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史料のなかの軍人たち ―知られざる素顔―

陸軍大将 阿南惟幾 明治20年~昭和20年〔大分〕

-“一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル”終戦時の陸軍大臣-

主要略歴

明治38年11月陸軍士官学校卒業(18期)、大正7年11月陸軍大学校卒業(30期)
昭和4年8月侍従武官、5年8月大佐、8年8月近衛歩兵第2連隊長、9年8月東京陸軍幼年学校長、
10年3月少将、11年8月兵務局長、12年3月人事局長、
13年3月中将、13年11月第109師団長、14年9月参謀本部付、14年10月陸軍次官、16年4月第11軍司令官、17年7月第2方面軍司令官、
18年5月大将、19年12月航空総監兼航空本部長兼軍事参事官、20年4月陸軍大臣、20年8月自決

人物解説

 阿南は、陸軍大臣に就任した昭和20年4月以降、本土決戦と徹底的な水際撃滅論を唱え、8月6日の原爆投下後、国体護持と条件付降伏を主張し、ポツダム宣言無条件受諾を説いた東郷茂徳外相と対立しました。この後、昭和天皇は10日未明、聖断を下し、外相案を採りました。
 阿南は同日9時半、市ヶ谷台地下防空壕(現・防衛省市ヶ谷地区大本営地下壕跡)に陸軍省高級部員以上を集めこれを伝えますが(下掲史料)、13日開催の閣議でも国体護持を主張しました。この夜、阿南は、中堅将校達からクーデター計画を提示され、「西郷南洲ノ心境ガヨク分ル」と逡巡しましたが、同郷(大分)の先輩でもあった参謀総長梅津美治郎に反対されます。14日、最後の御前会議でも自説を貫く阿南でしたが、「阿南よ、お前の気持ちはよく分かる」と涙ながらの昭和天皇の御言葉に、感泣、平伏しました。聖断が下ると、「承詔必謹」を命じ、陸軍の強硬派を押さえました。無条件降伏の終戦詔勅に副署を終えたのち、同日午後10時過ぎ、三宅坂の官邸で「一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル」と遺書をしたためた阿南は、15日払暁自刃しました。遺体は夕刻から、市ヶ谷台上で荼毘に付されました。
 〈参考〉防衛省市ヶ谷地区メモリアルゾーンに「阿南惟幾荼毘の跡の碑」があります。

関連史料

関連史料 「機密終戦日誌 昭和20.8.9~15」

登録番号:中央ー終戦処理-492、中央-戦争指導重要国策文書-812  アジ歴レファレンスコード: C12120095400

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