NIDSコメンタリー 第274号 2023年9月21日 インド洋をめぐる大国間の競合—中国、米国、インドの動向から—

特別研究官(政策シミュレーション担当)付政策シミュレーション室
栗田 真広

はじめに

ユーラシア大陸の南を東西に走るインド洋は、しばしば「ハイウェイ」とも称され、経済成長著しい太平洋と、資源供給地としての中東・アフリカを繋ぐ航路を擁する、重要な海域である[1]。西はアフリカ東岸、東はオーストラリア西岸と東南アジア・マラッカ海峡まで広がり、主要な付属海として紅海やアラビア海、ペルシャ湾、オマーン湾、アデン湾、ベンガル湾などを抱える。今日、世界の貨物輸送の3分の1、石油輸送の3分の2がインド洋を通過しており、沿岸国は計33ヶ国、人口は約29億に達する[2]

インド洋地域では長らく、伝統的安全保障よりも、非伝統的安全保障のイシューがより強く意識されてきた。海賊行為やテロ、密輸、違法漁業、気候変動の影響、災害などがそれに当たり、これらは現在に至るまで、重要な課題であり続けている。他方で、2000年代に提起された「真珠の首飾り」論に代表されるように、中国がインド洋に進出し、この海域がやがて大国間の角逐の舞台になるとの認識は、比較的早くから関係国には存在していた。そして2010年代以来、中国の「一帯一路」の開始や日米印などの「インド太平洋」標榜、さらに米中及び中印の対立の激化といった展開を経て、大国間競争は現に、インド洋でも主要イシューとして顕在化しつつある[3]

こうした経緯を踏まえ、本稿では、インド洋地域の主要アクターである中国、米国、インドの3ヶ国が、近年この地域をめぐりいかなる行動を取ってきたのかを概観する。

中国の動向

過去10年あまりの間に、インド洋地域での中国のプレゼンスは確実に増大した。インド洋沿岸国に対する中国の経済的関与は2000年代には既にあったが、2013年に開始された「一帯一路」構想の下で、南アジア・東南アジアや東アフリカ諸国は、中国から多額のインフラ投資を受け入れた。これと並行して、中国海軍は2009年にはアデン湾での国際的な海賊対処への参加を開始し、2017年には、イエメンやソマリア沿岸での平和維持及び人道任務に参加する部隊を支えるためとして、ジブチに初の人民解放軍の海外拠点が開設された[4]。インド政府の見立てによれば、中国海軍は2010年代前半から、インド洋で潜水艦の活動も活発化させており[5]、2014年にはスリランカ・コロンボ港に潜水艦を寄港させた。

中国はインド洋地域における安全保障上の利益として、自国の海外権益及び在外自国民の保護に加え、インド洋を経由する自国のエネルギー輸送の安全確保を意識してきたと言われる。後者に関しては、いわゆる「マラッカ・ディレンマ」、すなわち米国またはインドとの有事において、自身のエネルギー・シーレーンがインド洋東端のマラッカ海峡で寸断されることへの中国の懸念が有名であり、「一帯一路」の下にある中国・パキスタン経済回廊(CPEC)と中国・ミャンマー経済回廊は、この問題の解決を意図した事業だと見られている[6]。パキスタンとミャンマーに加え、中国は近年、スリランカやモルディブ、ケニア、タンザニア、モザンビーク、マダガスカルなど多くのインド洋沿岸国との関係を深めてきた[7]

このような背景の下で注目されてきたのが、中国がインド洋沿岸国で商業港として開発した港に海軍基地を設置する、あるいはそうした港をアドホックな軍事拠点として利用する可能性である。人民解放軍のジブチの基地は実際に、中国企業が建設したドラレ港に隣接する形で設置された[8]。中国の基地化の可能性が疑われる、中国企業が開発に関与したインド洋沿岸の港としては、中国と密接な関係にあるパキスタンのグワダル港や、2017年に中国が事実上「差し押さえた」スリランカのハンバントタ港が最もよく言及される。ただそれ以外にも、ミャンマーやUAE、ケニア、タンザニア、モザンビーク、セイシェルなど多岐にわたる沿岸国が、中国の軍事拠点を受け入れる可能性があると指摘されてきた[9]

