NIDSコメンタリー 第279号 2023年10月12日 ハマスの前例のない対イスラエル攻撃
- 地域研究部アジア・アフリカ研究室主任研究官
- 西野 正巳
はじめに
2023年10月7日早朝、パレスチナ自治区のガザ地区を実効支配するイスラム主義組織・ハマスの軍事部門カッサーム部隊が作戦「アクサーの氾濫[1]」を開始し、①大都市テルアビブを含むイスラエル各地に向けてロケット弾を多数発射し、②同時に、ガザ地区に隣接するイスラエル南部各地に戦闘員を侵入させて、イスラエル人(及び、イスラエル滞在中の外国人)多数を殺傷し、さらに、多数を拉致してガザ地区内へ連行した。イスラエル軍も同日から反撃作戦「鉄の剣[2]」を開始し、さらに翌日8日にはイスラエルは正式にハマスに対して宣戦布告しており[3]、日本時間10月11日現在、ハマスはガザ地区からのロケット弾発射を続けている一方、イスラエル軍は戦闘機、ドローン、砲兵部隊を用いてガザ地区を空爆・砲撃している。現時点で、イスラエル軍の地上部隊はガザ地区に入っていないが、イスラエル軍は予備役30万人を招集したので[4]、今後、作戦の規模をさらに拡大させるとみられる。
今回の攻撃の特異性
今回のハマスの攻撃は、イスラエル側に極めて多くの死者が出たという点で、ほぼ前例がない。現時点でイスラエル人の死者数は1千人を超えたとみられており[5]、かつ、その大半は10月7日の戦闘初日に、イスラエル南部でハマスの戦闘員によって殺害されたとみられる。イスラエル史上、これほど多くの自国民が戦争や紛争で死亡したことは、1973年の第4次中東戦争以来、50年ぶりである。しかも、第4次中東戦争の死者の多くは軍人であるが、今回の死者の大半は民間人とみられる[6]。
イスラエル軍の連日の反撃により、ガザ地区のパレスチナ人の死者数も徐々に増えて900人を超えたとされるが、現時点で、イスラエル人とパレスチナ人の死者数を比較すると、イスラエル人死者数の方が多い。近年、イスラエルの軍事的優位が確立しているため、双方間の紛争ではイスラエル側の死者数が圧倒的に少ないことが一般的であり、例えば、2014年7月から8月にイスラエル軍がガザ地区のハマスと交戦した際の死者数は、イスラエル人約70人、パレスチナ人2千人以上だった[7]。敵対勢力よりイスラエルの方が死者数が(一時的にであれ)多い事例は、おそらく今回が初めてである[8]。
また、これほど多くのイスラエル人がパレスチナ人組織(やアラブ人組織)の人質としてその勢力圏へ連れ去られた事例も、今回が初めてである[9]。今回、ハマスが拉致したイスラエル人(及び、イスラエル滞在中の外国人)は100人以上とみられるが、例えば、2006年6月に勃発したガザ地区紛争でパレスチナ人組織に拉致されたイスラエル人軍人は1人[10]、同時期の2006年7月にイスラエル北部国境地帯で隣国レバノンのシーア派組織ヒズボラに拉致されたイスラエル人軍人は2人である。従来、人質となったイスラエル人の数が非常に少なかったため、イスラエル軍が軍事作戦による人質奪還に失敗した場合、その後に実施されるパレスチナ人組織(やアラブ人組織)との身柄解放交渉では、1人対数百人、時には1人対1千人以上、のようなアンバランスな比率での人質(や捕虜)の交換が実施されてきた。例えば、前者の2006年6月に拉致されたイスラエル軍人1人が解放された際には、見返りとしてイスラエルはパレスチナ人囚人ら1千人以上を釈放し[11]、後者の2006年7月に拉致されたイスラエル軍人2人の遺体が返還された際には、見返りとしてイスラエルはヒズボラ側の囚人5人を釈放し、約200人の遺体を返還した[12]。
なお、イスラエルは、(自軍兵士を含む)自国民の安全を重視する国であり、自国民が人質とされる事態を、できる限り予防してきた。人質は多くの場合、国境線や境界線付近に配置された軍人が越境してきた敵に拉致されることによって発生する。そのため、近年では、境界線付近に高性能なセンサーやカメラを設置して遠隔地から状況を把握できるようにした上で、物理的に配置される軍人の数を減らすことによって、境界線の警備能力を維持しつつ、軍人が拉致されるリスクを減らそうとしてきたとされる。
