陸軍少将 久米精一 明治30年~昭和24年〔香川〕

空挺によるパレンバン挺進作戦を指揮した第1挺進団長

久米精一 少将

主要略歴

大正8年5月陸軍士官学校卒業(31期)、
昭和6年11月陸軍大学校卒業(43期)・山砲第11連隊中隊長、
7年12月陸軍省軍務局付、8年12月軍務局課員、9年8月砲兵少佐・兵器本廠付、
11年8月陸軍省兵務局課員、12年7月航空兵団参謀、
13年3月航空中佐、14年9月第3飛行集団参謀、
15年3月飛行第16戦隊長、8月大佐、
16年10月陸軍挺進練習部長、12月第1挺進団長、
17年4月陸軍挺進練習部長、19年8月少将・航空輸送部長、
20年4月第209師団長、11月復員

人物解説

久米は、昭和13年3月、兵科を砲兵から航空兵に転科し航空中佐となります。昭和15年3月には飛行第16戦隊長、太平洋戦争開戦時の16年12月には、空挺部隊である第1挺進団長となります。蘭印攻略を企図する南方軍は、重要目標であるパレンバン製油所と飛行場を第1挺進団をもって急襲、占領確保するという構想を持っていました。挺進団は飛行隊3個中隊、挺進2個連隊の計1,500名で、17年1月中旬、サイゴン、プノンペンに集結する予定でした。しかし、途中、挺進第1連隊の搭乗船が火災で沈没したため、南方軍はパレンバン挺進作戦実施を断念しました。久米は、強く作戦の実施を南方軍に願い出ました。結局、挺進第2連隊が空挺降下部隊となり、2月14日、その第1次挺進部隊はクルアン、カハン両飛行場を出発し、第1梯団はパレンバン飛行場に11時26分、第2梯団は製油所に11時30分、それぞれ降下しました。下掲の史料は、「第一挺進団パレンバン進攻部隊及之ト直接協同挺進セル飛行部隊作戦経過ノ概要」で、飛行場、製油所降下後の戦闘行動が詳しく図示されています。この後、久米は、4月、陸軍挺進練習部長に再任され、19年8月少将に昇進し、航空輸送部長に、20年4月には、金沢の第209師団長となります。師団は、関東での米上陸軍との決戦に参加する予定で第36軍の隷下となりましたが終戦を迎えました。

関連史料

「南方軍各方面軍作戦計画等綴 昭和16.12~17.5」(南西-全般-29)

「南方軍各方面軍作戦計画等綴 昭和16.12~17.5」(南西-全般-30)
「南方軍各方面軍作戦計画等綴 昭和16.12~17.5」(南西-全般-30)
「南方軍各方面軍作戦計画等綴 昭和16.12~17.5」(南西-全般-30)
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