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ドーリットル空襲

ドーリットル空襲

【史料】コマ1~12「昭和十七年四月 空襲被害調査報告 陸軍築城本部」(請求記号:本土、全般、176)

コマ1「昭和十七年四月 空襲被害調査報告 陸軍築城本部」
コマ2「昭和十七年四月 空襲被害調査報告 陸軍築城本部」
コマ3「昭和十七年四月 空襲被害調査報告 陸軍築城本部」
コマ4「昭和十七年四月 空襲被害調査報告 陸軍築城本部」
コマ5「昭和十七年四月 空襲被害調査報告 陸軍築城本部」
コマ6「昭和十七年四月 空襲被害調査報告 陸軍築城本部」
コマ7「昭和十七年四月 空襲被害調査報告 陸軍築城本部」
コマ8「昭和十七年四月 空襲被害調査報告 陸軍築城本部」
コマ9「昭和十七年四月 空襲被害調査報告 陸軍築城本部」
コマ10「昭和十七年四月 空襲被害調査報告 陸軍築城本部」
コマ11「昭和十七年四月 空襲被害調査報告 陸軍築城本部」
コマ12「昭和十七年四月 空襲被害調査報告 陸軍築城本部」

1942年(昭和17年)4月18日の正午過ぎ、日本は開戦以来初めてとなる本土空襲に見舞われました。アメリカ陸軍のジェイムズ・ドーリットル中佐率いる16機の爆撃機が、東京をはじめ本州各地を急襲したのです。このドーリットル空襲による被害は全国数十か所に及び、死者約90名、負傷者400名以上、焼失・倒壊した家屋は合わせて150戸を超えました。
史料は、当時の被害状況を記録した写真や図面です。連合艦隊司令長官の山本五十六は、開戦前から米軍による本土空襲を強く懸念していました。その懸念が現実となったことで、軍令部や陸軍も事態を重く受け止めます。二度と本土を攻撃させてはならないという強い危機感が、海上での戦いの分かれ道となるミッドウェー作戦の本格的な準備へと突き動かしていくことになったのです。

年代 アジア・太平洋地域 欧米地域
1941
11.5
御前会議(帝国国策遂行要領の決定)
.20
日本、対米交渉最終提案
.26
米国、ハル・ノート提示
12.1
御前会議(対英米開戦の決定)
.8
日本軍、マレー半島に上陸開始
ハワイドーリットル空襲
.10
英東洋艦隊を撃破(マレー沖海戦)
12.11
独・伊、対米宣戦布告
1942
1.2
日本軍、マニラ占領
2.15
シンガポールの英国軍の降伏
3.9
ジャワの蘭印軍の降伏
4.18
米軍機、日本本土初空襲
5.7
マニラ・コレヒドール島の米軍の降伏
6.5
日本海軍、ミッドウェー海戦で敗北
8.13
マンハッタン計画の開始
1943
2.1
日本軍、ガダルカナル島から撤退開始
4.18
連合艦隊司令長官・山本五十六の戦死
5.29
アッツ島の日本軍守備隊の全滅
11.5
大東亜会議の開催
2.2
スターリングラードの独軍降伏
11.22
カイロ会談
1944
3.8
インパール作戦の開始
7.4
インパール作戦の中止
7.7
サイパン島の日本軍守備隊の全滅
10.12
B-29、サイパン島へ進出
10.20
米軍、フィリピンのレイテ島に上陸
10.24
日本海軍、レイテ沖海戦に敗北
10.25
海軍神風特別攻撃隊の出動
6.6
米英軍、ノルマンディー上陸
1945
3.9〜10
B-29による東京大空襲
.25
硫黄島の日本軍守備隊の全滅
4.1
米軍、沖縄本島に上陸
6.23
沖縄の日本軍守備隊の全滅
8.6
米軍、広島に原子爆弾を投下
.8
ソ連の対日参戦
.9
米軍、長崎に原子爆弾を投下
.14
日本、ポツダム宣言の受諾を決定
.15
天皇、「戦争終結」の詔書を放送
2.4
ヤルタ会談
4.30
ヒトラー自殺
7.17
ポツダム会談

*年表は主として、山川出版社『詳説日本史図録第10版』295頁を参照