陸軍中将 齋藤義次 明治23年~昭和19年〔宮城〕
"軍ノ精否ハ一ニ指揮官ノ如何ニ依ル"サイパンに散った師団長
主要略歴
中央幼年学校卒、明45.5陸軍士官学校卒(24期)、
大1.12騎兵少尉・騎兵第27連隊付
13.11陸軍大学校卒(36期)、8.3騎兵第14連隊長、
9.8騎兵第9連隊長、11.8騎兵大佐騎兵第24連隊長、
13.7留守第5師団参謀長、14.8少将関東軍補充馬廠長、
16.10軍馬補充部本部長、17.2中将、19.4第43師団長
人物解説
齋藤は、昭和19年4月3日、第43師団長に親補されるとともに、北部「マリヤナ」地区集団長としてサイパンに派遣されます。6月15日、サイパンに強大な米軍が上陸します。北部地獄谷に追いつめられた齋藤は、非戦闘員を島北部に待避させ、軍は最後の一兵まで陣地を死守、玉砕を決心します。この史料は、その時に参謀総長に対して発した訣別電です。齋藤の無念を読み取ることが出来ます。その後、中部太平洋方面艦隊司令長官南雲忠一中将と連名で総攻撃命令を下達、7月6日、最後の突撃に先立ち南雲中将とともに自決します。