日露戦争開戦120年
陸軍少将 奥山義章おくやまよしあき 嘉永3年~明治45年〔愛媛〕

-長駆歴戦する第4軍の生命線を支えた兵站監-

奥山義章少将

主要略歴

嘉永3年11月愛媛県北宇和郡吉田町生まれ。
明治5年陸軍教導団入団、12年陸軍戸山学校、25年少佐、27年日清戦争出征、36年中佐・大阪連隊区司令官、その後大佐・後備役
37年第4軍兵站監、39年少将、42年退役

人物解説

奥山は、明治37年日露戦争開戦に伴い後備役から現役に復帰、第4軍兵站監となります。兵站監の仕事は幅広く、必要な軍需品の請求、内地から運ばれる軍需品の揚陸、それを輸送するための陸路、水路の整備、電線の架設及び郵便の逓送、陸路、水路における軍需品の輸送、野戦倉庫などへの集積、部隊への交付、患者の後送など多岐にわたります(下掲①は、遼陽会戦直前の状況)。戦線が進捗するに伴いその距離が策源である内地からは遠くなり困難も倍増し、兵站監の責任もさらに大きくなります。史料「第3.4軍に関する概況 明治37年」には、奥山が同会戦の頃にまとめた「兵站業務之概要」(下掲②)が綴られています。これには、道路の険悪、さらに降雨による泥濘化の克服、物資を運搬するための車両(馬車)と苦力、馬の確保などがいかに大変であったかが記されています(下掲③)。一方、患者後送において、「険悪なる道路を支那車を以て患者を運搬するは忍びざる」(下掲④)と細心の注意と配慮を行っていたこともわかります。38年1月、黒溝台会戦を控え野戦物資が集積されています(下掲⑤)。奥山は第4軍兵站監としての功績もあり39年に少将に昇進し、明治42年に退役、郷里の教育に尽力したといわれます。

関連史料

関連史料①~④「第3.4軍に関する概況 明治37年」(文庫-千代田史料-580)
    ⑤「日露戦役写真帖 第4軍 第1巻 明治38.6」(戦役-写真-21)

「第3.4軍に関する概況 明治37年」(文庫-千代田史料-580)から
「第3.4軍に関する概況 明治37年」(文庫-千代田史料-580)から
「第3.4軍に関する概況 明治37年」(文庫-千代田史料-580)から
「第3.4軍に関する概況 明治37年」(文庫-千代田史料-580)から
「日露戦役写真帖 第4軍 第1巻 明治38.6」(戦役-写真-21)から