NIDSコメンタリー 第281号 2023年10月19日 イエメン情勢クォータリー(2023年7月~9月)——和平交渉の再開とマアリブ県で高まる軍事的緊張を読み解く

理論研究部社会・経済研究室 研究員
𠮷田 智聡

エグゼクティブ・サマリー

◆ フーシー派は8月頃からサウディアラビアとの和平交渉を再開したとみられる。9月中旬にはフーシー派交渉団が内戦後初となるリヤド入りを果たし、外国軍の撤退を含む包括的な政治問題の解決に関する交渉を行った。他方で同派はマアリブ県への増派や軍事演習、ドローンによる越境攻撃などの軍事的威圧を強めた。9月21日の軍事パレードでは新型ミサイルの披露に加え、F-5戦闘機とみられる航空機がサナア上空を飛行した。停戦合意以前と比べれば情勢は小康状態にあるものの、前四半期から軍事的にはエスカレーションの方向へ向かったと考えられる。

◆ アリーミー政権派は大統領の就任後初となるマフラ県訪問など、前四半期同様に東部地域を重視する姿勢を示した。同じ東部地域であるハドラマウト県はアリーミー政権派と南部移行会議の勢力圏に二分されており、アリーミー政権派としてはマフラ県の支配を維持する狙いがあるとみられる。

◆ 南部移行会議はアリーミー政権派との抗争に加え、アブヤン県において「アラビア半島のカーイダ(AQAP)」などに対する対テロ作戦で成果を挙げた。また最高指導者ズバイディーは、フーシー派との交渉において南部独立を最優先事項とすると述べた。

◆ 7月29日にイエメン諸県の人民抵抗評議会は、統一的な意思決定機構として「最高人民抵抗評議会」の設立を発表した。議長にはタイズ県の人民抵抗運動を指揮し、イスラーハ支持者でカタルから支援を受けているとみられるハンムード・ミフラーフィーが就任した。

(注1)本稿のデータカットオフ日は2023年9月30日であり、以後に情勢が急変する可能性がある。

(注2)フーシー派は自身がイエメン国家を代表するとの立場をとるため、国家と同等の組織名や役職名を用いている。本稿では便宜的にこれらを直訳するが、これは同派を政府とみなすものではない。

【図1:イエメン内戦におけるアクターの関係】

NIDSコメンタリー 281号

(注1)GCC諸国の中でイスラエルと国交を有さない国を(◆)、国交を有する国を(◇)とした。
(注2)代表的なアクターを記載した図であり、全てのアクターを示したわけではない。
(出所)筆者作成

フーシー派:和平交渉の再開と軍事的エスカレーションの意味

 足元のイエメン内戦最大のテーマであるフーシー派とサウディアラビアの和平交渉(政局)では、9月中旬に明らかな進展が見られた。4月のサウディアラビア代表団によるサナア訪問以降、7月頃まで交渉は表面上停滞していた。しかし要人間の接触は続いていたとみられ、6月下旬にはフーシー派交渉団の代表ムハンマド・アブドゥッサラーム(Muḥammad ‘Abd al-Salām)らがメッカへの巡礼を行った。この際にフーシー派要人はサウディアラビア国防大臣ハーリド・ビン・サルマーン(Khālid bin Salmān)と会談を行ったとされる。また8月17日にはオマーン代表団がサナアを訪問し、大統領マフディー・マシャート(Mahdī al-Mashāṭ)と会談した[1]

 こうした調整の後、9月に急速に政局は変動していった。9月10日にフーシー派要人の発言として、サウディアラビアが同派に対して議論継続のために訪問団編成を要請していると報道された [2]。フーシー派側は同国が真剣であれば応じるとの姿勢を示し、同月14日にはマスカットを拠点とするフーシー派代表団とオマーン代表団のサナア入りが報じられた。代表団はマシャートと会談後リヤドへ向かい、人道問題と外国軍の撤退を含む包括的な政治問題の解決へ向けた交渉を行うことが明らかにされた[図2参照]。フーシー派がリヤドへ赴いたのは内戦後初めてであり、詳細は明かされなかったものの、サウディアラビア外務省は前向きな成果を歓迎する声明を発表した[3]

