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デジタル史料展示

太平洋戦争① 開戦

1. 開戦経緯①

史料名

「帝国国策遂行要領 御前会議議事録 昭和16年9月6日」
(請求記号 中央、戦争指導重要国策文書、1067)

昭和16(1941)年9月6日、第3次近衛文麿内閣は、御前会議において、10月下旬にいたるも日本の対米要求が貫徹できる目途の立たない場合、対米英蘭3国との戦争に踏みきる方針を確認しました。

 本史料(「帝国国策遂行要領 御前会議議事録」)は上記の会議に関する議事録で、出席者の一人であった軍令部総長永野修身が外交交渉よりも戦争への気構えを示した発言等について記されています。

2. 開戦経緯②

史料名

「大東亜戦争 宣戦詔書草稿綴」
(請求記号 中央、戦争指導重要国策文書、1145)

大東亜戦争の宣戦詔書は、昭和16(1941)年12月6日の大本営政府連絡会議で決定の後、上奏、裁可を経て、12月8日午前11時40分渙発されました。

本史料(大東亜戦争 宣戦詔書草稿綴)には、第一案から加筆修正された第六案までの詔書案が綴られています。第一案(①~⑥)には首相東條英機直筆の書き込みが確認できます。東條は宣戦詔書だけではなく、昭和天皇の意思を体し、日米交渉妥結の場合に備えた詔書の作成も命じていました。第六案(⑦)に至るも多くの書き込みがなされ、入念な準備がなされていたことが理解できます。

3. マレー作戦

史料名

「参謀本部発来電綴(写)其の1 昭和16年10~12月」
(請求記号 中央、作戦指導重要電報、12)

史料名

「南方軍発電綴 昭和16年11月~19年12月」
(請求記号 中央、作戦指導重要電報、51)

昭和16年12月8日の開戦に際し、マレー方面への進攻作戦は真珠湾攻撃よりも早く実施されました。

これら史料には、陸軍において大東亜戦争の開戦日を通知した極秘電報が綴じられています。「ヒノデ」は開戦日を、「ヤマガタ」が8日を示していました。詳細には、ヤマガタの「ヤ」が「8」のことであり、前日の7日であれば「ナゴヤ」、翌日の9日であれば「クルメ」というように、12月1日から10日まで都市名が隠語として割り振られていました。

4. 真珠湾作戦

史料名

「機密戦争日誌 其4 昭和16年12月8日~17年12月7日」
(請求記号 中央、戦争指導重要国策文書、1174)

昭和16(1941)年12月8日、日本はアメリカ、イギリス、オランダ3国に対し宣戦を布告しました。

本史料(機密戦争日誌)は、開戦第1日目の参謀本部第20班による記録です。第20班は昭和15(1940)年に第2課(作戦課)から独立して参謀次長直属の班として新設され、戦争指導に関する業務を担当していました。本史料から、真珠湾攻撃等の成功を受け、同班の「理想的戦争発起ノ成功」に対する興奮が垣間見えます。

史料名

「連合艦隊旗艦長門発信電文『新高山登れ1208』訳文 昭和16年12月2日(写)」
(請求記号 ④艦船・陸上部隊、電報、96) 原本は豊川駐屯地

①の史料は、昭和16(1941)年12月2日に、連合艦隊(GF)旗艦・戦艦「長門」から諸艦隊に送られた電文です。「新高山登レ 一二〇八」は、12月8日に真珠湾攻撃を実行することを意味します。当時、第一航空艦隊(いわゆる南雲機動部隊)は、北太平洋上(アリューシャン列島南方)を航行中でした。

②の史料は、著名な「トラトラトラ」、すなわち昭和16(1941)年12月8日午前3時22分に真珠湾攻撃の奇襲に成功したことを報じた電報の写しです。後日、12月18日の大本営発表において、複数の軍艦撃沈・大破の戦果が発表されました。

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