NIDSコメンタリー 第258号 2023年4月20日 イエメン情勢クォータリー(2023年1月~3月) ——イラン・サウディアラビア国交正常化合意の焦点としてのイエメン内戦?

理論研究部社会・経済研究室 研究員
𠮷田 智聡

エグゼクティブ・サマリー

◆ フーシー派は 1 月までサウディアラビアとの和平合意の進展を示唆していたが、2 月に態度を硬化させた。内容を巡り交渉が行き詰まっているとみられる他、2 月がイスラーム暦上で元最高指導者フサイン・フーシーなどの「殉教」月であったことが、交渉の進展を妨げた可能性がある。

◆ アリーミー政権派は「祖国の盾」軍と称する部隊の創設を公表した。同部隊はサウディアラビアによって創設されたとみられ、南部移行会議の南部独占を打破するための組織という見方が示されている。大統領ラシャード・アリーミーは大半を国外で過ごし、国内滞在日数は 14 日であった。

◆ 南部移行会議は東部の支配拡大を目指した。同組織支持のデモがハドラマウト県で実施され、敵対するイスラーハ系部隊の撤退が要求された。また南部移行会議は祖国の盾軍の南部進駐に反発しているとみられ、南部移行会議系の部隊司令官がアリーミーのアデン帰還を禁止すると発言した。

◆ イラン・サウディアラビア間の国交正常化合意に関して、各組織の反応にはばらつきが見られた。イランがフーシー派への武器供与を停止することでサウディアラビアと合意したとも報道される中、フーシー派はこの合意が二国間関係にのみ影響し、イエメン情勢には無関係であると主張した。仮にイランが武器供与を停止し、イエメン内戦の代理戦争的側面が弱まったとしても、国内の政治・経済・社会的亀裂に起因する内戦的側面が弱まるわけではない点には、留意が求められる。

(注 1)本稿のデータカットオフ日は 2023 年 3 月 31 日であり、以後に情勢が急変する可能性がある。
(注 2)フーシー派は自身がイエメン国家を代表するとの立場をとるため、国家と同等の組織名や役職名を用いている。本稿では便宜的にこれらを直訳するが、これは同派を政府とみなすものではない。

【図1:イエメン内戦におけるアクターの関係】

NIDSコメンタリー 258号

(注1)大統領指導評議会の中で、サウディアラビアの代理勢力と評される組織を(◆)、UAEの代理勢力と評される組織を(◇)とした。
(注2)代表的なアクターを記載した図であり、全てのアクターを示したわけではない。
(出所)筆者作成

フーシー派:和平合意に対する態度が硬化

フーシー派は昨年末からサウディアラビアとの交渉を活発化させていたが、2月から徐々に態度を硬化させた。1月16日に大統領マフディー・マシャート(Mahdī al-Mashāṭ)は国連特使ハンス・グルンドベリ(Hans Grundberg)と会談した。グルンドベリは同日の国連安全保障理事会への報告をサナアで行い、「前向きで建設的な議論ができた」と交渉の進展を示唆した[1]。また同月30日までにはフーシー派、サウディアラビア双方が戦争終結に向け「進展」があったと認めた[2]。しかし、2月18日に最高指導者アブドゥルマリク・フーシー(‘Abd al-Malik Badr al-Dīn al-Ḥūthī)は演説にて、「イエメンが経験している現状は戦争の局面である。今日起きているものは静かなエスカレーションである。」と発言した[3]。また交渉が閉じられたわけではないものの、有志連合軍の姿勢が和平交渉の妨げとなっているとの見方を示した[4]。3月下旬には有志連合軍との戦争の節目として、軍事パレードと軍事演習を実施した[5]。なお、この軍事パレードは2022年9月に行われた第5軍管区の軍事パレード「来世の誓い」と同じホデイダ県のサンマード広場で開催されたため、ホデイダからの部隊撤退を約したストックホルム合意に違反しているとみられる。

