陸軍軍医総監 藤田 嗣昭 嘉永7年~昭和16年〔千葉〕
-彗敏にして気概あり、戦陣の功赫々にして地方衛生に貢献-
- 軍医総監 藤田嗣章
「日露戦役写真帖 第四軍」
(戦役-写真-91)から
主要略歴
明治17年5月1等軍医・第6軍管徴兵副医官、6月東京陸軍病院課僚、21年11月第6師団軍医部部員、22年6月3等軍医正・歩兵第13連隊付、27年10月熊本陸軍予備病院長、11月1等軍医正、28年8月近衛師団兵站監部付(台湾派遣)、12月台湾兵站軍医部長、29年3月兼混成第1旅団軍医部長、29年4月台湾総督府軍務局陸軍部第4課長、30年3月2等軍医正、31年11月台湾陸軍軍医部長、33年1等軍医正、35年3月第5師団軍医部長、11月軍医監、37年6月第4軍軍医部長、39年7月韓国駐箚軍軍医部長、43年10月朝鮮総督府医院長、大正元年9月軍医総監、3年9月予備役、6年4月後備役、10年4月退役
人物解説
藤田は、嘉永7(安政元)年1月、江戸赤坂で生まれ、明治5年19歳で大学東校(東京大学医学部前身)員外生として医学を学び、東京大学医学部外来診断所掛を経て、10年6月陸軍軍医補(少尉相当)となり、陸軍本病院第1課に出仕します。その後、14年4月軍医副(中尉相当)に、17年5月、藤田自身、「軍医、即ち大尉級になって始めて一本立ちの軍医として独自の考を実行することができる」(『陸軍軍醫中将 藤田嗣章』(陸軍軍醫團、1943年))と語る陸軍1等軍医(大尉相当)に昇進します。そして、熊本陸軍予備病院長などを経て、日清戦争時の27年11月に陸軍1等軍医正(大佐相当)となり、28年8月近衛師団兵站監部付を皮切りに、35年3月まで7年間台湾に派遣され、台湾陸軍軍医部長等を歴任します。台湾では、ゲリラへの対処、衛生環境及び伝染病対策などで台湾総督を補佐しました。
下掲の史料①は、ゲリラに病院が襲撃された時の状況報告、史料②は食糧事情(肉缶詰)改善などに尽力していたことがわかる史料です。その後、日露戦争には、第4軍軍医部長として出征します。ここでは軍陣衛生、傷病者の治療・後送などはもちろんながら、酷寒の地における越冬指導なども行い(下掲史料③)、軍の作戦遂行に貢献しました。その後、39年7月には韓国に派遣され韓国駐箚軍軍医部長となり、43年10月朝鮮総督府医院長に就任します。大正元年9月には森鴎外後任の陸軍軍医総監(中将相当)となります。なお、次男は画家藤田嗣治です。