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史料のなかの軍人たち ―知られざる素顔―

陸軍少将 加藤建夫 明治36年~昭和17年〔北海道〕

-陸軍航空の至宝、飛行第64戦隊長(加藤隼戦闘隊長)-

主要略歴

大正14年7月陸軍士官学校卒業(37期)、10月26日歩兵第25連隊付、27日航空兵 少尉・飛行第6連隊付、
15年6月~昭和2年5月所沢飛行(操縦)学生、3年3月所沢陸軍飛行学校教官、
10月航空兵中尉、5年3月陸士生徒隊付、7年8月明野陸軍飛行学校飛行教官、
8年8月航空兵大尉、11年2月飛行第5連隊中隊長、12年7月飛行第2大隊中隊長、
12年7月~13年6月華北戦線出征、6月陸軍大学校専科学生、7月航空兵少佐、
14年3月陸軍大学校専科卒業・航空本部部員、7月~11月欧米出張、
16年4月飛行第64戦隊長、17年2月中佐、5月戦死・少将進級(2階級特進)

人物解説

加藤は、昭和12年7月、飛行中隊長として華北戦線に出征します。13年1月の爆撃機編隊の洛陽進 攻掩護では、北支那方面軍司令官から軍歌「加藤隼戦闘隊」にある“七度重なる感状”の最初の感状 を与えられます。その後、14年7月から寺内寿一大将の随員として欧米を歴訪、16年4月には飛行第 64戦隊長となります。当時、欧米を眼にした加藤が最も危惧したアメリカとの戦争が迫っていました。 一方、戦隊長として、一式(隼)戦闘機への機種改編、海洋航法の習熟など多忙を極めます。加藤は、 戦隊に、平常心、任務遂行第一、団結を要望し、戦隊長自ら率先、具現します。特に単機の独断行 動を強く諌めます。戦隊員は、そんな加藤を信頼し、シンガポール攻略、パレンバン空挺作戦、ビル マ攻略と転戦、多くの功績を残します。加藤は、リーダーシップを発揮し、積極的に任務を遂行しまし た。17年5月22日、戦隊は、ビルマにおいてアキャブ飛行場の防空任務中、敵爆撃機邀撃のため出 撃します。逃避する敵機に加藤は肉迫して一撃、撃墜しますが加藤機も右翼から火を吹き壮烈な戦 死を遂げます(下掲史料)。陸軍航空の先駆者、徳川好敏中将は、「航空の至宝を失えり。戦闘隊長と して將又空中戦士として加藤の前に加藤なく、加藤の後にも加藤なからん」と加藤に対し最上級の追 悼を呈します。加藤があげた戦果は総計268機といわれます(檜與平『隼戦闘隊長 加藤建夫』)。

関連史料

関連史料 「3飛集参人電第462号」
(「陸亜密大日記 第20号 2/3 昭和17年」(大日記-陸軍省-陸亜密大日記-S17-52-164))

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