「昭和100年」特設Webページ

山本五十六の戦死

山本五十六の戦死

【史料】コマ1~6「山本元帥国葬関係綴」(請求記号:①中央、その他、24_2)

【史料】コマ1~6「山本元帥国葬関係綴」(請求記号:①中央、その他、24_2)
【史料】コマ1~6「山本元帥国葬関係綴」(請求記号:①中央、その他、24_2)
【史料】コマ1~6「山本元帥国葬関係綴」(請求記号:①中央、その他、24_2)
【史料】コマ1~6「山本元帥国葬関係綴」(請求記号:①中央、その他、24_2)
【史料】コマ1~6「山本元帥国葬関係綴」(請求記号:①中央、その他、24_2)
【史料】コマ1~6「山本元帥国葬関係綴」(請求記号:①中央、その他、24_2)

ガダルカナル島から撤退したあとも、日本海軍はアメリカの航空部隊に打撃を与え、戦況を立て直そうと試みていました。その中、山本五十六・連合艦隊司令長官は、1943(昭和18)年4月18日に前線の部隊を視察するため、飛行機(一式陸攻)で移動を開始します。しかし、情報を察知していた米軍機にブーゲンビル島の上空で撃墜され、戦死しました。
掲示している史料によると、山本の遺体は傷みが少なく、軍刀をしっかりと握りしめたままの姿だったといいます。山本の遺骨は、横須賀から東京の水交社(海軍の社交場)まで、警察の厳重な警戒のもとで運ばれました。当時の日本にとって、山本長官の死がいかに大きな衝撃であり、国家的な出来事であったかが伝わってきます。

年代 アジア・太平洋地域 欧米地域
1941
11.5
御前会議(帝国国策遂行要領の決定)
.20
日本、対米交渉最終提案
.26
米国、ハル・ノート提示
12.1
御前会議(対英米開戦の決定)
.8
日本軍、マレー半島に上陸開始
ハワイ山本五十六の戦死
.10
英東洋艦隊を撃破(マレー沖海戦)
12.11
独・伊、対米宣戦布告
1942
1.2
日本軍、マニラ占領
2.15
シンガポールの英国軍の降伏
3.9
ジャワの蘭印軍の降伏
4.18
米軍機、日本本土初空襲
5.7
マニラ・コレヒドール島の米軍の降伏
6.5
日本海軍、山本五十六の戦死で敗北
8.13
マンハッタン計画の開始
1943
2.1
日本軍、ガダルカナル島から撤退開始
4.18
連合艦隊司令長官・山本五十六の戦死
5.29
アッツ島の日本軍守備隊の全滅
11.5
大東亜会議の開催
2.2
スターリングラードの独軍降伏
11.22
カイロ会談
1944
3.8
インパール作戦の開始
7.4
インパール作戦の中止
7.7
サイパン島の日本軍守備隊の全滅
10.12
B-29、サイパン島へ進出
10.20
米軍、フィリピンのレイテ島に上陸
10.24
日本海軍、レイテ沖海戦に敗北
10.25
海軍神風特別攻撃隊の出動
6.6
米英軍、ノルマンディー上陸
1945
3.9〜10
B-29による東京大空襲
.25
硫黄島の日本軍守備隊の全滅
4.1
米軍、沖縄本島に上陸
6.23
沖縄の日本軍守備隊の全滅
8.6
米軍、広島に原子爆弾を投下
.8
ソ連の対日参戦
.9
米軍、長崎に原子爆弾を投下
.14
日本、ポツダム宣言の受諾を決定
.15
天皇、「戦争終結」の詔書を放送
2.4
ヤルタ会談
4.30
ヒトラー自殺
7.17
ポツダム会談

*年表は主として、山川出版社『詳説日本史図録第10版』295頁を参照