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史料のなかの軍人たち ―知られざる素顔―

陸軍中将 酒井隆 明治20年~昭和21年〔広島〕

-開戦劈頭、九龍、香港を攻略した第23軍司令官-

主要略歴

明治41年5月陸軍士官学校卒業(20期)、大正5年11月陸軍大学校卒業(28期)
昭和3年8月中佐・歩兵第12連隊付、4年10月天津駐屯歩兵隊長、
7年8月大佐・参謀本部支那課長、9年8月支那駐屯軍参謀長、10年12月参謀本部付(病休)、11年3月歩兵第23連隊長、
12年3月少将・歩兵第28旅団長、13年6月張家口特務機関長、14年3月興亜院蒙疆連絡部長官、
14年8月中将、15年6月留守近衛師団長、16年11月第23軍司令官、
18年4月予備役、20年2月北京に酒井機関設置(中共工作)、
20年12月逮捕、21年8月南京法廷で死刑判決、9月南京で銃殺

人物解説

酒井は、陸軍勤務の多くを中国で過ごします。昭和10年支那駐屯軍参謀長の時には、天津で起きたテロ事件などに対する代償を中国側に要求、関東軍とともに華北当局に軍事的圧力を加えこれを受諾させ、梅津・何応欽協定が成立しました。当時、酒井講述の「北支那情勢と最近の実情」では、「北支に関する限りは、いかなる交渉事件を持って行っても、罷り間違えば関東軍が出るぞといわなければ何事も出来ない」と強硬姿勢の必要性を強調しています。その後、酒井は、16年11月に第23軍司令官となり、12月8日4時、香港攻撃開始を隷下部隊に命じますが、その翌日9日には香港攻略後の占領政策である「第二十三軍香港、九龍軍政指導計画」(下掲史料)を策定します。彼はすでに占領後の状況を思い描いていました。25日、英軍は第23軍に無条件降伏し、28日、酒井は幕僚を従え、九龍市で6千の将兵を前に入城式を行います。翌29日、酒井は、軍政庁を九龍市内のホテルに開設し九龍、香港の軍政を統監しますが、18年4月には予備役となります。その後も中国共産党工作のための酒井機関を設置するなど中国と関わりますが、終戦後の20年12月、捕虜及び非戦闘員殺害などの疑いで逮捕されます。酒井は妻への手紙で、好きな中国で私は喜んで逝く、大好きな日本へ空飛ぶ姿で帰るなどと記し、21年9月、南京で銃殺されます。

関連史料

関連史料 「 第二十三軍香港、九龍軍政指導計画」
(「香港攻略後に於ける軍政実施に関する件」(大日記-陸軍省-陸支密大日記-S16-164-187))

アジ歴レファレンスコード: C04123630100

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