 フーシー派の交渉への積極的な対応は、驚くべきものであった。足元の内戦の状況を合理的に整理すれば、7月までの停滞が示すように、同派が交渉に応じる要因は然程強くないとみられてきたためである。第一に、フーシー派が「戦争でも平和でもない」状態下で事実上の国家運営を継続できていることが挙げられる。同派が首都サナアを含む旧北イエメン地域の大部分を支配する中、大統領指導評議会傘下の諸組織は内部抗争を展開している。第二に時期的な要因として、本四半期は9月21日革命記念日など政治的に重要な記念日が多数存在することが挙げられる。保守的な言説を強調する期間に、サウディアラビアへの譲歩とも捉えられかねない交渉に応じることは、強硬派の反発を招くリスクがある。これらの点に鑑みると、フーシー派が交渉を急ぐ必要はないといえる。

 政局ではディエスカレーションが見られた一方、フーシー派はマアリブ県前線での軍事活動を活発化させた。同県では7月1日から2日にかけて軍高官による前線巡閲が行われたほか、7月10日(第三軍管区実施)と8月6日(中央軍管区実施)に軍事演習が行われた。フーシー派は北部におけるアリーミー政権派最後の砦ともいえるマアリブ県への増派を進めており、3万名規模の戦闘員が集結したとみられる[4]。スイート原油の産出地である同県に対してフーシー派は2021年に攻勢をかけ、一時は県都マアリブ市の陥落まで囁かれていた。この攻勢は有志連合軍の空爆や西海岸地域前線の活発化、2021年12月のシャブワ県でのフーシー派の敗北などによって弱まった背景がある [5]。このほかに9月下旬にフーシー派はサウディアラビア南部の国境地帯でドローン越境攻撃を実施し、同地に駐留するバハレーン軍4名が死亡した [6]

 本四半期にフーシー派は新兵器の公開も行い、支配地域内の住民に対する自軍の成果を主張しつつ、反フーシー派側諸勢力に対する軍事的威圧を強めた。2014年のフーシー派によるサナア掌握を祝う「9月21日革命」は同派にとって最重要の行事であり、昨年は海軍新兵器の公開を含む盛大な軍事パレードが行われた [7]。今年はパイロットとみられる要員の一団が行進に参加したほか、F-5とみられる戦闘機 [8]がサナア上空を飛行し、内外の注目を集めた[図2参照]。内戦初期に有志連合軍は旧イエメン軍の戦闘機を最優先の破壊対象とし、以降フーシー派が戦闘機を用いたことはなかった。そのため今回の戦闘機の披露は、8年以上の戦争におけるフーシー派の強靭性を象徴的に知らしめることになったといえる。総論として、本四半期は停戦合意以前と比べれば情勢は小康状態にあるものの、前四半期からは軍事的にエスカレーションの方向へ向かったと考えられる。