しかし、10月7日、ハマスの戦闘員は境界線を越えてイスラエル南部に侵入した。「陸海空から侵入[13]」と報じられた通り、ブルドーザーで境界線上の金網フェンスを破壊して地上から、パラグライダーに乗って上空から、ボートに乗って海上から[14]、多数の戦闘員が侵入した。なお、ハマスのガザ地区からイスラエル南部への侵入ルートとしては、従来、秘密裏に地下トンネルを掘り、そこを通って少数の戦闘員が侵入する手法がよく用いられた[15]。だから、今回の侵入ルートは、通常想定されていたものとは異なる。
今回の侵入ルートは、地下トンネルより目立つので、通常であれば、イスラエル軍によって阻止されやすい。阻止されなかった理由として挙げられるのが、10月7日がユダヤ教の祝日シーズンの最後の土曜日(安息日たる休日)であり、軍人を含む多くの人々が休暇を過ごしていたため初動が遅れたことだ。50年前の1973年10月6日の第4次中東戦争開戦時、ユダヤ教の祝日に合わせてエジプト軍とシリア軍がイスラエル軍を奇襲したので、当初、イスラエル軍は劣勢に陥ったとされる。今回ハマスは、それと似た手法を採用したと指摘されている[16]。
但し、1973年と2023年現在では、センサーやカメラなどの技術水準が全く異なるため、仮に、人員が現場に少数しかいない状態でも、侵入を察知して速やかに対処できる可能性は現在の方が高い。10月7日、イスラエル軍が駆け付けない状況下、ハマスの戦闘員が数時間に渡ってイスラエル人民間人を殺傷したとされ、つまり、初動は遅れた。祝日シーズンだった以外の遅れの原因については、今後究明されるだろう。例えば、南部に限らず各地にロケット弾が多数発射されたので、イスラエル軍が「2021年5月のハマスによるロケット弾の大量発射と同様の事態が起きた」と判断し、それへの対処に注力する隙を突く形で、戦闘員が南部への侵入に成功した、つまり、イスラエル軍に戦闘員侵入に気付かせない目的でロケット弾発射がなされた可能性がある。
攻撃の開始時期とその背景
今回のハマスの攻撃は、1987年の同組織創設以来、前例のない最大規模のものであり、それに満たない大規模攻撃としては、2021年5月[17]以来のものである。祝日の隙を突く以外に、今回、このタイミングでハマスが攻撃を開始した理由としては、以下が指摘される。
まず、イスラエルがアラブの有力国サウジアラビアと関係改善を進めており、このままでは両国が国交樹立に至る可能性があったため、ハマスがその妨害を狙った可能性がある。2020年に、UAEなどアラブ諸国4国が一気にイスラエルと国交を樹立したため、イスラエルと国交を持つアラブ諸国はエジプトとヨルダンに加えて計6国に増えた。翌年の2021年、ハマスはロケット弾多数をイスラエルに発射し、双方間の交戦が再発したが、この(アラブ人の一部である)パレスチナ人とイスラエルの間で戦闘が起きている事実は、アラブ諸国とイスラエルの間で関係改善が進む潮流に影響を及ぼさなかった[18]。逆に、以降も、UAEなどのアラブ諸国はイスラエルとの2国間協力を推進した。そしてサウジアラビアも、イスラエルとの国交樹立を目指していることを隠さなくなった。今年9月26日、イスラエルの閣僚が史上初めてサウジアラビアを公式訪問し、続いて10月2日にも、別の閣僚が公式訪問した[19]。サウジアラビアは、2002年にアラブ諸国がアラブ連盟首脳会議にて採択した「イスラエルが西岸地区とガザ地区から撤退し、当該地域にパレスチナ国家が樹立されたならば、その見返りとして、全アラブ諸国がイスラエルと国交を樹立する」との「アラブ和平イニシアティブ」を主導した国である[20]。その国が、パレスチナ国家の樹立を見返りとせずにイスラエルと国交を樹立しようとしているため、ハマスは、このままでは同国を含むアラブ諸国に見捨てられるとの危機感を強めて、事態打開のため、パレスチナ人とイスラエルの間で前例のない規模の戦闘状態を引き起こすことによって、これ以上のアラブ諸国・イスラエル間の国交樹立の進展の阻止を図った、とみられる。
