NIDSコメンタリー 第256号 2023年3月23日 ASEANにとってのミャンマー問題 -安全保障の視点から

地域研究部アジア・アフリカ研究室長
庄司 智孝

はじめに

2021年2月1日に発生したクーデターから2年が過ぎたが、ミャンマー情勢は混迷の度合いをいっそう深めている。国軍は各地で蜂起する反体制派への攻撃をエスカレートさせ、同国は内戦さながらの様相を呈している。軍事政権は、2023年2月に戒厳令の半年間の延長を宣言し、同年後半に実施を予定していた(彼らが管理する形での)総選挙についても、不安定な国内情勢を理由に延期を示唆している[1]。「条件が整っていない」との理由で選挙の実施を延期して民意を黙殺することは、2000年代に彼らがとった手法をほうふつさせる。

東南アジア諸国連合(ASEAN)は、加盟国の1つであるミャンマーの状況改善に向けて関与を試みているが、はかばかしい進展はない。軍政との間で合意した「5つのコンセンサス」(暴力の即時停止、ASEAN特使による仲介とすべての関係者との対話、等)は履行されておらず、ASEANと軍政の関係はむしろ悪化している。

ASEANにとって、ミャンマーは長年頭の痛い問題であるが、その問題性は主として問題ある国家を内包するASEANの国際的評判の低下、そしてそうした国の政治状況を改善するため、ASEANが長年守ってきた内政不干渉原則を曲げ(あるいは解釈を変更し)、ミャンマーに関与するか否か、という規範の問題として議論されてきた。ただ、ミャンマー問題はASEANにとって規範という政治的な問題にとどまらない。ASEANが同国を自らの中に置こうとするのには、すぐれて安全保障上の理由が存在する。そこで本小論は、ASEANの安全保障の観点からミャンマー問題を考察し、同国とASEANの今後を展望する。

政治問題としてのミャンマー―内政不干渉原則という規範

ミャンマーの政治体制は、50年以上という超長期にわたる軍政、国軍が政治的影響力を保ったままの民主化、そしてクーデターによる軍政の復活という、きわめて特異な歴史をたどってきた[2]。ASEANにとってのミャンマー問題は、民主化勢力を軍政が苛烈な手法で弾圧し、そうした弾圧に対し欧米を中心とする国際的な批判が強まり、それがASEANに対する批判に転化する、という基本構図である。

ミャンマー問題が国際社会で注目を集め、ASEANも何らかの対応を迫られたのは、主として3つの時期においてである。第1に、1980年代末から1990年代にかけて、アウン・サン・スー・チー率いる民主化運動が本格化し、軍政がデモへの発砲、スー・チーの自宅軟禁、総選挙の結果の無視などさまざまなやり方でこれを弾圧していた時期である。このときASEANはまさに、ミャンマーのASEAN加盟を検討していた。当時のASEAN諸国はその多くが権威主義体制であり、特にスハルト独裁政権下のインドネシアは、同時に東ティモールの独立問題を抱えていた。このためASEANは欧米からの圧力に対し内政不干渉(かつ地域事情への不干渉)、そしてASEANの独自路線としての「建設的関与」(地域協力を進める中で漸進的な変化を促す)を唱え、1997年にミャンマーはASEANに加盟するに至った[3]

第2に、2000年代半ばから後半にかけての時期である。この時期、民主化運動は息を吹き返し、スー・チーの政治活動が活発化したほか、僧侶が中心となった大規模デモが発生するなど、市民と軍政の対立が再び先鋭化した。このとき、民主化勢力を再度徹底的に弾圧するという軍政の基本的な姿勢に変化はなかった。

しかし、ASEAN側は変化していた。最も大きな変化は、インドネシアの政治変動である。ASEAN随一の大国インドネシアの民主化は、ASEANとして重視する規範のプライオリティを、内政不干渉から人権・民主主義へと変化させた。この時期、ASEANでは内政不干渉原則の見直しに関する議論が起こり、ミャンマー問題ではASEAN特使による仲介が試みられたほか、国際社会における評判に鑑み、ASEANは2006年の議長国を辞退するよう軍政に促すなど、様々な取り組みが行われた。こうした取り組みは、加盟国であるミャンマーに対する一歩踏み込んだ関与を試みたという点で大きな進歩であった一方、加盟国間の意見の相違もあり、関与の方法とASEANの機構改革は徹底さを欠き、実質的な成果を得ることはできなかった[3]

結局、ASEANはミャンマー軍政に政策を変更させるような直接的な影響を及ぼすことはできなかった。ただ、2010年代からはミャンマーの「自発的な」変化により民主化が進み2016年にスー・チー文民政権が発足した。これにより国際社会のミャンマーに対する見方も大きく好転し、ASEANとミャンマーは良好な関係を維持した。2014年にはミャンマーはASEAN議長国を務めた。

そして第3に、今回のクーデターとその後である。軍政は「5つのコンセンサス」を履行する様子はなく、ブルネイとカンボジアという議長国特使による仲介も不首尾に終わった。業を煮やしたASEANは、首脳会議、外相会議、拡大国防相会議(ADMMプラス)に軍政代表を招待せず、「非政治的代表」を送るよう軍政に求めたところ、軍政側はいずれの会議にも不参加であった。

