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史料のなかの軍人たち ―知られざる素顔―

陸軍少将 一木清直 明治25年~昭和17年〔静岡〕

-ガダルカナル島の飛行場奪回を堅く信じ、散った一木支隊長-

主要略歴

大正5年5月陸軍士官学校卒業(28期)、
5年12月少尉・歩兵第57連隊付、9年4月中尉、
15年3月大尉、昭和2年3月歩兵第57連隊中隊長、
3年8月茂原農学校配属、5年8月一宮実業学校配属、
6年12月歩兵第57連隊機関銃隊長、
8年10月歩兵学校(甲)学生、
9年4月少佐・歩兵第57連隊付、10年4月歩兵学校教官、
11年5月支那駐屯歩兵第1連隊第3大隊長、
13年3月中佐・歩兵学校教官、14年9月兼戸山学校教官、
15年12月歩兵学校教材廠長、
16年3月大佐、7月歩兵第28連隊長(17年5月一木支隊長)、
17年8月21日ガダルカナル島で戦死・少将進級

人物解説

一木は、士官学校卒業以来、大半を歩兵科部隊、歩兵学校で勤務します。支那駐屯歩兵第1連隊第3大隊長であった昭和12年7月8日、大隊が盧溝橋付近での演習中、中国軍陣地から数発の射撃を受けます。盧溝橋事件です。一木は、応戦も差し支えなしとする連隊長に間違いないかを復唱して確認するなど慎重を期し対応しました。その後、旭川の歩兵第28連隊長となった一木は、17年5月、「一木支隊を編成し、ミッドウェー島を攻略せよ」との命令を受けますが、輸送船で航行中にミッドウェー作戦は中止となります。8月7日、米第1海兵師団がガダルカナル島に上陸、飛行場を占領します。同日、一木は、内地に帰港中の輸送船内で「ガダルカナル島の飛行場を奪回せよ」との命令を受け、反転、支隊約900名が18日23時、ガダルカナル島タイボ岬西方海岸に無血上陸します。支隊は、銃剣突撃をもって一挙に飛行場に突入占領する考えのもと行軍即捜索即戦闘主義をもって前進し、20日20時頃、飛行場手前のテナル川に到着、飛行場の米軍陣地に突撃します。しかし米軍の火力は凄まじく、攻撃はとん挫します。当時、参謀本部本邦戦史編さん部が作成した戦史(下掲史料)には、最期の状況について「支隊は軍旗を処置し奉り支隊長は既に策を施すべきなきを知り十五時頃敵陣地に突入し支隊長以下支隊の大部は此処に壮烈なる戦死を遂げたり」と書かれています。

関連史料

「南太平洋作戦 第7編(第1.2.3章)」(南東-全般-97)

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