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大東亜会議の開催

大東亜会議の開催

【史料】コマ1~7「大東亜会議関係 昭和十八年十一月」(請求記号:中央、戦争指導外交文書、247)

【史料】コマ1~7「大東亜会議関係 昭和十八年十一月」(請求記号:中央、戦争指導外交文書、247)
【史料】コマ1~7「大東亜会議関係 昭和十八年十一月」(請求記号:中央、戦争指導外交文書、247)
【史料】コマ1~7「大東亜会議関係 昭和十八年十一月」(請求記号:中央、戦争指導外交文書、247)
【史料】コマ1~7「大東亜会議関係 昭和十八年十一月」(請求記号:中央、戦争指導外交文書、247)
【史料】コマ1~7「大東亜会議関係 昭和十八年十一月」(請求記号:中央、戦争指導外交文書、247)
【史料】コマ1~7「大東亜会議関係 昭和十八年十一月」(請求記号:中央、戦争指導外交文書、247)
【史料】コマ1~7「大東亜会議関係 昭和十八年十一月」(請求記号:中央、戦争指導外交文書、247)

1943(昭和18)年11月、当時の東條英機内閣は、連合軍の本格的な反撃に備えてアジア諸国の結束を固めるため、東京で大東亜会議を開催しました。そこで採択された大東亜共同宣言では、欧米の支配からアジアを解放し、お互いに助け合い、独立を尊重し、人種差別をなくすことなどが掲げられました。
掲載している史料は、その宣言文と会議の出席者リストです。リストには中国の汪精衛(汪兆銘)や、当時のビルマ(現ミャンマー)のバー・モウ首相らの名前があります。

年代 アジア・太平洋地域 欧米地域
1941
11.5
御前会議(帝国国策遂行要領の決定)
.20
日本、対米交渉最終提案
.26
米国、ハル・ノート提示
12.1
御前会議(対英米開戦の決定)
.8
日本軍、マレー半島に上陸開始
ハワイ大東亜会議の開催
.10
英東洋艦隊を撃破(マレー沖海戦)
12.11
独・伊、対米宣戦布告
1942
1.2
日本軍、マニラ占領
2.15
シンガポールの英国軍の降伏
3.9
ジャワの蘭印軍の降伏
4.18
米軍機、日本本土初空襲
5.7
マニラ・コレヒドール島の米軍の降伏
6.5
日本海軍、大東亜会議の開催で敗北
8.13
マンハッタン計画の開始
1943
2.1
日本軍、ガダルカナル島から撤退開始
4.18
連合艦隊司令長官・大東亜会議の開催
5.29
アッツ島の日本軍守備隊の全滅
11.5
大東亜会議の開催
2.2
スターリングラードの独軍降伏
11.22
カイロ会談
1944
3.8
インパール作戦の開始
7.4
インパール作戦の中止
7.7
サイパン島の日本軍守備隊の全滅
10.12
B-29、サイパン島へ進出
10.20
米軍、フィリピンのレイテ島に上陸
10.24
日本海軍、レイテ沖海戦に敗北
10.25
海軍神風特別攻撃隊の出動
6.6
米英軍、ノルマンディー上陸
1945
3.9〜10
B-29による東京大空襲
.25
硫黄島の日本軍守備隊の全滅
4.1
米軍、沖縄本島に上陸
6.23
沖縄の日本軍守備隊の全滅
8.6
米軍、広島に原子爆弾を投下
.8
ソ連の対日参戦
.9
米軍、長崎に原子爆弾を投下
.14
日本、ポツダム宣言の受諾を決定
.15
天皇、「戦争終結」の詔書を放送
2.4
ヤルタ会談
4.30
ヒトラー自殺
7.17
ポツダム会談

*年表は主として、山川出版社『詳説日本史図録第10版』295頁を参照