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史料のなかの軍人たち ―知られざる素顔―

海軍大佐 淵田美津雄 明治35年~昭和51年〔奈良〕

-ハワイ奇襲作戦「我奇襲に成功せり」発信を命じた「赤城」飛行隊長-

主要略歴

大正13年7月海軍兵学校卒業(52期)、 昭和11年12月少佐・海軍大学校甲種学生(36期)、13年9月「龍驤」飛行隊長、
13年12月佐世保鎮守府参謀、14年11月「赤城」飛行隊長、15年11月第3航空戦 隊参謀、16年8月「赤城」飛行隊長、
16年10月中佐、17年7月横須賀鎮守府付、10月横須賀航空隊教官、12月兼海 軍大学校教官、18年7月第1航空艦隊参謀、19年4月連合艦隊参謀、
19年10月大佐、20年4月海軍総隊兼連合艦隊参謀、20年11月予備役

人物解説

淵田は、昭和2年12月霞ヶ浦海軍航空隊偵察科学生となり航空畑の道を進みます。戦艦から航空母艦 の時代になると先を読んでいた淵田は、14年11月に願ってもない航空母艦「赤城」の飛行隊長となります。 15年11月には第3航空戦隊参謀となりますが、16年8月、再び「赤城」飛行隊長となります。9月下旬、ハワ イ奇襲作戦について知らされた淵田はその意味を知ります。そして淵田は、12月8日、真珠湾攻撃のため 第1航空艦隊飛行機隊総指揮官として第1次攻撃隊を直接指揮することとなります。淵田は、オアフ島上 空が平穏なため攻撃方法を奇襲と決断、午前3時19分(日本時間)、真珠湾内に戦艦を確認した淵田は電 信員に「全軍突撃せよ」発信を命じ、その4分後、米軍の戦闘機、対空砲火がないことから「我奇襲に成功 せり」発信を命じます。電信員は直ちに「トラトラトラ」を連送、ここに真珠湾攻撃が始まります。下掲史料 はその時の「赤城」飛行機隊の戦闘行動調書です。その後、淵田は終戦まで第1航空艦隊、連合艦隊の 航空参謀などとして活躍しますが、20年8月15日の玉音放送を日吉台の海軍総隊司令部で聞きます。こ の時の「万世の為に太平を開かむ」という天皇の御言葉は強く淵田の心を打ち、この一言の具現に命をか けようと、戦後、キリスト教の洗礼を受けアメリカへ伝道の旅に出かけることとなります。

関連史料

関連史料「赤城飛行機隊戦闘行動調書 昭16.12~17.6」(5航空部隊-行動調書-7)

アジ歴レファレンスコード: C08051579500C08051579600

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