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史料のなかの軍人たち ―知られざる素顔―

陸軍少将 川口清健 明治25年~昭和36年〔高知〕

-ガダルカナル島、一木支隊の雪辱を期した第2次攻撃の指揮官-

主要略歴

大正3年5月陸軍士官学校卒業(26期)、
11年11月陸軍大学校卒業(34期)、
12年8月大尉・歩兵第8連隊中隊長、
11月参謀本部付勤務、14年5月第4師
団参謀、昭和3年8月台湾軍参謀、
4年8月少佐・重砲兵学校教官、
5年9月軍軍務局課員、 6年8月陸軍省副官、
8年8月支那駐屯軍参謀、 9年3月中佐、
10年3月第4師団司令部付(外事主任)、
12年3月東京湾要塞参謀、
月北支那方面軍司令部付(宣伝部長)、 11月大佐、
13年12月北支那方面軍参謀、 14年3月中部防衛参謀、
15年8月中部軍参謀、
12月少将・歩兵第35旅団長(16年11月川口支隊長)、
17年11月東部軍司令部付、 18年3月待命、
4月予備役・召集、 20年3月対馬要塞司令官、
4月同司令部付、 8月召集解除

人物解説

日米開戦後の昭和16年12月16日、川口は支隊を率い、ボルネオ、フィリピンと歴戦、開戦前の中国戦線以来、十数回の上陸作戦を経験します。6月6日には第17軍隷下となりフィジー群島占領の任務を引き受けますが、8月7日、米軍がガダルカナル島に上陸、一木支隊の飛行場奪回攻撃(本誌前号を参照)に続く第2次攻撃を命ぜられます。この時、川口は、輸送船でのガ島上陸は困難と意見具申しました。駆逐艦と舟艇で上陸後は、下掲史料①(青線)のように10月13日、飛行場南側からの夜襲を計画しますが、暗黒の密林で混乱を極め、また攻撃の1日繰り上げを命ぜられ攻撃は失敗します。その後約6日間、絶食状態で飛行場西側のマタニカウ川左岸に退却しますが、軍から次の総攻撃のため同川右岸高地占領を命ぜられ、川口はこの命令にも異を唱えました。次に第2師団総攻撃の右翼隊長を命ぜられ、下掲史料②「右翼隊の信念」を印刷、部下将兵に配布します。また、航空写真から攻撃正面に堅固な敵陣地があると判断した川口は、左側背から攻撃を行うべきであると3度目の意見具申を行った直後、電話で更迭を命ぜられます。敵前において職を免ぜられ、川口は我が武士道も終われりと諦めたのでした。

関連史料

「ガダルカナル島に於ける川口支隊の作戦 昭16.12.6~17.10.5」
 (南東-ソロモンビスマルク-13)

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