フーシー派の態度の硬化には交渉の内容を巡る行き詰まりが考えられるが、公開情報から詳細を判断することは難しい。他方で、2023年2月という時期はフーシー派にとって特別な月であったといえる。この時期はイスラーム暦上のラジャブ月からシャアバーン月にあたる。前者はイエメンへのイスラームの到来と、フーシー派の元最高指導者フサイン・バドルッディーン・フーシー(Ḥusayn Badr al-Dīn al-Ḥūthī)の殉教月を意味する。また、後者はフーシー派の前大統領サーレハ・サンマード(Ṣāliḥ ‘Alī al-Ṣammād)の殉教月である。フーシー派の支配地域ではフサインやサンマードの殉教記念と称して各種の追悼行事が開催され、彼らの功績が讃えられた[図2参照]。こうしたフーシー派内部で保守的な機運が盛り上がる時期に、対話交渉を前進させることは容易ではないといえよう。

3月10日のイランとサウディアラビアの国交正常化合意(以下、国交正常化合意)に関して、フーシー派の反応は大枠としての支持に留まった。交渉団代表のムハンマド・アブドゥッサラーム(Muḥammad ‘Abd al-Salām)は「地域諸国間の国交正常化を地域は必要としている。」と述べ、自派やイエメンへの影響には言及しなかった[6]。さらに駐イラン大使イブラーヒーム・ドゥイラミー(’Ibrāhīm al-Duylamī)はレバノンのヒズブッラー系テレビ局『マナール』の番組に出演し、交渉の詳細を語った[7]。ドゥイラミーの語るところによると、サウディアラビアはイエメン問題を最初に議論したがったが、イランはフーシー派の側に立つことを明言した。また、フーシー派の主要メディア『マスィーラ』は、国交正常化合意について、二国間関係にのみ関係するという立場を示した[8]。この合意が有志連合軍に対する自派の立場に影響を与えるものではないとも記述しており、両国の接近がイエメン情勢に影響を与えることを危惧しているとみられる。なお、後述するようにイランがフーシー派への武器供与停止でサウディアラビアと合意したという報道があり、国交正常化合意がイエメン情勢に無関係であるという主張には限界があろう。

【図2:本四半期の1枚(フサイン・フーシーの墓参りをするマシャート大統領)】

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(出所)Wikāla al-Anbā’ al-Yamanīya より引用[9]

アリーミー政権派:「祖国の盾」軍の南下

1月29日に大統領ラシャード・アリーミー(Rashād al-‘Alīmī)は2023年大統領令18号を発出し、「祖国の盾」軍と称する部隊の創設を明らかにした[10]。この部隊はイエメン軍最高司令官(大統領)直轄の予備軍である。イエメン南部情勢に詳しい『サウス24』紙によると、部隊規模は8,000名程[11]で、指揮官を筆頭に大半がサラフィストである[12]。同紙は祖国の盾軍が2022年にサウディアラビアによって創設されたとしており、確かに同一名の組織が同年12月にラヘジュ県のアナド基地に駐留したことが報じられている[13]。これらの情報を勘案すると、2023年1月の実態は新部隊の創設というよりも、親政権系民兵(Pro-Government Militia, PGM)であった祖国の盾軍が政権軍の地位を得たと理解する方が正確であると考えられる。

大統領直轄の部隊であり、サウディアラビアによって創設されたという経緯からも明らかなように、この部隊はアリーミー政権派の影響が強い部隊とみられる。ロンドンに拠点を置く汎アラブ紙『アラビー・ジャディード』は、祖国の盾軍が南部移行会議の独占を打破するものという見方を示している[14]。実際に祖国の盾軍創設の直後に報じられたのは、南部移行会議が支配する3県(アブヤン県、シャブワ県、ラヘジュ県)への同部隊の到着であった[15]。フーシー派との大規模な戦闘再開に至っていない中、アリーミー政権派としては南部で勢力を挽回したい思惑があるとみられる。

