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史料のなかの軍人たち ―知られざる素顔―

陸軍大将 今村均 明治19年~昭和43年〔宮城〕

-南方進攻作戦の最終段階、蘭印攻略作戦を指揮した昭和の名将-

主要略歴

明治40年5月陸軍士官学校卒業(19期)、大正4年12月陸軍大学校卒業、
昭和5年8月大佐・軍務局徴募課長、6年8月参謀本部第1(作戦)課長、
7年4月歩兵第57連隊長、8年8月陸軍習志野学校幹事、
10年3月少将・歩兵第40旅団長、11年3月関東軍参謀副長、
12年8月歩兵学校幹事、13年1月兵務局長、
13年3月中将、同年11月第5師団長、15年3月教育総監部本部長、
16年6月第23軍司令官、同年11月第16軍司令官、17年11月第8方面軍司令官、
18年5月大将、21年4月ラバウル刑務所収容、22年5月禁固10年判決(豪州法廷)、
23年5月ジャワ移送、24年12月無罪判決(オランダ法廷)、25年1月インドネシアより帰国、
25年3月マヌス島服役、28年8月巣鴨移送、29年11月刑期終了出所

人物解説

今村は、知、情、意の調和がとれた名将と知られています。開戦前、今村は、陸軍大学校で蘭印の石油資源を含む要域占領を目的とした蘭印攻略作戦準備を統括しましたが、よく部下と意志の疎通を図り、各級指揮官が孤立しても適切な判断ができるよう認識統一に努めていました。そして今村は、第16軍司令官としてその作戦指揮を執り、戦域の広大さ、部隊運用の複雑さがありつつも名将ぶりを発揮しました。また、昭和17年2月11日発令の第16軍命令(下掲史料)からもわかるように、今村は、兵站を特に重視し、各正面毎綿密に準備しました。さらに住民の安全に意を尽くし、住宅地への軍の進入を厳に諫め、占領後は住民の心に寄り添います。第16軍主力は、3月1日、ジャワ本土に上陸、日本軍戦力を過大評価したオランダ軍は、9日に降伏します。占領後、今村は、敵味方の区別なく緩和を主義とする軍政の実行を指示します。今村の軍政は緩すぎると中央で問題となりますが、その意思は揺るぎませんでした。戦後、今村は、ジャワ戦犯裁判で捕虜虐待の責任を追及されますが、責任追及は当然と求刑を甘受します。結局この法廷では無罪となり巣鴨に送還されますが、自ら志願してマヌス島に送られ、29年の刑期終了まで旧部下数百名とともに在監の苦悩を共にします。

関連史料

「第16軍命令綴 治作命丁第32号」(南西-マレー・ジャワ-187)

アジ歴レファレンスコード: C14110667600

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