 それではなぜフーシー派はリヤドへの代表団派遣などの政治的ディエスカレーションと、増派や越境攻撃などの軍事的エスカレーションという一見すると矛盾した行動を示したのであろうか。フーシー派が交渉に消極的であるという見方に立てば、強硬的な姿勢が本意であり、代表団派遣はあくまで交渉継続のための対応に過ぎないと解釈できる。またこれまでのフーシー派の行動様式に鑑みれば、軍事的手段を用いて政治的譲歩を迫る強要とも解釈できる。他方で本稿ではフーシー派の「内政」の観点から、同派が交渉に応じる動機を考えてみたい。ここで重要となるのが、サウディアラビアとの交渉テーマでもある自派公務員に対する給与支払い(経済問題)と、政治的安定性の追求である。イエメンではフーシー派や大統領指導評議会傘下の各組織の支配地域でも、自組織の兵士等への給与未払いが慢性化している。フーシー派支配地域では本四半期に教職員組合による給与要求が行われ、与党「国民全体会議」のメンバーも政府を非難する珍しい状況が見られた [9]。政府の汚職や行政能力の問題は、フーシー派が前政権を非難し自身のクーデターを正当化する方便であるだけに、統治の正統性にかかる重要な問題である。またこうした問題は有志連合軍との戦争によって棚上げされてきた側面があるものの、「戦争でも平和でもない」状態が長引く中で民衆の不満が表面化していると考えられる。フーシー派は9月27日に大統領や最高政治評議会メンバー、国防大臣などで構成される国防評議会の緊急会合を実施し、内閣解散を決定するなどの行政改革の姿勢を打ち出している [10]。このような文脈を整理すると、フーシー派としては給与支払いの問題の突破口となり得る交渉を進めるか、あるいはそうした姿勢によって民衆の不満を緩和する狙いがあると考えられる。

 軍事的エスカレーションについては、サウディアラビアとの交渉に否定的な強硬派の不満を緩和し、かつ軍の高い能力を対内的に誇示したい思惑があると考えられる。オタワ大学のトマス・ジュノー(Thomas Juneau)が指摘するように、有志連合軍との戦争に事実上の勝利を収める中、フーシー派が交渉で譲歩するインセンティブはほとんどなく、同派内部では強硬派が台頭しているとみられる [11]。またサナア戦略学研究所のマイサー・シュジャーアッディーン(Maysā’ Shujā‘ al-Dīn)が指摘するように、フーシー派は戦争を通して勢力を拡大してきた組織であり、平和それ自体が自身の生存や正統性を脅かすものである [12]。すなわち、同派は自身の統治を正統化するために絶えず軍事・治安的脅威を主張し、それに自派の軍・治安組織が能力を高めて対抗しているという言説を展開する必要がある。以上の点から、給与支払いなどの経済問題と強硬派への配慮や統治の正統性などの政治問題が交錯する中、政治的ディエスカレーションと軍事的エスカレーションが起きた可能性がある。

 交渉の行方を見通すことは難しい。しかしこれまで交渉の障壁として①フーシー派側公務員に対する給与支払いと、②内戦に対するサウディアラビアの地位が指摘されてきた。①については、フーシー派は従来給与原資に大統領指導評議会側の石油・天然ガス収入を充てることを要求してきたが、もはや重要な論点ではなくなっている可能性も指摘されている [13]。②については、地域大国としての威信を保持したいサウディアラビアがイエメン内戦からの撤退にあたり、自国を仲介国と位置付けようとしているのに対して、フーシー派は同国を侵略者であるとの立場を示してきた。公的にはフーシー派はサウディアラビアを侵略国とみなす立場を変えていないものの、今回のリヤド訪問自体が同派のサウディアラビアへの認識の変化を示している可能性がある。2022年3月にリヤドで開催され、大統領指導評議会発足の契機となった「イエメン・イエメン対話」にはフーシー派も招待されていたが、同派は侵略国での開催に反対するという理由で出席しなかった [14]。すなわち、従来侵略国とみなし赴くことを拒否していたリヤドへ向かうこと自体が、サウディアラビアが求める仲介国としての地位を暗黙裡に認めている可能性がある。