国内では祖国の盾軍創設によって影響力拡大を模索しつつも、アリーミー自身はミュンヘン安全保障会議に参加するなど、大半の時を海外で過ごした。本四半期の国内滞在日数は14日であった。海外から国内の組織に指示を飛ばす方式は、先代大統領アブドゥラッブ・ハーディー(‘Abd Rabbuh Manṣūr Hadī)の時から概ね変わっておらず、国内で支持を拡大できない一因である。国交正常化合意に関しては、この合意が地域における関係の新局面形成を期待するという立場を示した[16]。それと同時に、イエメン政府はイランのイエメン情勢への介入中止を求め、イランに真の変化が見られるまでは警戒を続ける旨も記されており、総論としては合意への期待表明に留まったといえよう。

南部移行会議:東部の闘争と祖国の盾軍への反発

南部移行会議は東部の支配拡大を目指した。1月にハドラマウト県では南部移行会議支持者のデモが発生し、政党「イスラーハ」系部隊の第1軍管区からの撤退が要求された[17]。イスラーハは党内にムスリム同胞団系の派閥を抱えることから、イエメンの同胞団とも呼ばれる。それに対して南部移行会議は、同胞団などのイスラーム主義を敵視するUAEの支援を受けることから、南部移行会議とイスラーハは衝突を続けてきた。他方、イスラーハと良好な関係にあるサウディアラビアは、地元部族勢力を動員することで南部移行会議に対抗する姿勢を示した。すなわち、大統領指導評議会という反フーシー派の枠組みで一致しつつも、サウディアラビアとUAEの代理勢力が対立する構造は変化していない。

前述の祖国の盾軍の創設(政府軍への格上げ)や南下を受け、南部移行会議とアリーミー政権派の緊張が高まった。2月27日には南部移行会議の軍事部門とされる「南部抵抗軍」の司令官が、アリーミーのアデンへの帰還を認めないと発言した[18]。翌28日の南部移行会議幹部会定例会合では、最高指導者アイダルース・ズバイディー(‘Aydarūs Qāsim al-Zubaydī)に対して、南部人民の問題を代表する交渉チームの形成が勧告された[19]。これらを受けてアリーミーはアデンに戻らずに、リヤドに滞在している。

南部移行会議は国交正常化合意について、他組織と比べて肯定的な姿勢を示した。この合意が発表された3月10日同日に、南部移行会議は公式報道官名義で、国交正常化合意を歓迎する声明を発出した[20]。合意が地域の安定性の強化に資することを期待する旨は他組織と同様であるが、「歓迎」という言葉を用いたのは南部移行会議のみであり、前述のフーシー派やアリーミー政権派よりも合意を好意的に捉えているとみられる。また詳細は不明であるが、ズバイディーは3月18日にモスクワに到着し、ロシア当局との会合を実施した後、同月22日にアデンに帰還した[21]

国民抵抗軍:西海岸地域の重視継続

国民抵抗軍は拠点とする西海岸地域での活動を継続した。最高指導者ターリク・サーレハ(Ṭāriq Muḥammad Ṣāliḥ)は2月に訓練センターおよび軍施設を訪問し、「戦争でも平和でもない状態はいつまでも続かない。フーシー派が残存する平和の希望を無駄にするなら、戦争の選択肢も投げかけられる。」と発言した[22]。また3月1日には「タイズは全ての解放革命の梃子である。タイズの解放なくして、イエメンの解放はない。」と発言しており、国民抵抗軍とフーシー派の前線であるタイズを重視する姿勢を打ち出した[23]。タイズはイエメン第3の都市であるとともに、首都サナアなど主要都市を結ぶ道路を有するため、2022年の停戦期間中や本四半期も比較的小規模な衝突が続いていたとみられる。

国民抵抗軍の国交正常化合意に対する姿勢は判然としない。同派の公式メディアである『12月2日通信社』では国交正常化合意に関する報道が複数なされているものの、サーレハや同派の政治部門「政治事務局」の見解は見当たらない。国民抵抗軍は2017年にクーデターに失敗し、フーシー派と共同統治を行っていたサナアから逃亡した後に、西海岸地域の地方軍閥となった経緯がある。そのため同組織はフーシー派に敵愾心を特に強く有しているとみられ、フーシー派・サウディアラビア間の和平交渉の実現につながり得る国交正常化合意を警戒していると考えられる。

