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史料のなかの軍人たち ―知られざる素顔―

陸軍中将 長勇 明治28年~昭和20年〔福岡〕

-沖縄に散った型破りな軍人-

主要略歴

大正5.5陸軍士官学校卒業(28期)、昭和3.12陸軍大学校卒業(40期)
昭和10.12中佐・参謀本部部員(支那課)、10.12兼陸大教官、11.12漢口武官、12.8上海派遣軍参謀、
12.11兼中支那方面軍参謀、13.3歩兵第74連隊長、13.7大佐、14.3第26師団参謀長、
15.8台湾軍司令部付、15.9印度支那派遣軍参謀長、16.6第25軍参謀副長、16.9軍務局付、
16.10少将、16.11南方軍司令部付(仏印機関長)、
17.7兼軍務局付、17.11第10歩兵団長、19.3関東軍総司令部付、19.6参謀本部付、19.7第32軍参謀長、
20.3中将、20.6.23沖縄で自決

人物解説

長は、昭和13年8月、張鼓峰事件の現地停戦協定で、日本側代表(大佐)としてソ連軍大将を前に居眠りの芝居を打つなど、各種武勇伝を残し注目を集めていました。敗色が濃厚となった19年7月8日、沖縄の第32軍参謀長に補職されます。長は、首里城跡に延べ2キロに及ぶ長大な地下洞窟戦闘司令所を構築させ、20年4月1日の米軍本島上陸以来、ここで軍司令官牛島満中将を補佐します。洞窟内は、温度、湿度、悪臭、爆音など筆舌に尽くせぬ過酷な環境でした。長は、士気を鼓舞するため洞窟入口に自筆の「天ノ巖戸戦闘司令所」の木札を掲げます(下掲史料)。ここで米軍と心中するのだと積極的攻勢を主張していた長も、5月22日、南部島尻地区への後退案を認めます。29日夜、軍は首里を放棄し後退、司令部は、本島南端、摩文仁の洞窟に戦闘司令所を開設しますが、6月19日頃には米軍が迫ります。長はいよいよ最期と判断し、軍司令官とともに23日黎明(22日の説もある)を期して自決しますが、長の白い肌着には墨痕鮮やかに「忠則盡命 盡忠報國 長勇」と記してあり、さらに横には、同じく墨書で「昭和二十年六月二十二日 逝去 軍参謀長 陸軍中将 長勇 行年五十一 寸前自認之」と書いた敷布を広げていたといいます。

関連史料

関連史料 「第32軍司令部 日々命令綴(第32軍司令部参謀部航空)昭20.3.29~20.5.22」

登録番号:沖台ー沖縄-41

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