終戦80年
―終戦に至る過程―
令和7(2025)年は、終戦から80年の節目にあたります。
本デジタル史料展示では、防衛研究所戦史研究センター史料室の所蔵史料を展示し、終戦に至る過程を紹介します。
1.絶対国防圏崩壊後の戦争指導の大綱
戦争指導の大綱は、太平洋戦争中の戦争指導の大方針を意味し、情勢の変化に応じて改訂されました。
昭和19(1944)年7月、絶対国防圏の一角、サイパン島が陥落します。絶対国防圏は、昭和18(1943)年9月の大綱で設定されたものでした。この国防圏の崩壊は、日本の国土の大半が、B-29による爆撃の圏内に入ったことを意味していました。この崩壊に続き、東條英機内閣が倒れ、小磯国昭内閣が発足します。
【史料①】今後採るべき戦争指導の大綱 昭和19年8月
本史料は、このような情勢の変化を受け、小磯内閣期に改訂された戦争指導の大綱です。方針として、敵の戦争継続の意欲を挫くことや、対外施策による国際情勢の好転とともに、「皇土」(=国土)の護持が掲げられました。
2.本土決戦準備
大本営は、フィリピン方面の作戦失敗が決定的となっていた昭和20(1945)年1月、今後の作戦として、まず沖縄等で持久作戦を展開し、次いで日本本土での決戦を計画しました。
【史料②】本土決戦に関する「大陸命」 昭和20年4月8日
本史料は沖縄戦の勃発から1週間後の4月8日、本土決戦に関する「大陸命」(=参謀総長が天皇直隷の指揮官に伝達する天皇の命令)です。大本営は、米軍の主要上陸地点が関東と九州であると判断し、これら地域を重点に決戦準備を進めようとしました。
【史料③】沖縄の総攻撃失敗後の本土決戦準備の状況(5月)
5月5日、沖縄の第32軍の総攻撃が失敗します。本土決戦の準備が急がれました。
本史料は、総攻撃失敗後の5月15日に作成された、本土所在の師団の装備定数に関する表です。表の下にある摘要欄をみると、定められた装備は、「未充足」の状態だったことがわかります。
【史料④】沖縄戦末期の本土決戦準備の状況(6月)
5月22日、第32軍は軍主力の沖縄南部への後退を決定します。この決定は26日、大本営に報告されました。6月11日、沖縄の海軍主力部隊が全滅。18日、第32軍司令官牛島満中将は、大本営に訣別電を発信します。
本史料は、この訣別電と同日に作成された、参謀本部第2課作戦班の文書です。「決号作戦」、すなわち本土決戦の準備は、大陸命の発令から2ヶ月半、沖縄戦が終わろうとする中、いまだ充分になされていませんでした。
3.鈴木終戦内閣の戦争指導の大綱
昭和20(1945)年4月7日、鈴木貫太郎内閣が発足します。日本は、この鈴木内閣の時に終戦を迎えました。
【史料⑤】今後採るべき戦争指導の基本大綱 昭和20年6月8日
本史料は、6月8日の御前会議で定められた大綱です。
この大綱では、小磯内閣に引き続き、徹底抗戦による国土の護持が唱えられる一方で、戦争目的に初めて「国体護持」(=天皇制の維持)が掲げられました。「国体護持」は、終戦のキーワードとなります。
また、本史料から、首相鈴木貫太郎や海軍大臣米内光政、陸軍大臣阿南惟幾、外務大臣東郷茂徳ほか主要閣僚と、軍令部総長豊田副武など、終戦史上、著名な人物の名前も確認できます。
4.終戦
7月26日、連合国はポツダム宣言を発表しました。8月10日、昭和天皇は御前会議の席上、国体が変更されないことを条件に、宣言の受諾を決断します(1度目の聖断)。これに対する12日の連合国の回答は、国体護持の保証を明言していませんでした。
【史料⑥】ポツダム宣言受諾に関する参謀総長・軍令部総長の上奏文
本史料は、連合国の回答を受けた、参謀総長と軍令部総長の上奏文です。両総長は、到底国体を護持できないとし、宣言受諾に反対しました。
【史料⑦】昭和天皇の「御言葉」 昭和20年8月14日
8月14日、宮中で御前会議が開催されます。会議では、連合国からの回答の解釈をめぐって議論されました。議論は紛糾します。首相鈴木は、会議の最後に昭和天皇の判断を仰ぎます。天皇は、ポツダム宣言の受諾を再び決断しました(2度目の聖断)。
本史料は、この会議の席上で天皇の述べた「御言葉」です。天皇は、連合国の回答について、国体を破壊するものではないと解釈し、このまま戦争を継続すれば、国体は破壊され、日本民族は絶滅すると述べました。
天皇の意思は、翌15日正午から、ラジオを通じ内外に表明されます(玉音放送)。
【史料①~⑦】の史料名と請求記号の一覧
- 【史料①】
「最高戦争指導会議に関する決定綴」(文庫、宮崎、74) - 【史料②】
「大東亜戦争大陸命綴 十九巻」(中央、作戦指導大陸命、82) - 【史料③】【史料④】【史料⑥】
「本土決戦関係兵備綴」(文庫、宮崎、73) - 【史料⑤】
「今後採るべき戦争指導の基本大綱 昭和20年6月8日」(中央、戦争指導重要国策文書、1086) - 【史料⑦】
「連合国との折衝関係事項 昭和20年8月」(文庫、柚、7)