これに加えて、ガザ地区内の状況も理由に挙げられる。パレスチナ自治区は、地理的に離れたヨルダン川西岸地区とガザ地区から構成されるが、2007年に、共にパレスチナ人組織であるファタハとハマスの間で衝突が発生し、以来、ファタハ主導のパレスチナ自治政府が西岸地区で自治を行い、ハマスがガザ地区を実効支配する分裂状態が続いてきた。ファタハ主導のパレスチナ自治政府とイスラエルは互いに相手の存在を承認しているが、他方、ハマスはイスラエルの存在を認めておらず、1990年代から2000年代の自爆テロを含め、対イスラエル攻撃を多数実施してきた。そのため、2007年にハマスがガザ地区を実効支配して以降、イスラエルはガザ地区を封鎖し、人や物資の出入りを厳しく制限した[21]。その結果、ガザ地区のパレスチナ人は、西岸地区のパレスチナ人よりも失業率も貧困率も高く、つまり、厳しい暮らしを余儀なくされている。他方、ハマスの上層部には裕福な者も多い。そのため、2023年7月末から8月上旬に、ガザ地区では、ハマスに反発するパレスチナ人による、生活の改善を求めるデモが発生していた[22]。このような、住民が困窮せず生活できる環境を提供できないハマスに不満を持つ者に加えて、ガザ地区には、ハマスの対イスラエル姿勢ですら生ぬるいとみなし、より急進的な行動を求める者もいる。このような不満が一層増大する前に、危機的状況を作り出して、人々の不満を逸らせようと、ハマスが考えた可能性もある[23]。
攻撃による大規模な被害の発生と、ハマスの今後
仮にハマスが、①サウジアラビアなどアラブ諸国とイスラエルの間の国交正常化の潮流を妨害すること、②ガザ地区内でのハマスへの不満を逸らすこと、を目的に今回の攻撃を開始し、かつ、攻撃自体については、③できるだけ多数のイスラエル人を死傷させることが成功である、と考えていたのであれば、ハマスは②と③には成功した。イスラエルによる大規模攻撃に直面するガザ地区のパレスチナ人には、ハマスの実効支配への賛否を論じる余裕はないし、イスラエル人の死者数は極めて多い。但し、今後、イスラエル軍によるガザ地区への攻撃でパレスチナ人の死傷者はさらに増大する可能性が高く、それに伴ってパレスチナ問題が注目を一層集める可能性もあるが、それによって、サウジアラビアなどがイスラエルとの国交樹立の方向性を断念するかは疑わしい。2020年のアブラハム合意を経て、アラブ諸国とイスラエルの国交樹立は、パレスチナ国家の樹立を前提条件としないという新しい環境が既に生まれており、アラブ諸国各国の関心事項は、イスラエルとの国交樹立に応じる交換条件として、米国やイスラエルから自国が何を得られるか、に移っているからである。つまり、ハマスは①には失敗する可能性がある。
また、ハマスが多くのイスラエル人を死傷させた結果、今後のイスラエル軍の反撃によって、ハマスがガザ地区の実効支配者としての地位を失う可能性が高くなった。イスラエルは、これまでの紛争では、(ハマスを打倒しようと思えば打倒できる軍事力を持ちながらも、)ハマスにある程度の損害を与える一方で、ガザ地区のハマスの事実上の政権を打倒しなかった。仮にこれを打倒した場合、代わりの政権(に相当するもの)を用意する必要があるからである。ガザ地区が、政権に相当するものが存在しない無政府状態に陥り、地区の情勢がイスラエルにも制御不能になれば、それは、イスラエルの不利益に繋がる。つまり、ハマスがガザ地区を実効支配する状態はこれまで、イスラエルにとって、lesser evil(まだまし)と言うべきものだった。だが、今回の攻撃により、イスラエルはほぼ前例のない人的被害を被った。結果、ハマスによる実効支配は、イスラエルにとって、許容できないものであることが確定した。だから、イスラエル軍は今後の反撃で、ハマスの事実上の政権の打倒に踏み切る可能性が高い。その意味で、今回のハマスによる攻撃は、ハマス自身にとって、大きなリスクを冒す行為だった。おそらく、ハマスは大打撃を受けることになり、今後、今回のような攻撃を実行できることは二度とないだろう。つまり、今回の、前例のない大規模攻撃は、最初で最後のものとなろう。ハマスが今回の攻撃を行った理由は既に述べたが、自らに対する大きなリスクを冒した理由には、不明瞭な点がある。要は、今回の攻撃をハマスが実行した見返りが、イスラエル軍の反撃によるガザ地区での大きな被害の発生に加えて、①ハマスのガザ地区における実効支配者としての地位の喪失、②西岸地区とガザ地区におけるハマスの大幅な弱体化、③ハマスの幹部やメンバー多数の無力化(つまり、イスラエル軍による殺害)、であることをハマスは実行前から分かっていたはずであり、それでも敢えて今回の攻撃を行った理由は、まだ不明である。