中国はジブチの基地において、空母や潜水艦、揚陸艦の収容さえも可能にするような施設の拡張を進めてきた[10]。一方ジブチ以外では、現時点で、中国軍の海外拠点の設置が確認されたインド洋沿岸国はまだない。それでも、中国が経済的な影響力を梃に、基地受け入れを迫る可能性を懸念する声は絶えない。

それを実現する上でのレバレッジとなる中国の経済的影響力には、昨年、南アジアでスリランカ・パキスタンを筆頭に「一帯一路」の負の経済的影響が顕著になったことで、一定の後退も見られる[11] 。しかし、それでも多くのインド洋沿岸国が、引き続き中国を経済開発のパートナーとしている状況に変わりはない。加えて中国は今日、安全保障面でもインド洋地域の国々との関わりを持つ。兵器供与の面では、パキスタンとエジプトにとって中国は最大のパートナーであり、タンザニア、ソマリア、UAE、ミャンマー、インドネシア、タイにとっても、中国が主要な供与国である[12]。また中国海軍は、パキスタンやシンガポール、インドネシアの海軍と二国間演習を実施してきたほか、中露とイラン、中露と南アフリカでの三国間演習をインド洋において実施してもいる[13]

米国の動向

今日、インド洋において軍事面で支配的な地位を占める米国のプレゼンスは、冷戦期から発展してきたものである[14]。域内での米国の主な軍事プレゼンスは、湾岸諸国に配置された大規模な前方展開兵力に加え、シンガポールのチャンギ海軍基地への艦艇のローテーション配備、アフリカ唯一の米軍拠点であるジブチの海軍基地、そしてインド洋中部のディエゴ・ガルシア島に設置された米英共同使用の海軍基地がある。特にディエゴ・ガルシア島の基地は、対テロ戦争期のアフガニスタン・イラクを含め、大中東圏での米国の軍事作戦の兵站及び通信面の支援において、不可欠の役割を果たしてきた[15]

今日のインド洋では、かつてほど支配的ではないとしても、依然米国の軍事的優位は明白である。米国はまた、域内大国インドとの緊密な安全保障協力関係を築いてきたほか、インド洋沿岸国のうち、豪州、インドネシア、シンガポール、サウジアラビア、UAE、クウェート、オマーン、カタール、ジブチ、イラク、ケニアにとって最大の兵器供与国である[16]

しかし、こうした状況はあれども、米国の対外政策全体の中で、インド洋地域は決して優先順位の高い地域であってきたわけではない。近年、「インド太平洋」への関心が高まってきたが、2017年の国家安全保障戦略で米トランプ政権が定義した「インド太平洋」の範囲は米西岸からインド西岸までで、インド洋西部は射程外であった[17]。バイデン政権になって初めて、「インド太平洋」におけるインド洋全域の重要性が確認されたものの、2022年2月に公表されたインド太平洋戦略報告では、依然インド洋地域西部への言及はほとんど見られず、南アジアでさえ、インドを除けば若干の言及があるに留まる[18]。米軍の地域別統合軍の管轄上、インド洋はインド太平洋軍、中央軍、アフリカ軍の管轄に分かれたままである。

インド洋地域において利用できる軍事拠点の面で、中国は米国に対して遠く及ばず[19]、少なくとも当面、この海域で中国が米軍に対して軍事的優位を得ることは考えにくい。しかし前述のとおり、中国は特に「一帯一路」の開始以降、主として経済的関与を通じて、経済的、さらには政治的影響力を、インド洋地域で着実に増大させてきた。一方で米国は、印パや湾岸諸国のような一部の例外を除けば、軍事以外の分野での地域諸国に対する関与にそれほど積極的ではなかった[20]。むしろ近年の米国は、南アジア及びインド洋での主導的な役割をインドに委ねることを基本姿勢としてきたのである[21]。主要地域機構のうち、環インド洋連合(IORA)では米国は対話パートナーの地位を有するが、インド洋海軍シンポジウム(IONS)には参加していないし、経済面でも中国のこの地域への投資には遠く及ばない[22]。米国主導のインド太平洋経済枠組み(IPEF)には、豪印と東南アジアを除きインド洋地域からの参加国はない。