国交正常化合意とイエメン内戦への影響

ここまで見てきたように、国交正常化合意を巡る各組織の反応はまちまちであった。特にフーシー派は今次合意がイエメン情勢に影響を与えないと主張した。他方で『ウォールストリートジャーナル』紙によると、国交正常化合意の一部として、イランはフーシー派への武器供与停止でサウディアラビアと合意したとされる[24]。武器供与停止が事実であれば、近年フーシー派優勢ないし膠着状態の下に推移してきたイエメン内戦の軍事バランスに大きな変化が生じる可能性がある。

こうした情勢変化の見方がある一方で、イエメン内戦の趨勢を考える上で以下の3点を認識する必要がある。第1に、イランがフーシー派への武器供与を実際に停止するのかという点である。内戦当初の両者の関係は便宜上の同盟と評されてきたが、近年はイデオロギー的親密性に基づく強固な同盟に変容したという評価が強まっている[25]。また、イランにとってイエメンはサウディアラビアをアラビア半島内に閉じ込めるだけでなく、紅海・アデン湾の拠点でもある。対岸のエリトリアにはイスラエルの海軍基地があり、対イランのインテリジェンス活動に従事しているとみられる[26]。これらの地政学的重要性を持つにもかかわらず、イランがフーシー派を弱体化させる措置をとるのか、また仮にそうであるならばサウディアラビア側がどのような譲歩を示したのかが、今後のイエメン情勢や紅海・アデン湾海域の安全保障を左右すると考えられる。

第2に、フーシー派の軍事能力形成に寄与してきたのはイランだけではない点である。フーシー派はイラン主導の非公式なネットワークである「抵抗の枢軸」の一員であり、同派はこの枠組みの中の諸組織と関係を深めてきた。特にレバノンのヒズブッラーは内戦以前からフーシー派に各種の支援を行ってきたとみられており、ヒズブッラーの軍事要員はイエメンに展開しているとされる[27] 。こうした国境を越えた代理勢力間の支援関係も、フーシー派の政治・軍事・経済的能力を支えてきたため、この点も視野に入れる必要がある。裏を返せば、ヒズブッラーなどの他のイランの代理勢力はイランがフーシー派を見捨てるかを注視しており、中長期的には抵抗の枢軸全体の強靭性にも影響するといえよう。

第3に、イランがフーシー派を見捨てることでイエメン内戦の代理戦争的側面が弱まっても、内戦的側面が弱まることを意味しないという点である。現在の国内主要勢力の出自を見ても明らかなように、この内戦は国内の政治・経済・社会的亀裂が根本的な原因である。20世紀に遡るこれらの亀裂は、イランが武器供与を停止するか否かという地政学的な決定で解決されるものではない。また、反フーシー派諸勢力が武器供与停止を奇貨として軍事活動を活発化させ、2022年10月の停戦合意切れ以降の「戦争でも平和でもない」状態が戦争に傾く可能性もある。国交正常化合意の詳細が不明な中での今後の見通しは推測の範疇に過ぎないものの、少なくともイエメンの中長期的な平和や安定を追求する上では、国内の政治課題を解決しなくてはならない。

その他:ハーシド部族連合長の死去

2023年1月6日にハーシド部族連合の部族長、サーディク・アフマル(Ṣādiq al-Aḥmar)が治療先のアンマンで死亡した[28]。サーディクは2022年8月にサナアからアンマンのフサイン・ガンセンターに移っていた。一般に部族社会と評されるイエメンにおいて、ハーシド部族連合はバキール部族連合と並ぶ伝統的な政治勢力であるため、指導者の交代には注目が集まっている。大手メディア『ジャズィーラ』は後継者として、弟ヒムヤル・アフマル(Ḥimyar al-Aḥmar)の名を挙げている[29]

