終戦と非軍事化
今から80年前の1945年(昭和20年)8月に第二次世界大戦は終わりました。同月14日、日本は連合国が既に発していた対日降伏勧告であるポツダム宣言を受諾し、翌15日に昭和天皇による玉音放送(「終戦の詔書」)を通じて公表されました。
マニラの連合軍司令部は、16日に日本政府に対し即時停戦を要求し、これを受けて日本海軍が17日に、日本陸軍も18日に、それぞれ25日午前0時、22日午前0時をもって、一切の武力行使を停止すべき旨の奉勅命令を発します。続いて9月2日、東京湾に停泊するアメリカ海軍の戦艦「ミズーリ」号の艦上で、ダグラス・マッカーサー連合軍最高司令官主宰の下、降伏文書調印式がおこなわれました。
ポツダム宣言は、第9項で「日本国軍隊は完全に武装を解除せられ」と述べていました。またアメリカが9月22日に発表した「降伏後に於ける米国の初期の対日方針」においても、日本が再びアメリカと世界の脅威とならないよう「日本国は完全に武装解除せられ且非軍事化せらるべし」(第1部(ロ))とされていました。つまり連合国による日本占領政策の柱は、日本の非軍事化でした。
降伏文書調印式に先立つ8月25日に発せられた「陸海軍人へ勅諭」によって、陸海軍戦闘部隊は解体され、陸軍省と海軍省の業務は復員業務のみとなりました。また10月15日に海軍の軍令部が廃止され、11月30日には陸軍の参謀本部もこれに続きます。12月1日には陸軍省と海軍省も廃止され、それぞれ第一復員省と第二復員省に改編されました。軍事機構の解体に加え、軍事関係施設や軍需工場の破壊や接収も進められていきます。こうして大日本帝国陸海軍は消滅したのです。
(千々和泰明)