【図2:本四半期の1枚(リヤド協議と9月21日革命記念軍事パレード)】

NIDSコメンタリー 281号

(出所)Associated Press [15], al-I‘lām al-Ḥarbī [16]より引用

アリーミー政権派:大統領のマフラ県訪問

 大統領ラシャード・アリーミー(Rashād al-‘Alīmī)は6月下旬のハドラマウト県訪問に続き、8月16日にマフラ県を訪問し、東部での勢力維持を図った。翌17日にアリーミーはマフラ県の有力者との会合にて、同県は「これまで同様にもはや除外されておらず、フーシー派に対する闘争や発展のための中心地となった」と発言した [17]。さらにアリーミーは同県においてサウディアラビアの支援で進められている「キング・サルマーン医療・教育都市計画」を視察し、同県の開発を重視する姿勢を打ち出した。アリーミーのハドラマウト県およびマフラ県への訪問は、大統領就任後初めてである。

 こうした東部地域への注力の背景には、南部移行会議との競争激化が考えられる。南部移行会議はハドラマウト県の支配拡大を目指し、第1軍管区駐留部隊の交代要求や同県出身の副大統領ファラジュ・バフサニー(Faraj al-Baḥsanī)の取り込みを行ってきた。これに対してサウディアラビアは「ハドラマウト国民会議(Majlis Ḥaḍramawt al-Waṭanī)」の設立を後押しし、南部移行会議に対抗し得る政治勢力の結集を試みた。ハドラマウト県ではムカッラーを中心とする南部移行会議系武装組織「ハドラミー精鋭隊(Qūwāt al-Nukhba al-Ḥaḍramīya)」の勢力圏にある南部と、サイウーンを中心とするアリーミー政権派の勢力圏にある北部の対立が激化してきた [18]。こうした状況で、アリーミー政権派としてはマフラ県への南部移行会議の影響力浸透を食い止めたい意向があるとみられる。

 フーシー派代表団がリヤド入りする中、アリーミーはリヤドを経由してニューヨークで開催された国連総会に出席した。総会中にアリーミーは米国務長官アンソニー・ブリンケン(Anthony Blinken)らと会合を行ったほか、フーシー派を糾弾する演説を行った。また今次の外遊には、副大統領で南部移行会議の最高指導者アイダルース・ズバイディー(‘Aydarūs Qāsim al-Zubaydī)も参加し、UAE外務大臣との会合を実施した [19]

南部移行会議:対テロ作戦の継続とズバイディーの独立発言

 南部移行会議はアリーミー政権派との抗争に加え、南部において「アラビア半島のカーイダ(AQAP)」等に対する対テロ作戦を継続した。8月13日に南部移行会議系の合同部隊は、AQAPが支配するアブヤン県のヒジュラ基地を制圧し、その後同県のワーディー・ジュナン一帯の掃討完了を発表した [20]。AQAPやそのフロント組織とされる「アンサール・シャリーア」はイエメン内戦において主要な勢力ではないものの、2011年に一時期アブヤン県の県都ズィンジバールを支配下に置くなど、南部では一定程度の存在感を有している。

 南部移行会議系部隊「治安ベルト」は、ラヘジュ県でフーシー派支配地域へ向かうドローン用エンジンの密輸を阻止したと発表した [21]。イラン・サウディアラビア国交正常化合意に際して、イランはフーシー派への兵器供与停止を約したとみられているが、現地報道やサナア戦略学研究所の月次レポートなどでは、イランからの兵器密輸が徐々に指摘され始めている。

 南部独立に関連した活動では、前述の国連総会期間中にズバイディーはコソボ大統領 [22]や南スーダン外務大臣などとの会談を行った [23]。また9月23日にズバイディーはAP通信のインタビューで、フーシー派との交渉では南部独立が最優先事項であると述べた [24]。南部移行会議は前述の2021年頃のマアリブ県陥落の危機に際し、フーシー派との交渉の用意がある旨を表明したことがある [25]。南部移行会議がフーシー派を交渉可能な対象と認めているのに対し、フーシー派はイエメン国家を継承したという立場から、南部移行会議を「分離主義者(Infiṣālīyūn)」とみなし批判してきた。勿論、実際にフーシー派が自身の主張通りに南北全土で支配を確立することは不可能とみられるものの、同派が言説として用いてきたイエメン・ナショナリズムを捨てることも難しいと考えられる。同派は「イマーム制復古主義者」や「イランの手先」、あるいは「サアダ県運動」といった批判を避けるためにナショナリズムを用いてきた側面があるためである。南部移行会議が「事実上の独立(de facto)」ではなく「法的な独立(de jure)」を求めたとしても、フーシー派を含めその他主要勢力が容易に応じるとは考えにくい。

