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マレー作戦

マレー作戦

【史料①】コマ1~4「参謀本部発来電綴(写)其の1 昭和16年10~12月」(請求記号:中央、作戦指導重要電報、12)
【史料②】コマ5「南方軍発電綴 昭和16年11月~19年12月」(請求記号:中央、作戦指導重要電報、51)

「参謀本部発来電綴(写)其の1 昭和16年10~12月」
「参謀本部発来電綴(写)其の1 昭和16年10~12月」
「参謀本部発来電綴(写)其の1 昭和16年10~12月」
「参謀本部発来電綴(写)其の1 昭和16年10~12月」
「南方軍発電綴 昭和16年11月~19年12月」

昭和16年(1941年)12月8日に戦争が始まった際、マレー方面への作戦は、真珠湾攻撃よりも早いタイミングで行われていました。作戦を立案する専門機関・参謀本部と、現地で指揮を執る南方軍の間で交わされた電報の記録には、開戦日を伝えるための極秘の暗号が記されています。【史料①】と【史料②】は、その電報記録です。
これらの史料によると、開戦日は「ヒノデ」という合言葉で呼ばれ、具体的な日付は日本の都市名を使って隠されていました。たとえば、「ヤマガタ」は「8日」を意味します。これは「ヤマガタ」の「ヤ」を数字の「8」に見立てたものです。他にも、12月1日から10日までの各日付には、以下のように都市名が割り振られていました。

  • 「ナゴヤ」= 7日(「ナ」は「7」)
  • 「ヤマガタ」= 8日(「ヤ」は「8」)
  • 「クルメ」= 9日(「ク」は「9」)

このように、重要な作戦の開始日が敵に漏れないよう、地名を使った隠語で厳重に管理されていました。

年代 アジア・太平洋地域 欧米地域
1941
11.5
御前会議(帝国国策遂行要領の決定)
.20
日本、対米交渉最終提案
.26
米国、ハル・ノート提示
12.1
御前会議(対英米開戦の決定)
.8
日本軍、マレー半島に上陸開始
ハワイマレー作戦
.10
英東洋艦隊を撃破(マレー沖海戦)
12.11
独・伊、対米宣戦布告
1942
1.2
日本軍、マニラ占領
2.15
シンガポールの英国軍の降伏
3.9
ジャワの蘭印軍の降伏
4.18
米軍機、日本本土初空襲
5.7
マニラ・コレヒドール島の米軍の降伏
6.5
日本海軍、ミッドウェー海戦で敗北
8.13
マンハッタン計画の開始
1943
2.1
日本軍、ガダルカナル島から撤退開始
4.18
連合艦隊司令長官・山本五十六の戦死
5.29
アッツ島の日本軍守備隊の全滅
11.5
大東亜会議の開催
2.2
スターリングラードの独軍降伏
11.22
カイロ会談
1944
3.8
インパール作戦の開始
7.4
インパール作戦の中止
7.7
サイパン島の日本軍守備隊の全滅
10.12
B-29、サイパン島へ進出
10.20
米軍、フィリピンのレイテ島に上陸
10.24
日本海軍、レイテ沖海戦に敗北
10.25
海軍神風特別攻撃隊の出動
6.6
米英軍、ノルマンディー上陸
1945
3.9〜10
B-29による東京大空襲
.25
硫黄島の日本軍守備隊の全滅
4.1
米軍、沖縄本島に上陸
6.23
沖縄の日本軍守備隊の全滅
8.6
米軍、広島に原子爆弾を投下
.8
ソ連の対日参戦
.9
米軍、長崎に原子爆弾を投下
.14
日本、ポツダム宣言の受諾を決定
.15
天皇、「戦争終結」の詔書を放送
2.4
ヤルタ会談
4.30
ヒトラー自殺
7.17
ポツダム会談

*年表は主として、山川出版社『詳説日本史図録第10版』295頁を参照