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ガダルカナル島撤退

ガダルカナル島撤退

【史料①】コマ1「ガダルカナル島 第十七軍の補給線」(請求記号:南東、ソロモンビスマルク、248)
【史料②】コマ2~3「『ガ』島ニ於ケル糧秣揚陸交付数量調 昭和18年2月」(請求記号:南東、ソロモンビスマルク、247 )

【史料①】コマ1「ガダルカナル島 第十七軍の補給線」(請求記号:南東、ソロモンビスマルク、248)
【史料②】コマ2~3「『ガ』島ニ於ケル糧秣揚陸交付数量調 昭和18年2月」(請求記号:南東、ソロモンビスマルク、247)
【史料②】コマ2~3「『ガ』島ニ於ケル糧秣揚陸交付数量調 昭和18年2月」(請求記号:南東、ソロモンビスマルク、247)

ミッドウェー海戦後、日本軍は米豪の連絡を断つ拠点としてガダルカナル島に注目し、1942(昭和17)年8月から激しい争奪戦が始まりますが、米軍に空と海の自由を奪われ、ガダルカナル島の日本軍へ食糧を運べなくなりました。
【史料①】は、日本軍のガダルカナル島への補給計画図です。食料や弾薬の不足に苦しむ極限状態の中、どうにかして物資を届けようとしていたとわかります。
【史料②】は、実際の食糧補給の記録です。数日間の絶食は当たり前で、年末には1週間も何も食べられない絶望的な状況だったことがわかります。島が「餓島(がとう)」と呼ばれたのはそのためです。

年代 アジア・太平洋地域 欧米地域
1941
11.5
御前会議(帝国国策遂行要領の決定)
.20
日本、対米交渉最終提案
.26
米国、ハル・ノート提示
12.1
御前会議(対英米開戦の決定)
.8
日本軍、マレー半島に上陸開始
ハワイガダルカナル島撤退
.10
英東洋艦隊を撃破(マレー沖海戦)
12.11
独・伊、対米宣戦布告
1942
1.2
日本軍、マニラ占領
2.15
シンガポールの英国軍の降伏
3.9
ジャワの蘭印軍の降伏
4.18
米軍機、日本本土初空襲
5.7
マニラ・コレヒドール島の米軍の降伏
6.5
日本海軍、ガダルカナル島撤退で敗北
8.13
マンハッタン計画の開始
1943
2.1
日本軍、ガダルカナル島から撤退開始
4.18
連合艦隊司令長官・山本五十六の戦死
5.29
アッツ島の日本軍守備隊の全滅
11.5
大東亜会議の開催
2.2
スターリングラードの独軍降伏
11.22
カイロ会談
1944
3.8
インパール作戦の開始
7.4
インパール作戦の中止
7.7
サイパン島の日本軍守備隊の全滅
10.12
B-29、サイパン島へ進出
10.20
米軍、フィリピンのレイテ島に上陸
10.24
日本海軍、レイテ沖海戦に敗北
10.25
海軍神風特別攻撃隊の出動
6.6
米英軍、ノルマンディー上陸
1945
3.9〜10
B-29による東京大空襲
.25
硫黄島の日本軍守備隊の全滅
4.1
米軍、沖縄本島に上陸
6.23
沖縄の日本軍守備隊の全滅
8.6
米軍、広島に原子爆弾を投下
.8
ソ連の対日参戦
.9
米軍、長崎に原子爆弾を投下
.14
日本、ポツダム宣言の受諾を決定
.15
天皇、「戦争終結」の詔書を放送
2.4
ヤルタ会談
4.30
ヒトラー自殺
7.17
ポツダム会談

*年表は主として、山川出版社『詳説日本史図録第10版』295頁を参照