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史料のなかの軍人たち ―知られざる素顔―

陸軍少佐 堀江 正夫 大正4年~令和4年〔新潟〕

-令和に生きた、ニューギニア、第18軍の帝国陸軍参謀-

堀江正夫 少佐

堀江正夫 少佐
『わが人生を顧みて』口絵から抜粋

主要略歴

昭和12年12月陸軍士官学校卒業(50期)
13年1月少尉・歩兵第11連隊付、9月中尉、12月同連隊中隊長、
15年4月功5級金鵄勲章受賞
16年3月大尉、6月陸軍士官学校生徒隊付、12月陸軍大学校入校、
18年11月陸軍大学校卒業(第57期)・第51師団参謀、
19年3月少佐、5月第18軍参謀、21年3月復員、
27年7月警察予備隊入隊、44年7月陸将、47年3月西部方面総監、48年3月退官、
52年~平成1年7月参議院議員、日本郷友連盟会長、英霊にこたえる会会長、日本パプアニューギニア友好協会会長、東部ニューギニア戦友・遺族会会長などを務め、令和4年3月逝去

人物解説

堀江は、昭和12年12月、歩兵砲中隊長として、広東攻略戦におけるバイアス湾上陸作戦以降約2年半、第一線で10数回実戦の洗礼を受け、4回の上陸作戦も経験します。中隊を指揮した堀江は、ここで強い部隊の本質は人と人との繋がりであることを学び、 生涯、「信義と愛」を座右の銘とします。堀江はその後、陸軍大学校に入校し18年11月に卒業します。百名卒業した中でただ一人、当時、国防の最前線、再び帰ることは絶対にないと思われたニューギニア、安達二十三中将指揮する第18軍隷下の第51師団参謀を命ぜられます。第18軍は、制海権も制空権もなく、兵隊が栄養失調で次々と倒れていく中、マッカーサーのニューギニア北岸沿いの進攻を約2年間にわたって阻止します。なぜこれが出来たのか、第18軍参謀となった堀江は、安達の存在が絶対であると言います。堀江は参謀として何度も安達に同行、内に限りない愛情を秘め常に純正強固、一貫して積極、全般の作戦に寄与しようとする猛将ぶりに強く感銘を受けます。終戦後は、オーストラリア軍との降伏式にも同行します。安達は堀江に「じっと我慢するのだよ。残った将兵全員を日本に帰さなければならないからな」と声をかけます。また、帰還将兵には「本当に長い間ご苦労だった・・・」と涙を流しながら何度も語り掛けました。堀江は、それら終戦後の第18軍を「第18軍現況報告」(下掲史料)として後世に残しました。

関連史料

第18軍司令部「第18軍現況報告 昭20.11.15」(南東-東ニューギニア-15)

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