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史料のなかの軍人たち ―知られざる素顔―

陸軍中将 本間雅晴 明治20年~昭和21年〔新潟〕

-比島攻略の栄光と悲劇の第14軍司令官-

本間雅晴

本間雅晴中将
『戦史叢書 比島攻略作戦』口絵から抜粋

主要略歴

明治40.5陸軍士官学校卒(19期) 
大正4.12陸軍大学校卒業(27期)
昭和5.8大佐、7.5参謀本部付、7.8兵器本廠付(新聞班長)、8.8歩兵第1連隊長、
10.8少将・歩兵第32旅団長、11.12~12.7参謀本部付(秩父宮の欧州出張に随行)、12.7参謀本部第2部長、
13.7中将・第27師団長、15.12台湾軍司令官、16.11第14軍司令官、17.8参謀本部付・予備役・フィリピン協会理事長、20.9GHQの逮捕令、
20.10陸軍中将の礼遇停止、21.2死刑判決、21.4マニラで刑死(銃殺)

人物解説

本間は、大尉から中佐時代にかけて英国駐在、英軍従軍、英国大使館付武官を歴任するなど知英派として知られていました。また、秩父宮付武官を4年間務めるなど皇室への思いも強く、大佐であった新聞班長時代、皇軍は、皇徳の普遍、皇道の宣布のため戈を執るものであり、覇道の為に使用される機関ではない、と考えていました。また本間は、支那事変の長期化や、三国同盟の締結などにも疑問を感じていました。
しかし、対米英開戦劈頭、本間は第14軍司令官として比島攻略を命ぜられます。「電光石火」任務を達成するという本間の訓示通り(下掲史料)、第14軍は首都マニラを攻略しました。しかし、マッカーサー将軍率いる米比軍主力は、バターン半島とコレヒドール島に籠城したため、当初1ヶ月程度と予想されていた攻略は5ヶ月を要しました。本間は、南方作戦の軍司令官でただ1人予備役に編入されました。終戦後、本間は、GHQから、いわゆる「バターン死の行進」の容疑でマニラ軍事法廷への出頭を命ぜられ、刑死しました。

関連史料

「第14軍関係命令綴 昭和16.11」

登録番号:比島ー進攻-127

アジ歴レファレンスコード:C14020635200

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