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史料のなかの軍人たち ―知られざる素顔―

陸軍中将 百武晴吉 明治21年~昭和22年〔佐賀〕

-ガダルカナル島作戦を指揮した第17軍司令官-

百武晴吉中将

百武晴吉中将
『戦史叢書 南太平洋陸軍作戦〈1〉』口絵から抜粋

主要略歴

明治42.5陸軍士官学校卒(21期)、大正10.11陸軍大学校卒(33期)、
11.12参謀本部付勤務、12.12参謀本部部員、
13.8少佐、14.12~昭和2.7欧州出張(ポーランド、暗号研究)、
2.7参謀本部部員(第3部暗号班長)、
3.8中佐、6.8関東軍司令部付(ハルピン特務機関長)、
7.8大佐・通信学校付、8.2参謀本部通信課長、10.3歩兵第78連隊長、
11.3第5師団司令部付、11.4広島幼年学校長、
12.3少将、12.8通信学校長、14.3独立混成第4旅団長、
14.8中将、15.2第18師団長、16.4通信兵監、17.5~20.4第17軍司令官、
20.4第8方面軍司令部付、21.2復員

人物解説

百武には、海軍兵学校に入校した二人の兄(ともにのち海軍大将)がいましたが、本人は陸軍士官学校に入校しました。大正12(1923)年、百武は、参謀本部第2部ロシア班班員(大尉)時、ポーランドから招聘されたヤン・コワレフスキー少佐の暗号講習を受けたのを皮切りに暗号専門家としての道を歩み、通信学校長、第18師団長などを歴任した後、昭和16(1941)年4月通信兵監となりました。日米開戦後は、FS(フィジー・サモア)作戦やポートモレスビー攻略作戦を指揮する第17軍司令官として、17年5月ラバウルに進出します。しかし、8月7日、ガダルカナル島に上陸した米軍からの同島奪回を命じられますが叶わず、補給も途絶えた約31400名にのぼった上陸兵は、米軍の攻撃、マラリアと飢餓に悩まされ、多くの戦病死者等(約20800名) を出しました (『戦史叢書 南太平洋陸軍作戦〈2〉』) 。大本営は17年大晦日の御前会議で撤退を決めますが、百武は、「進退両難の苦衷茲に極まれり」(「ガ島作戦秘録(ザンガイ録)」)と大命に従うべきか苦しみました。下掲の史料は、撤収作戦の最後である第3次揚陸が終了したことを軍司令官である百武が参謀次長、第8方面軍に報告した文書です。

関連史料

関連史料 「第17軍発電綴 巻1 昭和17.7~18.11」

中央ー作戦指導重要電報-68 アジ歴レファレンスコード:C12122356000

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