NIDSコメンタリー 第301号 2024年2月27日 朝鮮半島有事の蓋然性をめぐるアメリカ国内の議論

戦史研究センター国際紛争史研究室主任研究官
石田 智範

2024 年の年明け早々、朝鮮半島有事の蓋然性というテーマがアメリカの安全保障政策コミュニティを賑わせた。きっかけは、1 月11 日付で情報分析サイト「38 North」に掲載された短い論考である1。「金正恩は戦争の準備をしているのか?」と題した論考を連名で寄稿したのは、米ロスアラモス国立研究所の元所長で核物理学者のシークフリード・ヘッカー(Siegfried S. Hecker)と、元CIA分析官で1990年代以降の米朝交渉に国務省の当局者として深く携わったロバート・カーリン(Robert L. Carlin)の二人である。北朝鮮核問題の第一人者である両名が揃って「すでに金正恩は戦争に訴えるという戦略的な決断を下した」と主張し、朝鮮半島有事の危険性の高まりに真剣な警鐘を鳴らしたことから広く注目を集めたのであった。

まず議論の前提としてヘッカーとカーリンは、北朝鮮にとって対話は核開発の隠れ蓑に過ぎないとする定型的な議論を退け、アメリカとの国交正常化が過去30年にわたる北朝鮮外交においてどれほど中心的な政策目標であったかを理解することの重要性を強調する。いわく、金日成、金正日、金正恩の三代にわたって北朝鮮は「中国とロシアに対する緩衝材」とすべくアメリカとの国交正常化を真剣に追求してきたのであり、2019年2月のハノイにおける米朝首脳会談は金正恩にとり先代の成し得なかった偉業を果たして国内的な権威を確立する乾坤一擲の大勝負であった。だからこそ、ハノイ会談の決裂を受けて「トラウマ的な面目の失墜」を味わった金正恩は、過去30年にわたる政策方針を放棄せざるを得ないと結論付けて中ロとの関係強化へと外交の舵を切り直した。アフガニスタンからの米軍撤退といった情勢の変化を踏まえて北朝鮮はアメリカがグローバルに勢力を後退させていると認識し、「朝鮮問題の軍事的な解決」を図る好機が到来したと判断するに至った。韓国に対する統一政策の放棄は、軍事力行使の対象として韓国を明確に位置づけ直したものであり、全般的な戦略転換の結果である。このように議論してヘッカーとカーリンは、抑止力の強化をもって戦争の防止に事足れりと考えるのは危険であると警鐘を鳴らしている。

ヘッカーとカーリンの議論は、北朝鮮問題に十分な政策資源を振り向けてこなかった近年のアメリカ外交に再考を促すことを主眼としたものであり、既存の政策枠組みに対する代替案の提示を意図したものではない。また、「すでに金正恩は戦争に訴えるという戦略的な決断を下した」という主張の核心部分についても、ヘッカーとカーリンが自ら認めるようにあくまで状況証拠に基づく推論の域を出ないものであり、反論の余地は多分に残されている2。総じて、ヘッカーとカーリンの論考がアメリカの北朝鮮政策に及ぼす影響は限定的であり、バイデン(Joe Biden)政権は引き続き日米韓協力の推進を基軸とした朝鮮半島政策を展開すると考えられる。

とはいえ、戦争遂行に関する金正恩の決意のほどについての推論は措くとして、少なくとも短期的には北朝鮮が低烈度の軍事行動を活発化させると見通す点で専門家の見方は概ね一致している3。近年の日米韓三か国による連携強化の動きを受けて金正恩は自らの「強さ」を内外に示す必要に迫られているはずであり、また仮に金正恩がトランプ(Donald Trump)前大統領の再選シナリオに米朝交渉再開の望みを託しているとしても、その布石として今の段階で予め対外的な緊張を高めておくことはむしろ合理的であるだろう。こうした意味で、朝鮮半島情勢が少なくとも短期的に不安定化のトレンドにあることは否定できない。

この点、かつて国務省の北朝鮮核問題担当特使として「米朝枠組み合意」を主導したロバート・ガルーチ(Robert Gallucci)が同じく1月11日付で発表した論考は4、朝鮮半島有事に至る可能性をシナリオ別に検討しており参考になる。ガルーチが提示するのは大きく3つのシナリオである。第一に、台湾有事が朝鮮半島に波及するシナリオであり、ひとたび台湾をめぐって米中が事を構えれば、北朝鮮は核保有国として中国を支援する役回りを買って出るはずであると指摘する。このシナリオでは、北朝鮮による核の威嚇を前にして日本や韓国といった地域の同盟国が機会主義的な行動に走る可能性をアメリカとしては懸念せざるを得ないとする。第二に、自らの核抑止力によって米韓同盟の信頼性が低下したと北朝鮮が誤認して、核の威嚇をもって韓国に政治的な意思を強要しようとするシナリオである。ここで事の帰趨を決定的に左右するのは、抑止をめぐる北朝鮮指導者の主観的な計算であり、客観的には非合理的な決断が下される可能性もあることを強調している。第三に、偶発的な事態が戦争へとエスカレーションするシナリオであり、とりわけ核兵器の運用に手を染めてから日の浅い北朝鮮において現場レベルで適切な取り扱いがなされるか疑問であるとしている。

年初の能登半島地震をめぐって金正恩総書記から岸田首相に宛てた見舞いの電報が送られたように、目下のところ日本に対して北朝鮮は、アメリカや韓国に対するのとは一線を画した対応をとっている。日本として日米韓三か国の連携を深めて北朝鮮の抑止に万全を期すことはもちろんであるが、その先の北朝鮮との関わり方についても、広い視野を保っておく必要があるだろう。

※本稿は中曽根平和研究所共同事業の日米同盟研究会「アメリカのアジア戦略論の最前線(政策論議動向分析)」第1巻第7号(2024年2月)に掲載されたものである。

https://www.npi.or.jp/research/2024/02/14134355.html 別ウィンドウ

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    朝鮮半島の安全保障