ただ、現在米国が有するインド洋地域での広範な軍事的アクセスを維持する観点からは、非軍事面も含めた域内への関与をテコ入れすることは重要である。米海軍のインド洋最大の拠点であるディエゴ・ガルシア島を含むチャゴス諸島は、これまで英国領であったが、モーリシャスへの主権返還に向けた交渉が進んでいる。モーリシャス側は現在、返還後も米軍による基地使用を認める意向を示しているものの[23]、米国が同島基地の円滑な運用を続けるには、今後は同国との良好な関係の維持が前提となろう。関連して、中国がモーリシャスと経済的な関係を深めていることを懸念する向きもある[24]。また、米国の緊密な安全保障パートナーであるUAEのハリファ港において、中国が軍事施設と見られる施設を建設しており、米政府がこれに強い懸念を持っていることが報じられている。2021年にも同様の疑惑が浮上し、米国の懸念を受けていったんはUAE政府が建設作業の停止を発表したはずだった[25]

2023年5月にバングラデシュで開かれたインド洋会議において、米国はインド洋地域への関与を拡大する意向を示し、海洋安全保障面での能力構築支援など域内諸国への関与を強化することを表明した[26]。こうした方針にどこまで実態を伴わせられるかは、インド洋地域での米国のプレゼンスの今後に重要なインプリケーションを持つものと考えられる。

インドの動向

インド洋の中央部に突き出たインド亜大陸の大部分を国土とするインドは、必然的に、この海域における最も重要なアクターの一角である。南アジア最大の国家として、インドは同地域における勢力圏認識を持つと言われるが、北部インド洋についても、自身の影響が及ぶ範疇として認識している[27]。貿易やエネルギー、漁業などの面で、インド自身にとってもインド洋の重要性は高く、ゆえに同国は、自身をインド洋地域における「安全保障提供者」かつ「初動対応者」と位置付けている[28]

だからこそ、「一帯一路」の進展と並行して、インド洋地域での中国の影響力が増大することに、インドは神経を尖らせてきた。同国は、インド洋沿岸国の港湾を中国が海軍の拠点として利用する可能性を警戒し、2014年にスリランカのコロンボ港に中国海軍の潜水艦が寄港した際には、強い懸念を抱いた。2017年には、南アジアを含めインド洋地域諸国での中国の影響力拡大に繋がるであろう「一帯一路」に、参画しない姿勢を明確にした。2018年6月に表明されたインドの「インド太平洋」概念では、中国を排除しない姿勢を見せたものの[29]、2020年6月の中印国境での衝突以降、インド国内では、中国とはインド洋地域での影響力に関してゼロサムの競合関係にあるとの見方が強まっているとされる[30]

こうした懸念を反映する形で、インドは2010年代から、域内諸国への関与強化をはじめ、中国の影響力増大への対応策を講じてきた。そうした措置は、2020年代に入っても多岐にわたるものが取られている[31]。沿岸諸国の能力構築面では、モーリシャスへの哨戒機などの供与や、モルディブ全土に設置される沿岸レーダーシステムの提供と同国警察の施設建設、コロンボ及びハンバントタへの海洋救難調整センターの設置に関するスリランカとの合意と同国へのフローティングドック及び哨戒機2機の寄贈がある。「一帯一路」に対抗する形での経済面の関与も重視され、スリランカ・コロンボ港の西コンテナターミナル開発や、ミャンマーのシットウェ港の開発・運営への関与、モルディブの首都と他の島を結ぶ橋梁の建設などが挙げられる。インドはミニラテラルの枠組みも活用しており、インド、モルディブ、モーリシャス、スリランカ(バングラデシュ・セイシェルがオブザーバー)から成る国家安全保障顧問級の協議枠組みであるコロンボ安全保障会議は、2023年には4度目の机上演習を行うなど、活発に活動している[32]