国民抵抗軍:タイズ県南方での軍事活動と地元部族の抵抗

 国民抵抗軍はタイズ県南部などで軍事活動を行った。7月下旬に同組織は旅団設立を目的としてタイズ県南西部アルディーへ部隊を派遣し、同地に駐屯する巨人旅団第17旅団及びスバイハ族との緊張が高まった [26]。第17旅団司令官マージド・スバイヒー(Mājid ‘Umar al-Ṣubayḥī, スバイハ族)は国民抵抗軍に72時間以内の撤退を求め、国民抵抗軍の部隊はモカに撤退したとみられる [27]。アルディーを含むバーブ・マンデブ地域はその地理的重要性を背景として、諸組織が影響力拡大を試みてきた [28]。また9月上旬にもタイズ県南西部ワーズィイーヤで国民抵抗軍と地元部族の衝突が発生した [29]。この衝突が報じられる数日前に、国民抵抗軍公式サイト『12月2日通信社』は同組織がワーズィイーヤの初等学校へ通学鞄を寄付したと報じており、硬軟織り交ぜた姿勢で支配拡大を試みている様子が窺われる [30]

 マアリブ県の緊迫の高まりを受け、国民抵抗軍も同県で活動を展開した。同組織は前四半期に引き続き7月にマアリブ県に食料物資を供給したほか、9月には通学鞄の寄付も行った [31]。また8月下旬から国民抵抗軍公式報道官、兼同組織軍事顧問サーディク・ドゥワイド(Ṣādiq Duwayd, 准将)がマアリブ県入りし、副大統領スルターン・アラーダ(Sulṭān al-‘Arāda)や現地諸部族長との会談を行った [32]。8月28日にドゥワイドは第7軍管区隷下の第72歩兵旅団司令部およびマアリブ県シルワーフ前線を巡閲し、国民抵抗軍の標的はフーシー派のみであることを強調した [33]

その他:最高人民抵抗評議会の設立

 イエメン諸県の人民抵抗評議会(人民抵抗運動)は、マアリブ県での諮問会合を経て、7月29日に統一的な意思決定機構として「最高人民抵抗評議会」の設立を発表した [34]。最高人民抵抗評議会議長には、内戦初期からタイズ県の人民抵抗運動を指揮してきたハンムード・ミフラーフィー(Ḥammūd Sa‘īd al-Mikhlāfī)が指名された。その他に計5名が副議長に選出され、これら幹部人事を見ると、南北を問わず多様な地域の有力者で構成されていることが分かる[表1参照]。

 人民抵抗運動の起源は、前述した2014年9月21日のフーシー派によるサナア掌握に遡る。フーシー派と元大統領アリー・アブドゥッラー・サーレハ(‘Alī ‘Abd Allāh Ṣāliḥ)の連合勢力に反発する形で、各県において人民抵抗評議会の設立が見られた。人民抵抗評議会は国軍・内務省傘下治安部隊が十分に機能しない中、タイズ県などで初期の反フーシー派闘争に重要な役割を果たした。2015年7月には当時の大統領アブドゥラッブ・ハーディー(‘Abd Rabbuh Manṣūr Hādī)が人民抵抗運動の戦闘員を国軍・治安部隊に吸収する大統領令を発出した [35]

