「国家安保戦略書」は、通常のリズムよりも少し遅い2018年12月に『文在寅政権の国家安保戦略』という題名で公開された23。これには通常大統領選挙から政権発足までに3カ月程度の政権引き継ぎ準備期間があるところ、補欠選挙後すぐに就任せざるを得なかったことや、2018年に南北関係や米朝関係が進展し、目まぐるしい変化があったことが作用していると推測される。

文政権の次の尹錫悦政権(2022.3-現職)の「国家安保戦略書」は、冒頭で述べたように2023年6月に『尹錫悦政権の国家安保戦略——自由、平和、繁栄のグローバル中枢国家』と前政権の題名を踏襲しながらも、李政権時と同様の国家ブランドイメージを前面に押し出す副題が添えられた24

「国家安保戦略書」の課題

以上のように政権毎の策定が定着してきた「国家安保戦略書」であるが、いくつかの課題も指摘されている。まずは法的位置付けの不明確さである。「国家安保戦略書」よりも下位の戦略文書(上掲の図を参照)である「国防戦略書」と「国防改革基本計画」は、それぞれその内容や策定過程に言及した国防部訓令と国防改革法という法的基盤を備えているにも関わらず、「国家安保戦略書」には確たる根拠規範が存在しないため最上位の戦略文書としての権威が脆弱であるという25

また、政権毎の策定という方法のため、その政権の選挙公約や政権引き継ぎ時に提示した重点課題に内容が傾斜しがちであるとも指摘されている26。韓国では、民主化後これまで大統領を輩出してきた二大政党勢力の間で、南北統一や国家生存の問題をめぐって「国益」や「国家目標」の定義が一致してこなかったため、政権を超えた通時的な一貫性が不足していることも課題として指摘される27。これらの限界から、「国家安保戦略書」の10~15年の将来を見通すという本来の理念にもかかわらず、時事的な課題やアクション・プランといった政策イシューの羅列に過ぎなくなっているとの批判もある28

さらに、政権のちょうど中間地点に当たる3年目に「国家安保戦略書」の改訂を推進するべきだとの議論もある。上記の法的位置付けを明確化するために「国家安保戦略書」策定を法令化し、3年目の改正も義務化するという提案である29。加えて、任期最終年の5年目には情勢評価を行い、次期政権の「国家安保戦略書」策定に貢献させることで政権間の断絶を防ぐ目的がある30

結びにかえて

ここまで韓国の外交・安保政策に関わる戦略文書のなかで最上位に位置する「国家安保戦略書」の位置付け、歴史、課題について論じてきた。韓国の「国家安保戦略書」策定の歴史を簡単に整理すると以下の図のようになる。


政権(大統領) 国家レベルの外交・安保戦略文書 策定周期 国防戦略書(参考)
李承晩~尹潽善 - - 「国防主要施策」
朴正煕 「国家安全保障基本政策」 毎年 「国防基本施策」
全斗煥~金泳三 「国防長期政策書」
金大中 「国家安保戦略書」(未完) 5年 「国防基本政策書」
盧武鉉~文在寅 「国家安保戦略書」
尹錫悦 「国防戦略書」

表 韓国の国家安保関連戦略文書の変遷と策定周期31

「国家安保戦略書」の歴史を振り返ってみて興味深いのは、策定に至る過程で二大政党勢力のうち進歩派の系譜に連なる金大中・盧武鉉政権が策定を主導し、課題として指摘されたような欠点はあるものの、その後の保守派の政権にも受け継がれるものとなったという点である。韓国では、この先も二大政党勢力間で政権交代が繰り返されていくものと予想されるが、前項で指摘されたような課題を念頭に「国家安保戦略書」をめぐる動向を注視していきたい。上記表に参考として掲載した「国防戦略書」をはじめとする「国家安保戦略書」より下位の国防関連の政策文書の制定経緯や課題は本稿では扱うことができなかったが、これらの文書についての検討は後日を期したい。

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  • 小池 修
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    韓国の外交・安保政策