安全保障面での含意

ミャンマーの問題は、上記の政治的側面のみならず、ASEANの安全保障の根幹に関わっている。第1に、国境地域の治安であり、これは特に隣国タイにとって深刻な問題である。ミャンマーとタイの国境地域では少数民族のカレン族やシャン族の武装組織が活動しており、彼らは国境を越えてタイにも活動の範囲を広げていた。ミャンマー国軍と少数民族武装組織の戦闘が激化することにより、難民や不法移民がタイに流入した。また少数民族の中にはドラッグを主たる収入源とする人々もおり、ミャンマーで製造されたドラッグがタイに流れた。2001年2月には、国境地域の治安をめぐってタイとミャンマーの国軍の間で戦闘が発生した[5]。2021年2月のクーデター後の状況としては、少数民族と協力して武装蜂起した市民と国軍の間の戦闘がミャンマー全土で拡大しており、タイとの国境地域でも戦闘が激化している[6]

第2に、域外主要国による、ミャンマーそして東南アジア地域への影響力拡大の懸念である。ASEANは、域内の安定のため、域外国による影響力の行使を警戒してきた。1990年代にミャンマーのASEAN加盟を推進したインドネシアは、冷戦終結から1990年代にかけて南シナ海に進出を始めた中国が、ミャンマーを通じて東南アジア地域に影響力を拡大することを警戒した[7]。そのためミャンマーをASEANに取り込むことによって中国の浸透を統御しようとした。

その後、ASEANと中国の関係は経済を媒介としてきわめて密接なものになった。南シナ海における緊張は続いているが、今やASEAN全体に対する中国の影響が強力なため、ミャンマーだけが目立つことはない。ただ、クーデター後の軍事政権を中国は黙認し、2国間での協力を続けており、この姿勢はASEANの方針とは反している。

今日ASEANが懸念するのは、ミャンマーに対するロシアの影響力拡大である。ミン・アウン・フライン司令官のイニシアチブにより、近代化を目指すミャンマー国軍はここ10年程ロシアからの調達を強化してきた。特に戦闘機と攻撃ヘリコプターをロシアからの調達に頼り、こうした装備は現在では反体制派への攻撃に用いられている。2016年に軍事協力協定が結ばれてからは、6,000人ものミャンマー国軍士官がロシアで教育訓練を受けた。国軍のロシア重視の姿勢には、中国への過度の依存を避け、対外関係でバランスをとる思惑があった[8]

ウクライナ侵攻によって欧米との対立を深めるロシアは、東南アジア地域における足掛かりとしてのミャンマーを一層重視するようになった[9]。ロシアは2022年7月と9月の2回にわたってミン・アウン・フライン司令官をロシアに招き、軍政との関係を維持強化している[10]。軍政側もロシアのウクライナ侵攻に対する支持を公式に表明し、ロシア産の石油を輸入する意向を示した[11]。ASEANは、ウクライナをめぐるロシアと欧米の対立が、ミャンマーを通じて東南アジアに浸透し、地域を不安定化させかねないと危惧している。

ミャンマーは、ロシアとの原子力協力も追求している。2022年7月にミン・アウン・フライン司令官が訪ロした際、両国は原子力技術協力に関する覚書を締結した[12]。軍政はロシアの協力を得て小規模の原子炉を建設することを計画しているが、これが核兵器開発の第一歩となるのではないかとの懸念されている[13]。加盟国ミャンマーが「東南アジアの北朝鮮」になることは、ASEANが長年追求してきた東南アジアの非核地帯化の破綻であり、地域安全保障への悪影響は計り知れない。

第3に、ASEANの安全保障の基本枠組みへの影響である。ASEANは1967年の設立当初から、東南アジア全体を視野に入れた地域安全保障の確立を目指しており、1997年のミャンマー加盟はその一環であった。ASEANは冷戦後、包括性に基づく多国間主義を活用し、戦略的自律性を確保する地域秩序を追求してきた。今回、ASEANの枠組みから軍政を一時的にでも排することにより、ASEANの包括性は担保されなくなっている。ミャンマーをめぐってはこれまで加盟国資格の一時停止や除名すら議論されることはあったが、それはASEANにとって諸刃の剣であり、ASEANは地域協力機構としての包括性と組織の凝集性の最適解を探しあぐねている。

厳しい展望

ASEANは、今回のクーデターに対し、軍政のASEAN関連会合への参加停止や反体制派との連携を検討するなど、今までにない強い姿勢を見せている。しかし、軍政の姿勢に変化はなく、ASEANは今も昔も軍政に翻意を促すほどの影響力を持たない。ASEANはミャンマーを通じて中国やロシアをはじめとする域外主要国の影響が地域に及ぶことを恐れている。2023年のASEAN議長国インドネシアは、ミャンマー問題の解決に強い意気込みを示し、新たな特使派遣の準備を進めている[14]。ASEANの持てる選択肢は限られているが、ミャンマーの国内情勢、ウクライナ等国際情勢、そして議長国のイニシアチブによるASEANの取り組みが絡み合いながら、ミャンマー情勢は動いていくであろうが、その動向は決して楽観できないのが現状である。

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  • 庄司 智孝
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    アジア・アフリカ研究室長
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    東南アジアの安全保障