 最高人民抵抗評議会の設立に際して、副議長アブドゥルハミード・アーミル(‘Abd al-Ḥamīd Muḥammad ‘Āmir)は、同組織が「フーシー派を除くいかなる勢力と対立するために創設されたのではない」と述べた [36]。この発言の意図については、同組織は基本的な政治姿勢として、反フーシー派と大統領指導評議会等の内紛への中立を表面上打ち出したと考えられる。しかしミフラーフィーがイスラーハ支持者とみられることや、他の幹部の経歴も相まって、最高人民抵抗評議会を同胞団系とみなす向きもある。国外のアクターへの認識についても、ミフラーフィーはカタルからの支援を受けているとみられ、カタル危機の最中であった2018年にはサウディアラビア批判を行ったことがある [37]。また副議長ムハンマド・ワラク(Muḥammad Aḥmad Waraq)はUAE批判を行ったことがあることからも、サウディアラビアやUAEにとって必ずしも都合の良い反フーシー派勢力とはいえない可能性がある [38]。主要勢力との規模の差や、ミフラーフィーがトルコやオマーンを拠点としていることに鑑みて、最高人民抵抗評議会がイエメン内戦に直ちに大きな影響を与えるとは考えにくいものの、新たな全国規模の政治勢力の出現は注目に値するといえよう。

【表1 「抵抗の枢軸」メンバーが発表した声明】

人名 役職 経歴
ハンムード・サイード・ミフラーフィー 議長 タイズ県人民抵抗運動指導者
元政治治安局(PSO)将校
ハンムード・サイード・ミフラーフィー 議長 戦略学民族センター所長
元ジャウフ県イスラーハ事務局長
アブドゥルハミード・ムハンマド・アーミル 副議長
(抵抗情勢)
タイズ県人民抵抗運動指導者
元政治治安局(PSO)将校
ムハンマド・アフマド・ワラク 副議長
(人道・権利)
国会議員(ホデイダ県選出)
ティハーマ国民評議会議長
アブドゥッラキーブ・スバイヒー
(‘Abd al-Raqīb al-Ṣubayḥī)
副議長
(サービス・物資)
元ソコトラ県知事
ラムズィー・マフルース 副議長
(人道・権利)
国会議員(ホデイダ県選出)
ティハーマ国民評議会議長
シャウキー・ムハンマド・サンハーニー
(Shawqī Muḥammad al-Sanḥānī)
副議長
(政治・渉外)
元アムラーン県イスラーハ書記

(出所)諸資料を基に筆者作成

「イエメン情勢クォータリー」の趣旨とバックナンバー

 アラビア半島南端に位置するイエメンでは、2015年3月からサウディアラビア主導の有志連合軍や有志連合軍が支援する国際承認政府と、武装組織「フーシー派」の武力紛争が続いてきた。イエメンは紅海・アデン湾の要衝バーブ・マンデブ海峡と接しており、海洋安全保障上の重要性を有している。しかしながら、イエメン内戦は「忘れられた内戦」と形容され、とりわけ日本語での情勢分析は不足している。そのため本「イエメン情勢クォータリー」シリーズを通して、イエメン情勢に関する定期的な情報発信を試みる。

◆ バックナンバー
𠮷田智聡「8年目を迎えるイエメン内戦-リヤド合意と連合抵抗軍台頭の内戦への影響-」『NIDSコメンタリー』第209号、防衛研究所(2022年3月15日).
———「イエメン情勢クォータリー(2023 年 1 月~3 月)-イラン・サウディアラビア国交正常化合意の焦点としてのイエメン内戦?-」『NIDSコメンタリー』第258号、防衛研究所(2023年4月20日).
———「イエメン情勢クォータリー(2023 年 4 月~6 月)-南部分離主義勢力の憤懣と「南部国民憲章」の採択-」『NIDSコメンタリー』第266号、防衛研究所(2023年7月18日).

Profile

  • 𠮷田 智聡
  • 理論研究部社会・経済研究室
    研究員
  • 専門分野:
    中東地域研究(湾岸諸国およびイエメンの国際関係・安全保障)、イエメン内戦