仮にガザ地区の事実上の政権が崩壊しても、ハマスのメンバーや支援者はパレスチナ自治区各地にいる上、高位の幹部には外国で暮らす者も多いので、組織としてのハマスが滅亡する可能性は低い。但し、例えば、ハマスの先代の政治局長(事実上の最高指導者)であるハーリド・ミシュアルは、まだ政治局長に就任する前の1997年、隣国ヨルダンでモサドによる暗殺未遂に遭った[24]。この時のイスラエル首相は、現首相のベンヤミン・ネタニヤフである。つまり、ハマス幹部は、外国にいても安全とは限らない。
なお、ハマスは、米国、EU、英国などによってテロ組織に指定されており、つまり、欧米では従来からテロ組織とみなされてきた[25]。今回、武器を持たない民間人たる子供、女性、老人をも多数殺傷し、また、拉致したことで、欧米の世論にて、同組織はテロ組織とのイメージは一層強固になるだろう。他方、ハマスは、イラン、カタール、トルコなど中東の複数の国からは支援を受けている。
イランの関与や紛争のイスラエル北部国境への拡大の可能性
今回のハマスの攻撃を、イランは称賛した一方、自らの関与を否定した[26]。これが真実であるかは不明だが、イランの関与説の背景には、「今回のような多人数を動員し複雑な調整や連携を要する作戦行動を、ハマスが自力で立案・遂行できるとは考えにくいので、外部の軍事顧問的な何者かが関与した可能性が高い」との見解がある。今回、ハマスは、2000年代まで多用した自爆テロの手法を用いず、他方、ドローンを活用した[27]。こうした新しい戦い方の採用も、外部の支援があったとの見解を補強し得る。但し、イラン(、及び、ヒズボラなどの親イラン勢力)が、今まさに進行中のイスラエル・ハマス間の交戦にて、ハマスを実際に支援するかは不明であり、積極的な支援をしない可能性もある。まず、イランは、イエメンのフーシー派やレバノンのヒズボラには(誘導能力を持つ)ミサイルを供与してきたとみられるが、ハマスはロケット弾を有するものの、ミサイルをほぼ保有していない。つまり、おそらくイランはハマスにミサイルを供与していない。また、イスラエルは、北部国境沿いのレバノンのヒズボラと、南部境界線沿いのガザ地区のハマスの両方と同時に戦うことは、二正面作戦による兵力分散を伴うため、その回避を希望するはずだが、今のところ、北部国境沿いのヒズボラなどの親イラン勢力は、限定的にしか対イスラエル攻撃を行っておらず、つまり、イスラエルは南部のガザ地区での戦いにほぼ集中できる状況にある。イランは、今年のシリアやイエメンを巡る行動や、サウジアラビアとの国交回復に鑑みると、現在、紛争への関与拡大を望んでいない可能性がある。このイランの姿勢が、ハマスの攻撃への関与否定に繋がったとみられる。(但し、情勢には流動的な面があるので、北部国境の今後の展開について予測は困難である。)
おわりに
イスラエル軍の予備役招集を受けて、現在、在外イスラエル人が続々と帰国している。元々、イスラエル軍のハマスに対する軍事的優位は揺るぎなく、今回イスラエル側に多大な犠牲が出たことが例外的な事象なので、今後は、ハマスによる人質の取り扱いとその(地上部隊投入を含むイスラエル軍の作戦への)影響という不確定要素はあるものの、イスラエル軍は優位に戦いを進めるとみられる。他方、今回の戦いは、ハマスにある程度の損害を与えた段階で終了、という従来の形にはならず、ガザ地区におけるハマスの事実上の政権の打倒に至る可能性が高い。その場合、16年以上ぶりに“政権交代”が起きることになる。
Profile
- 西野 正巳
-
地域研究部アジア・アフリカ研究室主任研究官
- 専門分野:
中東地域研究、イスラーム学