イエメン内戦の主要アクター傘下メディアにおいて、サーディク死去の報道には興味深い傾向が見られた。中東でも世界各国と同様に著名人の死去に際して遺族に弔意が伝えられ、今次は組織ごとに弔意を伝える相手に差異が生じている[表1参照]。まずフーシー派は個人名としてはヒムヤルに統一されている。他方で、大統領指導評議会はヒムヤルの他、ハミード・アフマル(Ḥamīd al-Aḥmar)にも弔意が伝えられている。ハミードは大統領指導評議会に与するイスラーハの議員である。また、国民抵抗軍はヒムヤルでもハミードでもなく、ハーシム・アフマル(Hāshim al-Aḥmar)に弔意を伝えた。ハーシムは過去に共和国防衛隊に所属し、大統領の身体警護を務めたことがあるため、大統領警護隊司令官を務めたサーレハと関係があったとみられる[30]。国民抵抗軍を除くと、総論としてフーシー派はヒムヤル、大統領指導評議会はハミードを軸にハーシド部族連合に影響力を拡大したい思惑があると考えられる。

【表1 サーディク・アフマルの死去に伴うフーシー派と大統領指導評議会の動き】

弔意を伝えた人物
(弔意を受けた人物)
日付 出典
【フーシー派】
マシャート大統領
(ヒムヤル、家族、部族連合)
1月6日 https://www.saba.ye/ar/news3218101.htm
ビン・ハブトゥール首相
(ヒムヤル、家族、部族連合)
1月6日 https://www.saba.ye/ar/news3218117.htm
アイダルース諮問評議会議長
(ヒムヤル、家族、部族連合)
1月6日 https://www.saba.ye/ar/news3218124.htm
ザーイディー最高政治評議会員
(ヒムヤル、家族、部族連合)
1月6日 https://www.saba.ye/ar/news3218170.htm
【大統領指導評議会】
ラシャード・アリーミー大統領
(ヒムヤル、ハミード、家族)
1月6日 https://www.sabanew.net/story/ar/93726
アイダルース・ズバイディー
南部移行会議最高指導者兼副大統領
(*家族)
(**ハミード、家族)
*1月6日
**1月11日
https://deraalganoob.com/archives/18842
https://deraalganoob.com/archives/19125
ターリク・サーレハ
国民抵抗軍最高指導者兼副大統領
(ハーシム)
1月11日 https://2dec.net/news58062.html
ウスマーン・マジュリー
副大統領
(ヒムヤル、ハミード、家族)
1月6日 https://www.sabanew.net/story/ar/93730
アブドゥッラー・アリーミー
副大統領
(ヒムヤル、ハミード、家族)
1月6日 https://www.sabanew.net/story/ar/93735
マイーン・アブドゥルマリク首相
(ヒムヤル、ハミード、家族)
1月6日 https://www.sabanew.net/story/ar/93732
スルターン・バルカーニー議長
(*ヒムヤル、ハミード、全家族)
(**ハミード)
*1月6日
**1月7日
https://www.sabanew.net/story/ar/93729
https://www.sabanew.net/story/ar/93747
アフマド・ビン・ダガル
諮問評議会議長
(家族)
1月10日 https://www.sabanew.net/story/ar/93852

(出所)上記出典を基に筆者作成


(2022年3月31日脱稿)

「イエメン情勢クォータリー」の趣旨とバックナンバー

アラビア半島南端に位置するイエメンでは、2015年3月からサウディアラビア主導の有志連合軍や有志連合軍が支援する国際承認政府と、武装組織「フーシー派」の武力紛争が続いてきた。イエメンは紅海・アデン湾の要衝バーブ・マンデブ海峡と接しており、海洋安全保障上の重要性を有している。しかしながら、イエメン内戦は「忘れられた内戦」と形容され、とりわけ日本語での情勢分析は不足している。そのため本「イエメン情勢クォータリー」シリーズを通して、イエメン情勢に関する定期的な情報発信を試みる。

◆ バックナンバー
𠮷田智聡「8年目を迎えるイエメン内戦-リヤド合意と連合抵抗軍台頭の内戦への影響-」『NIDSコメンタリー』第209号、防衛研究所(2022年3月15日).

Profile

  • 𠮷田 智聡
  • 理論研究部社会・経済研究室
    研究員
  • 専門分野:
    中東地域研究(湾岸諸国およびイエメンの国際関係・安全保障)、イエメン内戦