インド洋におけるインド自身の軍事態勢の強化も進んでいる。直近では、米国からのMQ-9Bシーガーディアン攻撃型無人機31機の調達合意や[33]、2022年12月の国家海洋状況把握プロジェクトの承認などが目立つ[34]。今年11月までには、昨年就役した初の国産空母ヴィクラントの完全な運用開始も見込まれる[35]。2020年には、インド軍の拠点があるモーリシャスのアガレガ島に3,000m級の滑走路が建設されたほか、翌年にはオマーンのドゥクム港へのインド軍のアクセスに関する協定の更新も為された[36]

だがそれでも、インドは引き続き、インド洋地域における中国の動向に強い警戒感を寄せている。2022年8月には、スリランカ政府を挟んだ中印間の水面下での綱引きの末、ハンバントタ港に中国の調査船が寄港した[37]。2023年には、かねてから噂のあった、ミャンマーの大ココ島に中国が監視基地を建設しているとの疑惑が再浮上し、インドがミャンマー軍政に対して懸念を提起したと報じられた[38]。2023年5月には、インド海軍参謀長が、インド洋には常時、3~6隻の中国海軍艦艇と、2~4隻の中国調査船、さらに中国漁船がいるとの見方を示し、動向を注視していると述べた[39]

現時点では、トータルの軍事バランスでは中国がインドに対して圧倒的に優位ながら、インド洋の中核に位置するインドの地理的条件と、中国の戦略的な正面が太平洋であることゆえに、インド洋に限ればインド海軍は中国海軍に対して優位にある。しかし、インド洋沿岸国での中国の軍事的なアクセス確保が進めば、中長期的には海軍部隊の大規模な展開も可能になり、域内での軍事バランスが変化することもあり得る。

おわりに

米中間の緊張が高まり、その中心に台湾海峡をめぐる問題が位置付けられる中で、相対的に見れば、米中どちらの目から見ても、太平洋に比べてインド洋の地政学的重要性は高くはない。ただ、中国と、日印をはじめとする米国のパートナーの多くはいずれも、経済的に見てインド洋に強く依存している。それゆえ米国側の国々と中国の双方にとって、この海域における自身の脆弱性につけこまれる可能性をいかに塞ぐかという点が、課題になっていると言える。

この課題に対応するに当たって、米国と日本を含むそのパートナーの側は、域内大国インドに依拠できる点で一定のアドバンテージがあり、実際に米国は、それを意図してインドとの関係を構築してきた。ただ、2020年のガルワン渓谷における中印両軍の衝突以降の対中警戒感の高まりの中で、インドが陸上方面での軍事的な態勢強化に注力するようになったことで、同国が海洋方面に振り向けられるリソースに大きな制約がかかっているものと見られる[40]。他方、インド洋での米国自身の軍事的優位は引き続き存在するが、その要となっている軍事的アクセスについても、域内での中国の影響力拡大が進む中で、今後、必ずしも当然視できるわけではない。

前述のとおり、現時点ではまだ、ジブチ以外のインド洋沿岸国において、中国の海外軍事拠点の設置は確認されていない。しかし、ジブチの基地のアップグレードが為されていることに加え、仮に他の沿岸国においても同様の拠点が今後設けられていくのであれば、インド洋をめぐる大国間の競合はさらに激化することが考えられよう。そうした展開にどう対処すべきかは、インド洋を経由する中東由来の化石燃料に依存する部分が依然大きい日本にとっても、検討が必要な問題と言うことができる。

Profile

  • 栗田 真広
  • 特別研究官(政策シミュレーション担当)付政策シミュレーション室 主任研究官
  • 専門分野:
    核抑止・核戦略、南アジアの国際関係・安全保障